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市民活動情報誌『Volo(ウォロ)』2005年4月号(通巻404号) 目次に戻る
自分を助ける方法を 仲間と共に研究する「当事者研究」
ソーシャルワーカー 向谷地生良さん
No.211

●向谷地生良さん・プロフィール●

1955年青森県生まれ。北星学園大学社会福祉学科卒。学生時代は特別養護老人ホームでの住み込みアルバイトや難病患者、脳性麻痺の障害のある当事者とかかわる。78年より浦河赤十字病院医療社会事業部でソーシャルワーカーとして勤務。84年「浦河べてるの家」の発足にかかわり、93年にはべてるのメンバーと全国の出資者を得て「有限会社福祉ショップべてる」を設立し、本格的に福祉関連事業に進出。べてるは現在、会社と小規模授産施設、グループホームを運営し地域と一体となった事業を展開中。2003年より北海道医療大学介護福祉学部助教授として教鞭を執り、札幌郊外と浦河の往復生活の中、べてるのメンバーとともに全国各地での講演活動を精力的に行っている。

木林  みなさんこんにちは。私たちは北海道の浦河という町からやってきました。私の名前は木林美枝子です。自分で付けた病名は「統合失調症過剰接待型」。今日は「当事者研究」を発表するために来ました。当事者が主人公となってどのようにうまく地域で暮らしていくかとか、その難しさなどについてみなさんにお知らせしたくてやってまいりました。それではオープニングとして、私から一曲。

*「氷川きよしのズンドコ節」の替え歌。
 『♪ズンドコ節 べてる替え歌』
 ただいま参りました私たち パパヤ
 大阪のみなさんこんにちは
 どんなことか分かっても
 決してびっくりしないでね〜

 いやじゃありませんか分裂症
 幻聴幻覚妄想で
 いてもたってもいられずに
 自分の体に傷つける
 ズンズンズンズンドコ

 いやじゃありませんか不眠症
 夜中わさわさ音立てて
 家族のみんなに世話かけて
 周りはみんな寝不足だ
 ズンズンズンズンドコ(大阪!)

 いやじゃありませんかアル中は
 朝に昼に夜まで
 一日中飲んだくれ
 おまけにお店にツケ作る
 ズンズンズンズンドコ(べてる!)

 いいじゃありませんか精神病
 神からもらった宝物
 普通の人とは違っても
 みんな立派な病気持ち


●木林 美枝子さん●


●伊藤 知之さん●

伊藤  私は伊藤知之と言います。私が付けた病名は「統合失調症全力疾走型」。心配事を抱えると周りが見えなくなって、一心不乱になってしまう病気です。
 今回はこうした病気の紹介も兼ねて、当事者研究という形でみなさんにスライドをお見せします。みなさんの中にも心配の種があると「心配モード」に入ってしまう方がいらっしゃるかと思いますが、僕たちはみんなでわいわい言いながら自分の病気のことを深めていけることをお伝えしたいと思っています。

木林 私はいま四十九歳なんですが、二十五歳のときに発病したので、二十五年くらい病気やっています。迎能プロダクションの副部長もやっていますが、普段は昆布詰めをやっています。「手を動かすより口を動かせ」をモットーに、みんなでわいわい口を動かしながらシール張ったり、昆布を詰めたりしています。今回は昆布を持ってきたので、お帰りの際にお買い求めください。

向谷地 私は北海道浦河町で二十五年間ソーシャルワーカーとして仕事をしています。ちょうど二年前から札幌市郊外にある大学で精神科ソーシャルワーカー養成コースの教員として出稼ぎをしたり、浦河の病院でも仕事をしながら、「べてるの家」と行ったりきたりの生活をしています。
 過疎の町、浦河は、メンバーたちの仕事もほとんどないし、さまざまな生きづらさを抱えた地域です。そんな中で二十数年間、地域の中で活動を通じてメンバーたちとやってきたのは、まさに、仲間同士で助け合って「自分を助ける暮らし方をする」ということだったんじゃないかと思っています。

