二十世紀は「科学の世紀」として、輝かしい技術革新の記録を残した半面、「戦争の世紀」として国家の争いの歴史を人びとの記憶に刻みこみました。そのような過ちを二度と繰り返さないと臨んだ今世紀も、その開幕と同時に飛び込んできたのは、テロルと戦争にはじまる世界への不安と、枚挙にいとまのないほどのさまざまな社会問題、そこから帰結する日常生活に直結する不安です。
そうした問題解決に向けた市民活動の広がりは、「市民の世紀」の開幕として大きな期待を寄せられていますが、今世紀もすでに四年が過ぎ、わたしたちの想像力をはるかに超える過酷な現実が、容赦なくこの時代を蹂躙しています。
しかし、わたしたち市民セクターが成長し、力をつけ、それぞれの活動を進めていく中から、より自由で公正な市民社会を実現していくためには、これから数年の「もうひとふんばり」と未来への見取り図(ビジョン)とが必要な時期に違いありません。この五年、十年は、日本の社会、世界にとって決して「失われ」てはならない時代なのです。そのためには、未来への想像力と、そこでの活動のありようが構想される必要があります。たえざる変化の真っ只中にあって未来への見取り図を思い描くことは、単なる空想でもなければ、現実逃避でもありません。市民セクターのミッション(使命)を実現するためには、ときに現実を凌駕する想像力が必要なのです。
ミッションを実現すること、それは長い旅に似ています。それは「地平線」をめざす旅です。いまここに立脚した定点から遠望される地平線への到達は可能です。しかし、目標の地平線を踏みしめた途端、また新たな地平線が眼前に広がり、わたしたちをさらなるミッションへの旅に誘うでしょう。こうしたプロセスにおいては、その都度の達成点を確認する手がかり、足がかりが必要です。そうでないと地平線のかなたの蜃気楼を追うような徒労を引き起こします。未来への見取り図を描くことは、現在の足場から次の到達点を指し示す羅針盤の役割を果たしてくれるのです。
今回、みなさんを『二〇一〇年「市民」の旅』と題して、七つの未来「市民」巡り(外国人市民、障害者市民、高齢者市民、企業市民、環境市民、若き市民、一般市民)にお連れします。二〇〇五年の玄関口にたたずむ今、いったいどんな市民社会が、わたしたちを待っているのでしょう。これから五年先の未来は、わたしたちの訪問を微笑みで迎えてくれるのでしょうか。
それでは、それぞれの「市民」の立場から描かれる二〇一〇年のオデッセイ(長い冒険の旅)へと出かけましょう。
編集委員 影浦弘司
2010年障害者市民の旅
障害者の自立観が普遍化していてほしいナ
牧口一二(被災障害者支援NPO法人「ゆめ・風基金」代表理事)
時の流れは本当に速い。年々スピードアップしていて、ぼくなどアッという間に六十七になってしもうた。この感覚でいえば五年後なんて明日のよう、夢など語れない。明日のよう……は妙にリアルで、それでいて今日ではない、明日も末来に違いない。二十四時間×三百六十五日×五年間=四万三千八百時間、これなら少し長く感じる。でも、ほぼ確実に予測できる末来なのだ。
二〇一〇年、二〇一〇年……と唱えていて、頭に浮かんだのは大阪市の地下鉄。確か地下鉄のすべての駅にエレベーターを完備させる年ではなかったか。交通局に問い合わせると記憶はバッチリで、「ええまち計画」完了の年だった。「ええ」とはエレベーターとエスカレーターのこと、そこに「良い」の大阪弁をもじったわけ。
われら障害者市民が大阪ボランティア協会を拠点に、地下鉄駅舎にエレベーター設置の要求運動を始めたのは一九七六年だった。当時、大阪市はすでに地下鉄が縦横に走っていて、交渉に出向いても「予算が取れない」「既存駅は構造上とてもムリ」と跳ね返された。だが、しつこく運動を展開していく中で、やっと新設の喜連瓜破駅にエレベーター第一号が設置された。一九八〇年十一月のこと、われらと交通局とが並んでテープカットして祝った。
運動を始めてから二十八年経ったいま、既存駅も含めた百十九駅中でエレベーター設置駅は九十八駅、全体の八二・四%にあたる。「既存駅はとてもムリ」と言われた当初を思うと夢のようだ。だまされた、とは思うまい。交通局も努力してくれたのだろう。
ここまで来るのに二十八年で八二%強、そして五年後の二〇一〇年に一〇〇%になる。はたして、これだけの年月が必要だったのか。それとも、不可能を可能に変えるにしては早かったと言えるのか。
何ごともそうだろうが、何かが変わるとき、どこかで市民が声を上げている。市民の声なくしては、その声が共感の輪を広げなくしては何も変わらない。これが民主的な社会のありようだ、と思う。
さて、二〇〇〇年五月のバリアフリー法制定が拍車をかけて、町はどんどん変わりつつある。よって障害者は一九七〇年以前と比べて格段に外出しやすくなった。障害者を町で何気なく見かけるようになると、知らず知らずのうちに障害のない者たちの人生観は豊かに変わっていく。さまざまな生き方を目にして、「障害者になっても大丈夫」「こんな生き方もありか」の想いが広がって「ちがうことこそ、ええこっちゃ」というノーマライゼーション思想の描く社会だ。
ぼくはいま、「学校めぐり」と称して十年後、二十年後を担う若者たちに障害者市民からのメッセージを語りかけている。まず自分に問うてほしい、「どんな人になりたいか?」と。そして他者を想い「どんな町で暮らしたいか?」を。この二つを繰り返し思い描いてほしい、と願っている。
障害者市民の五年後ということでは、長年かけて試行錯誤しながら創り上げてきた障害者の自立観、つまり他者の力を借りて一人では不可能なことを可能にしていくダイナミックな自立観、それが多くの人の共感を得て広がっているか否か、支援費と介護保険の統合、その賛否の激論の中から答えが出てくる予感がある。
従来の寂しい孤立につながる自立観に流されるか、障害者運動が創出させた新しい自立観を普遍化できるのか、その結果が出ている五年後になるだろう。
(残念ながらインターネットではここまでです。あとは本誌でみてください!)
|