2004年12月26日にインド洋沖を襲った大地震と津波。未曾有の大災害に、政府セクターが果たす支援の役割はあまりにも大きい。市民一人ひとりは、自らの存在の小ささに思わず立ちすくみそうになる。しかし、だからこそ、市民セクターが果たす役割や支援のあり方についてもあらためて考えてみたい。
政府セクターと市民セクター両方の視点をふまえたとき、その関わりの意味や方法論の違いはいかに整理されるのだろうか。
今回は、国家・地域を越えた大災害に、市民社会はいかに対応すべきかを考える。
インド洋津波災害救援におけるスリランカを中心としたシャプラニールの対応
大橋正明(シャプラニール代表理事、恵泉女学園大学教員)
困難な全容把握
十二月二十六日朝、タイの古都チェンマイのホテルに滞在中の私は、震度3程度の揺れを二度感じた。タイには地震がないはずなので、その揺れはホテルの安普請のせいだと思っていたが、昼の報道でそれがスマトラ沖地震のせいで、同時に発生した津波によりインドネシアのスマトラ島や外国人観光客の多いタイ南部の海岸で数百人の死者が出たと知った。
スマトラ島とスリランカを中心に死者二十万人超、被災者数百万人という未曾有な被害の全容が明らかになるのは、公式発表の死者数が鰻登りで増えていった日々を経た数週間後のことだ。激烈かつ広範囲にわたる災害では、被災者数や最悪の被災地などを把握するのに日数が掛かる場合が多い。被災地では調査より目の前の救援活動が優先するし、連絡しようにも通信手段が破壊されていることが少なくないからだ。だから緊急救援に当たる側は、全容を把握する前に行動を始めなくてはならない。
シャプラニールの救援原則と当初の対応
バングラデシュとネパールで貧困削減のために開発協力を行っている私たちシャプラニールは、次のような原則を持っている。この二カ国で大規模な災害があった場合には、通常の活動を中断し全力で自ら直接に救援活動に取り組む。また南アジアの他の国での災害では、地元のNGOを通じて救援活動を行う。二カ国以外で直接救援活動を行わないのは、現地事情に詳しくないし、しかも緊急救援が専門ではないからだ。さらに緊急援助の初動に必要な十分な資金を持たない私たちが現地で活動しても、効果的・効率的ではないし、却って邪魔になることもある。それに普段の開発協力活動を続けることも重要であるからだ。
このため私たちは翌二十七日、インド洋に面しているバングラデシュでの被災状況が軽微であることをまず確認した。また外国人リゾート客が多く、当初の報道も多かったタイ南部の被害より、スマトラ島やスリランカ、インド南部のタミル・ナードゥ州での被害が大きいことが次第に分かってきた。そこで、シャプラニールとしては日本で一千万円を目標に募金を呼びかけ、現地のNGOを通じて救援活動を行うことを決めた。
二十八日と二十九日で、スリランカとインドのタミル・ナードゥ州を対象地域とすることを決めた。前者にはネパール事務所長を三十日から調査のために派遣すること、後者にはその近くで日常的に活動している日本のNGOであるソムニードと協力し現地NGOを通じて活動すること、そしてなるべく早くバングラデシュ事務所長を派遣することとした。さらにスリランカでは最も規模の大きなNGOであるセワランカ(SEWALANKA)からの緊急要請に応じて、手元の資金を年内に送金し、救援活動の立ち上げに必要なものに使ってもらうことにした。
また二十七日からインドに移った私は、日本大使館や総領事館、JICA関係者や国連、現地NGOの友人たちに連絡を入れて情報収集に努めた。また現地のテレビや新聞を通じて、スマトラ島のすぐ北に位置するインド領アンダマン・ニコバル諸島での被害が甚大であることを知った。特に外部の人間の立ち入りが禁止されているニコバルの小島に住む幾つかの先住民族は、全員が死亡したという報道もあった。このようなあまり注目されない、政治社会的に難しい地域であるがゆえに、シャプラニールはこの諸島でも救援活動を行うことを決めた。もっともこういった事情のせいで、アンダマン・ニコバル諸島で活動するインドのNGOは極めて少なく、首都デリーにあるストリートチルドレンをケアするプラヤース(PRAYAS)と、災害専門のNGOであるシーズ(SEEDS)という二つのNGOを通じて支援すると決めるまでに、かなりの時間を費やしてしまった。ちなみに先住民族は、伝承された知恵で津波を予知し、すばやく避難行動を取ったので、甚大な被害は受けたが絶滅は免れたという報道が、後になされている。
スリランカでの救援活動と、意識したいくつかの点
シャプラニールが一番力を注いでいるのは、約三万五千人の死者・行方不明者を出し、インドネシアに続いて被害が大きかったスリランカである。先に述べたように十二月三十日から十日間ほどネパール事務所長を、一月中旬から三週間近く東京のスタッフを、そして私自身が数日間現地を訪問し、現地の複数のNGOを通じての救援活動の調整を行ってきた。
私たちが通常行う開発協力では、まず詳細な活動計画書を作成し、細かな条件を記した合意書を現地のNGOと交わした上で資金提供を行う。しかし今回のような災害救援の場合は、書類がきちんと揃わなくても相手を信頼して進めることが必要だ。この信頼関係の構築と、私たちの開発協力の経験や視点が役立つことを期待して、複数のスタッフを現地に派遣してきたのだ。いずれにせよ現地のNGOを信頼してその活動を支えることで、困難な状況下の人たちに、最も適切な形で、さらに必要なときに支援を届けられるはずだ。ちなみに公的資金や他団体の資金を使うと、説明責任という理由で、日本のNGOが物資の購入や配給を直接行うことや、全ての領収書の持ち帰りを求められる場合がある。
この過程で私たちが意識したのは、第二の津波のように押し寄せている外国政府や大規模団体の救援が見逃しがちな分野や対象、現地の人々の自発的な活動を支えるような活動を発見することであった。この結果、現段階では表のような支援を行っている。
もう一つ私たちが注意したのは、政治的なバランスだ。スリランカでは過去二十年以上に渡って、多数派のシンハラ人(シンハラ語を話す主に仏教徒)と少数派のタミル人(タミル語を話す主にヒンドゥー教徒)が激しい内戦を繰り広げ、これまでに六万人以上の犠牲者、七十万人余りの難民を生み出してきた。しかし政府とLTTE(タミル・イーラム解放のトラ)の間で二〇〇二年に無期限の休戦協定が締結されて戦火が止み、スリランカ北・東部の一部は、LTTEが実質的に支配する地域になっている。今回私がこの地域を訪問する際も現地のNGOの事前手続きが必要で、さらに入域の際にはパスポート提示と税関検査を経なければならなかった。つまりスリランカのなかに、対立関係にある別な国があるような状態なのである。
統計数字による正確な比較はできないが、この二重政府状態のせいで、北・東部の被災地のための緊急援助は、それ以外の被災地に較べるとかなり少ない、そのため復興も遅れている、と言われている。LTTE側も自力では復興を行うことはできないと言明しており、津波に対する外国援助の行方が、政治的焦点になっているのだ。人道主義に基づいて援助を行う日本のNGOもこういった事態に敏感でないと、偏った結果を招くことになりかねない。私たちも先達の日本のNGOや援助関係者の助言に従って、タミル人の人たちへの支援を行うように努めた。
(残念ながらインターネットではここまでです。あとは本誌でみてください!)
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