「自分の専門家になる」ということ

向谷地 今日のテーマ「自分の専門家になる」ということ、当事者研究とは何かについて、伊藤さんから説明してもらいます。

伊藤 幻覚とか幻聴とか自分の中に入ってくるマイナスの思考などに対して、どう対処すべきか、みんなでわいわい楽しく話し合います。自分の病気は自分にしか分からないし、病状は百人百様。だから、自分の病気について分かっていれば、メンバーからの助けを受けつつ日常生活を送ったり自己対処できると考えています。自分自身で洞察を深めつつ、ワーカーや同じ病気を抱える当事者とともに研究しています。
 当事者研究は、爆発(自分の感情を爆発させて周りのモノや人に当たってしまうこと)で悩む統合失調症を抱えたメンバーとの出会いから始まりました。それは爆発を止めるための研究ではなく、その回路と意味を解明し、どういう仕組みで起こるのかを知る、そして後から爆発も有効だったと思い起こせる、爆発を無駄にしないようなものにしようというところから始まりました。ワーカーや仲間や今この会場にいらっしゃる全国の同じ症状を持つ人たちとつながっていくことを目標にした活動です。

周りからの圧迫感や重圧感

向谷地 それでは、伊藤さんから、ご自分の研究について発表してもらいましょう。

伊藤 子どものころから正体不明の緊張を感じ、人の集まる場所や親の前で委縮してしまって、友だちや親からあれこれ言われるという状況が続きました。小学校、中学校といじめが続きましたが、高校まではいい成績を保つことで自分自身のアイデンティティーを保っていました。
 しかし大学に入ってからも人とつながれずに、ついに統合失調症を発病しました。例えば、通学途中の高校生が悪口を言っているように思える。今にして思えば、幻聴が聞こえていたんでしょう。周りの人からの重圧がプレッシャーになり、殻に入って自分自身を守る対処法を取りました。コミュニケーションを断って、あえて友人をつくらないようにしました。
 苦労して大学を六年で卒業し公務員として福祉関係の仕事に就きましたが、やはり以前からの親子関係や職場の人間関係で苦労して仕事が出来なくなりました。
 今はこうして講演活動したり自己研究のミーティングに参加して自分や仲間と研究を深めたり、べてるが生まれる源泉となった回復者の集まりの「回復者クラブどんぐりの会」の交流会や、当事者同士の交流を深める会の運営を任されています。

木林 いま伊藤君はどういうお金で食べてるの?

伊藤 障害者年金と辞めた職場の傷病手当金がいくらか出ていて、それで食べてます。

木林 よかったね。私は生活保護なんだわ。それと、べてるの昆布詰めの時給二百二十円のお給料だけ。

伊藤 その職場の手当がこの八月で切れるんです。その後のことは心配ですが、年金は入ると思うので、こういった当事者同士の出会いを大切にしていきたい、お金には代えられないものを大事にしていきたいと考えています。
 精神障害というのは人間関係の障害と言われます。周りの親とか上司、友だちからの息苦しさを感じたら、自分は人間として生きていく価値がないと考えたり、必要以上に自分を保護して過小に評価してしまったりします。
 だから、周りの反応をキャッチするアンテナを立て、危ないことなどを回避しようとします。物事を見たり聞いたり反応したりすることをやめて、無視したりその場からいなくなったりします。そうすることで頭の疲れが一時的に休まります。

向谷地 それが長い間伊藤さんを守ってきた方法なんですね。

自分の苦労を自分で分析

向谷地 そこで、なぜこういうことが起こるのかを伊藤さん自らが整理して見えてきたのが「心配モード」。伊藤さんの中には「心配ボックス」というのがあるんですね。

伊藤 周りからのプレッシャーがさざなみのように押し寄せてきて「ブルーなモード」に入り「心配ランプ」がぱっとつく。すると導火線に火がつき、心配ボックスのふたがパカっと開いて、「心配マン」という心配症のお客様(頭の中に入ってくるマイナスの思考)をお迎えする。そうなるともう、周りのいろんな人に電話しまくったり、あわてて走り回ったりしてしまいます。

向谷地 伊藤さんが心配マンにとりつかれると、すぐに分かります。急にばたばたし始めるんだね。「失敗するぞ」「周りの目を気にしろ」という意識が、自分の周りに次々花咲く。

伊藤 もう、どうしようもなくなるので、これに対処するために、心配ボックスにたどり着く前に、新たに「変換装置」を取り付けました。

向谷地 自分で新たに変換装置を開発。「安心ボックス」を設置したんですね。

伊藤 同じように苦労が襲ってきても、安心ボックスで自分の症状をモニタリング、分析して、仲間に相談したり、自分が困っていることを公開する。すると、安心ボックスから「安心マン」が登場して、「順調だね」「良くやっているね」と自分をほめてくれる。こうやって自分をほめる思考が自分に入ってくるように、努力しています。

向谷地 こういう自分を助けるための研究をして、一番の収穫って何ですか?

