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●石井 裕子さん・プロフィール●
1949年島根県生まれ、大津市在住。2000年にアメリカ・ウィスコンシン州大学ラクロス校にてクラウンキャンプを受講。その後、パッチアダムスワークショップなどさまざまな研修を受ける。現在、人間性心理学マスロー研究会にも所属。愛と笑いが心の癒しとなるための実践活動を「ケアリングクラウントンちゃん」で展開中。留学生受け入れや地域活動も活発に行っている。
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赤い鼻をつけたクラウンに心を開く人たち
私は、ボランティア活動や地域の活動にはずいぶん以前から関わって来ましたが、その中で、「最近、心を病んでいる人たちが多くなってきたなあ」と感じていました。そんな時に、衛星放送でアメリカの市民が土・日にクラウン(道化師・ピエロ)の格好をして病院でボランティア活動をしている番組を見たんです。その時は、「ケアリング・クラウン」なんて言葉も知らなかったのですが、なぜかものすごく心を惹かれたことを覚えています。でも、それはそれで終わっていたのです。
ところがある時、バルーン・アート(風船でいろんなものを作るスキル)をやっている人を紹介され、障害を持つ人たちのパーティに誘われました。会場へ行ってみると、風船でいろいろデコレーションがしてあって、虹のトンネルをくぐるとそこは別世界でした。それを見ただけで、すごく温かく優しい気持ちになりました。フェイス・ペインティングのコーナーもあり、障害者や家族の方がみんなニコニコしながら顔にペインティングをしておられました。他にもミニコンサートやゲームがあったりして、ピエロの格好をした人が会場を歩き回っているんです。それで、ヘェーと思って、前にテレビで見たのと同じ感じだなあ、と。
パーティの次の日に、バルーン・アートの講習をしてくださって、いろんなものの作り方を教えていただきました。「すごく楽しいですね」って言うと、「石井さんならすぐにクラウンにでもなれるわ」と言ってくださり、その方からアメリカに「クラウン・キャンプ」というのがあることを教えてもらったんです。
クラウン・キャンプというのは毎年ウィスコンシン州大学ラクロス校でやっていて、世界中から大道芸やサーカスのクラウンたちが集まってきます。技を磨きあったり、いろんな新しいグッズ(帽子や衣装、小物など)を買い集めたり、勉強したりするキャンプなんですが、大半はプロのパフォーマーなんです。日本からもプロの人たちが世界の“クラウン界”の動向をつかみ、技術を磨くために来ておられました。でも、私はプロのクラウンになる気は全然なくて、あくまでも興味があるのはボランティアとしてのケアリング・クラウンでした。
私は、二〇〇〇年の春に思い切ってクラウン・キャンプの基礎講座を受けたのですが、自分でも、何かが後ろから背中を押してくれたような気がします。心に悩みを抱えた人の話を聴くとき、相手の方が石井裕子という個人に心の内を話すのと、赤い鼻をつけたクラウンに話すのとでは、相手の人の心の開け方が少し違うように感じたのです。「これを勉強してみたいなあ」と心の底から思ったんです。そういう強い思いがなかったら、五十歳を前にしてそんなことを考えないでしょう(笑)。
キャンプでは、プロのクラウンだけでなく、自分自身が心の傷を負っている人や、親やパートナーを亡くした人、がん患者さんなどが来ておられました。そして、そこでクラウンに癒され、自分の心を回復してまた元の自分に戻っていかれる。クラウン・キャンプはそういう役割も果たしていました。「来年もキャンプに来られるかなあ」と、キャンプに来ることが自分の元気につながっているんですね。「また、会えてよかったね」と、がん患者が祝福し合って、とってもニコニコされているというシーンもあります。
