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市民活動情報誌『Volo(ウォロ)』2005年4月号(通巻404号) 目次に戻る
アクティブ・シニアはどこへ行く

巻頭レポート

注目を集める「団塊世代」の去就と行く末

編集委員 吐山継彦

「団塊の世代」についての概観

 「団塊の世代」とは、戦後数年間のベビーブームの時代、一九四七(昭和二二)年から一九五一(昭和二六)年ごろまでに生まれた世代のことである。命名は作家の堺屋太一氏。四七年〜四九年の三年間は、前の世代と比較して二七%、後の世代に比べて二一%も人口が多いので、狭義の意味ではこの年代に生まれた人たちを団塊の世代と呼ぶ場合が多い。また、一九四三年〜一九五三年の十年間に生まれた世代を次のように分類することもある。

一.プレ団塊世代 :一九四三(昭和一八)年〜一九四六(昭和二一)年生まれ
二.団塊の世代  :一九四七(昭和二二)年〜一九四九(昭和二四)年生まれ
三.ポスト団塊世代:一九五〇(昭和二五)年〜一九五三(昭和二八)年生まれ

 これらの世代は、戦後すぐに子ども時代を過ごし、思春期から青年期にかけて経済の急激な高度成長を経験する。人口ボリュームが圧倒的に大きく、受験、就職、出世競争の熾烈な戦いを余儀なくされた世代である。

 この世代を象徴する言葉として、ベトナム戦争、安保、全共闘、ジーパン、ロック、ウッドストック(音楽祭)、ニューファミリーなどがある。生活のスタイルとしては、アメリカ型のアフルーエント(裕福)な暮らしにあこがれる反面、大戦を経験した親たちの厭戦気分を強く受け、ベトナム戦争をはじめ、すべての戦争に対して反戦の立場を表明する人たちが多い。

 一九四六年〜一九五〇年の出生数は毎年二百万人を超えており、現在、狭義の団塊世代人口は六百七十九万人とされるが、幅を広げて昭和二二年から昭和二六年の五年間で見ると、一千八十五万人にもなる。つまり、日本の総人口のほぼ一〇%に当たり、大きな社会的影響力を持っている。また、彼(彼女)らの子ども世代を「団塊ジュニア」と言い、普通一九七一年〜一九七四年生まれを指す。

 ちなみにアメリカでは、「ベビーブーマー(baby boomer)」と呼ばれる世代に当たり、一九四六年から一九六四年の間に生まれた人たちを指すようだ。団塊の世代よりも年齢幅が大きい。二〇〇三年時点で、全米のベビーブーマーは約七千六百万人と言われ、人口の二九%を占める。日本の狭義の団塊世代に当たる年代には、クリントンやブッシュ、ゴアなど、現在のアメリカのリーダー層の人たちがいる。

二〇〇七年から定年期を迎えて地域へ戻る人たち

 さて、これまでざっと「団塊の世代」について概観してきたが、もちろんこの世代に属する全員を一括りにして同列に論じることはできない。しかし、団塊世代の企業人(主に男性)ということになれば、彼らが二〇一〇年ごろまでに順次六十歳の定年退職を迎えることは自明であり、そのことの意味は大変大きい。

 一つには、日産のカルロス・ゴーン社長が言うところの「二〇一〇年問題」である。トータル支払い金額が百五十兆円にも上ると言われている彼らの退職金の問題は、過重負担に耐えかねて倒産する企業が続出するかもしれない、という戦々恐々の予測もある。また、ちょうどその頃から始まる慢性的な労働力不足の問題も大きい。

 もう一つの問題は、それまで企業人、会社人間として過ごしてきた団塊世代の男性たちが、家庭へ、地域へと帰っていく本人たちと社会の不安である。これは、NPO、市民セクターにとっても大変大きな意味をもっているし、うまく彼らに地域社会へソフトランディングしてもらうことは早急に取り組まなければならない課題であろう。

 どうも、団塊の世代の将来に関するイメージにはバラ色のものと灰色のものがあるようだ。

 灰色のイメージは、少子高齢化がますます進むなかで、人口ボリュームの大きい団塊の世代が高齢化、無職化していくことによって、医療や年金、介護の問題など社会保障の諸制度が危機に瀕し、社会の活力が失われていくのではないか、というものである。一方、バラ色のイメージは、団塊の世代は従来のシルバー層とは異なり、発想が豊かで、企業で培った技術や知識もあるし、まだまだ元気でお金もあるから、少子高齢化はいかんともし難いが、彼らの能力や経験、エネルギーを活用することによって、より成熟した社会が築ける、とするイメージである。

戦いの鎧を脱いだ企業戦士はいま…

 団塊の世代には全体として「強い」イメージがある。それは、おもに数の多さと企業戦士としての側面から来ていると考えられるが、この世代を批判的な目で見る向きもあるようだ。とりわけ、団塊より下の世代は彼らに対してかなりシビアな目を持っている。団塊の世代に対する批判的な言辞は、オヤジへの揶揄から、”団塊世代発展途上国型リーダー論“(行け行けどんどんのリーダー像)までさまざまだし、企業社会の中では団塊世代外しが始まっている、という観測もある。いろんな批判のなかで、筆者が特に興味深いと感じたのは次の二点である。