伊藤 冷静に自分を分析したら、どういう時に自分はどういう行動をとるんだということが分かるようになりました。でも、自分一人で内向的に悩んでいるだけでは、気づくのは難しかっただろうと思います。仲間と一緒に話し合うことで、気づかなかったことも知ることが出来ました。

まるで仕返しのように介護したい

向谷地 木林さんも最近、自分がなぜ過剰接待なのか考え始めたんですよね。

木林 ええ。私はべてるに来て十年目ですが、二十五歳から三十何歳までは、ある病院で入退院を繰り返していました。薬漬けでロボットみたいになっていました。過剰な介護は、私にとっては迷惑だった。例えば、介護で買い物をしてくれるんですが、特に下着を買われることにとても抵抗を感じていました。こういう異常な介護を十年間受けた結果、まるで仕返しのように今度は自分が人に介護してあげたいという気持ちが大きくなりました。
 その後、目の不自由な人がべてるに居て、三年前付き合うことになりました。去年の六月で別れましたが、普通なら私は数カ月で嫌になるのに、二年以上も続きました。それは、相手は目が不自由だということで、自分が看護師になったような気になっていたんです。愛情は一週間で冷めましたが、世話をすることが私にとっては楽しかった。
 べてるの作業所では、来客時に歌を歌って歓迎したり、べてるの説明をしたりするのが好きで、私の生きがいです。自己研究でだんだん分かってきたのは、前の病院ではたくさん介護されてきたけれど、私が本当にやりたかったことは介護されるんじゃなくて介護したかったんじゃないかということ。もう私もいい大人だし、人のために何かする方が楽なんです。でも、ちょっとやりすぎかもしれないから、人からアドバイスを受けながら、どのくらいの接待がちょうどいいのか考えています。

向谷地 自分を助けることについては上手になったと言える?

木林 はい。前の病院では付き合ったりするのはダメだと言われてきました。でもべてるの家では、恋愛は自由。自分たちでやれといきなり外に放り投げられたような気がして、病気を抱えながらどうしたらいいんだろうと最初は戸惑いや怖さを感じました。でも、べてるのシステムに支えられて、いろんなことを経験しながら自分の力で何かを生み出すことが出来ました。自分の中で何年も沈黙していたのが、こうして人前でマイクを持って話が出来るようになり、楽しくて夢のようです。

べてるは特別じゃない

向谷地 浦河では百人ちょっとのメンバーがいろんな活動に参加していますが、もしもみなさんが、この百人がみんな生き生きと活発に活動していると思っていらっしゃるなら、それは大間違い。ちゃんと引きこもっていて、薬を飲まないで具合が悪いか、服薬で苦労しているメンバーもいます。「それで順調!」なんです。
 本当にたくさんの出来事が日々起きます。はらはらどきどきするようなことがいつもあって、いろんなことをみんなで考える中で、この当事者研究というものが生まれてきました。
 当事者研究は浦河だから出来るという声もちらほら聞こえてきますが、決してそうじゃない。どこであっても、そこに一つの問いが生まれればその瞬間から研究が始まるというのが私たちの得てきた収穫です。

記 録:杉原幸恵
まとめ:編集委員 岡村こず恵

*「べてるの家」とは?
北海道襟裳岬の近くに位置する人口1万6000人の小さな町、浦河町にある。主に精神障害を抱えた人たちが地域で多種多様な事業を行う「社会福祉法人 浦河べてるの家」(小規模授産施設、グループホーム、共同住居)と「有限会社 福祉ショップべてる」からなる共同体の総称。現在約130人が働いている。

*二〇〇五年二月十一日に大阪府寝屋川市で開催された、こころほんわか講演会「地域の中で生きる〜べてるの家の軌跡」(主催「こころの病と共にあゆむ会」ほか)の一部をまとめたものです。


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Volo(ウォロ)は大阪ボランティア協会が発行する 市民活動総合情報誌であり、オピニオン誌です。
『月刊ボランティア』創刊1966年。『Volo(ウォロ)』と誌名を変更して2003年新創刊。一貫して「市民が主体的に関わることの大切さ」を伝えてきました。分野・セクターを越えた社会的課題に市民がいかに関わるかを独自のアプローチでタイムリーに発信しています。