 一つは、団塊の世代は社会変革を日和った(逃げた)、というものである。これは、若いころ彼らの多くが学生運動や反戦・反安保闘争にまい進し、社会変革を声高に叫んだのに、運動が終息すると、資本主義の尖兵、企業戦士、会社人間となって、彼らが成し遂げるべきだった社会変革をサボった、というものだ。

 またもう一つは、これも日本の経済成長と大いに関係があるのだが、実は世界的な経済競争の激化は、日本の団塊世代がもたらしたものだ、という議論である。八〇年代に、日本株式会社、エコノミックアニマルなどと呼ばれ、世界経済を席巻したのは、日本発のリーン・プロダクション(lean=贅肉のない、つまり在庫を徹底的にそぎ落とした生産)システムであり、それを主体的に担い世界中に広めたのが団塊世代の企業人たちだった、というのである。

 これらの指摘が的を射ているのか、それとも的外れなのかはここでは問わないが、団塊の世代の多くが、企業戦士として経済戦争に参戦していたのは間違いない事実だろう。

 現在、日本の社会は九〇年代の「失われた十年」(二〇〇〇年代に入ってからも失われたままだ、との議論もあるが…)を契機とし、新しい方向を模索し始めている。そんななかで起こってきたのが中内帝国や堤王国など、権力一極集中的な企業の崩落現象である。もちろんすべての企業(人)がそうだったわけではないが、経済だけ、企業だけを見ていたのでは、間違った方向に進んでいても気がつかない、ということだ。

 国家と市場の二分法を超えて、NPO・NGO、市民活動、市民社会など、さまざまな名前で呼ばれる市民セクターが未来の方向性を模索すべき今、戦いの鎧を脱ぎ、刀を下ろした団塊の世代はどこへ行こうとしているのだろう……。 


特集座談会

団塊の世代と市民活動 「カギは政治と地域」

井上小太郎さん  (住友生命保険相互会社調査広報部次長)
坂本洋さん  (市民選挙プロデューサー)
藤井絢子さん  (滋賀県環境生活協同組合理事長)
[司会] 吐山継彦 (言葉工房代表、編集委員長)

期待と不安、でもなんとかなるかも

吐山 今日、五十歳代以上の今後の生き方について、ばら色イメージ、暗黒イメージ織り交ぜて、さまざまな指摘、論評がなされています。なかでも団塊の世代の企業人が定年退職を迎える二〇〇七年以降は、彼らの地域へのソフトランディングの問題や市民活動との関係を考えれば、我々も無関心ではいられません。今日は団塊の世代のみなさん自身が、こうした事象をどうとらえ、どういうビジョンを描いておられるのか、話し合っていきたいと思います。それではまず、活動歴も含め、簡単な自己紹介をお願いします。

藤井 私は学生の頃からハンパク(反戦のための万国博覧会)、ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)などの運動に参加しました。怒り、そして議論した、いい時代でした。その後、琵琶湖再生の問題に三十年ほど取り組みました。常に時代を先読みしながら環境問題に取り組んできたと自負しています。
 しかし、同じ時代の空気を吸っていたはずなのに、会社志向だけの自分の生き方に気づいていない同世代にたくさん出会います。そのたびに、二足のわらじを早く履くことを勧める一方で、「これはえらいことになるぞ」と心しながら彼らの地域復帰を待ち構えている状態です。

坂本 私は、母子家庭で育ち、母親は生活向上の期待をすべて私に向けました。大学まで入れてもらいましたが、時は大学闘争の真っ最中。セクト(政治組織)には属しませんでしたが、デモなどには参加しました。大学が正常化された後も、一度自分で否定したところには戻りたくなくドロップアウト。数々のアルバイトを経験し、子育て期の約二十年間は運送会社に勤めていました。要介護認定を受けた母親のケアのため会社を辞めましたが、母は亡くなり、今は市民が支える政治家のサポートをしています。妻は市議会議員です。
 企業戦士が地域に帰ることについては、期待と「大変だな」という両面の思いを持っています。団塊の世代は、自分の家庭さえよければいいと考えるマイホーム主義の人が多いので、マイホーム主義の壁をどう破り、地域を「マイタウン」にしていけるかどうかがポイントだと考えています。

井上 私は京都府丹波町の出身です。都会とは違って、進学競争を知らずに高校生になりました。大学時代は闘争にも参加せず、マージャンとアルバイトに明け暮れる毎日でした。大学の友人たちはデモやIVYルックなどに夢中になっていました。卒業後、今の企業に入社。一九八九年から社会貢献担当として、さまざまなNPOの人たちや地域社会にかかわるようになりました。
 私も年齢は団塊の世代ですが、特別意識することはありません。「二〇一〇年問題」なんてめくじら立てて騒がなくても、何とか乗り越えられるような気がします。私は、日本人ってもっとしたたかではないかと思っています。


(残念ながらインターネットではここまでです。あとは本誌でみてください!)



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Volo(ウォロ)は大阪ボランティア協会が発行する 市民活動総合情報誌であり、オピニオン誌です。
『月刊ボランティア』創刊1966年。『Volo(ウォロ)』と誌名を変更して2003年新創刊。一貫して「市民が主体的に関わることの大切さ」を伝えてきました。分野・セクターを越えた社会的課題に市民がいかに関わるかを独自のアプローチでタイムリーに発信しています。