私は二〇〇〇年にはじめて行って、次の年にも行って、二〇〇二年は行けなくて、二〇〇三年にもまた行きました。今年は、パッチ・アダムスさんの関係で声をかけていただいて、南イタリアのがんセンターとか刑務所、難民収容所や知的障害者の養護施設などを回りながらクラウニング・ツアーをさせてもらったものですから、キャンプには行けませんでした。
「ケアリング・クラウン・トンちゃん一座」の活動
「ケアリング・クラウン・トンちゃん一座」は今四人です。私たち夫婦と友人夫婦でやっています。二人の夫の協力のお陰で活動できていますので、とっても感謝しています。うちの人はまだ現役のサラリーマンですので、最初は車の運転や荷物運びを手伝ってもらっていたのですが、今では立派なクラウンとして一座の大切なメンバーです。
私たちの夢は、来年夫が定年退職後いつの日か、一座で北海道から沖縄まで、日本中をクラウニングして周ることです。あちこちの温泉に浸かりながら、ボランティアで病院や福祉施設を訪問して歩く。日本の男性は定年退職後、いかに地域へ戻るのか、というのが大きな課題ですが、夫婦が同じ道を共に歩めたらいいですね。老後のライフワークとしてこれを続けていくことによって、自分たちも元気でいられるし、皆さんにも元気になっていただくことができるでしょう。
ケアリング・クラウンの実際の活動がどんなものかというと、まずコミュニケーションを取ることに力を注ぎます。高齢者や病気で弱っている人たちは、「私なんかもうエネルギーも力もない」とよくおっしゃるんです。そこで、「でも、トンちゃんはエネルギーが欲しいんですけど…」と言うんです。すると、「もうこんな年になって誰の役にも立たんし、もう生きとっても仕方がないんだ」などとおっしゃる。「そうですかぁ? じゃあ、ちょっとエネルギーがあるかどうか試してみましょう」と言って、握手をするんです。握手をしながら、「ちょっとしか力が残っていないなんておっしゃったけど、今トンちゃんのところへ**さんのエネルギーが来てますよ」と伝えてあげたら、本当に嬉しそうにニコッとされますね。「ごめんなさいね。ちょっとしか残っていなかったエネルギーかもしれないけど、今トンちゃんはそれを頂いてます。でもね、トンちゃんも貰いっぱなしでは嫌だから、今、こちらからエネルギーを**さんに送っているつもりだけど、どうでしょう? 私からエネルギーが行ってますかねぇ?」って尋ねるわけです。相手の方は、私がその人のエネルギーをもらっていることを表情と身体で表現したのを見ていますから、同じように「来てますよ、来てますよ」とおっしゃるんです。「ああ、よかった。これでお互い様ですね」と(笑)。
そんな感じで、とってもフレンドリーな関係ができて、相手の方はどんどん元気になっていかれます。そして、そういうコミュニケーションを取った後で、たとえば風船を飛ばしてキャッチしてもらったり、ペンシル・バルーン(細い風船)でいろんなものをつくったりして楽しむんです。
私たちの活動には「定番」のプログラムはありません。その時その時に出会う人たちは、一人ひとりみな顔が違うように、年齢や症状、経験などぜんぶ違いますから、それをどう受け止め、受け入れるのか……ということなんです。だから、受け入れられる自分をまずつくらないといけない。そこが、ケアリング・クラウンの難しいところでもあり、また面白いところでもあるのです。
「精神的なブルジョアになろう」が父の口癖でした
実は、私たちは五年前から、月に二回自宅の一階を地域の人たちに開放しています。三人目の子どもが社会に出たのをきっかけに、夫と話をして、そうすることに決めました。要は、美味しいものを食べていろんなお話をするサロンのようなことをしているんです。うちにホームステイしていたドイツからの留学生が、その場を「フィーレン・ダンク」(Vielen
Dank=多謝=Many thanks)」と命名してくれました。多くの人たちにお世話になっていますからね。
幼稚園児から高齢者まで誰でも、ここへ来たら、材料費程度のカンパ(三百円〜四百円)で、私と夫の作るお料理をバイキング形式で食べていただいて、生理的欲求を満たした上で、楽しい会話をしていただく。家の玄関と、市民センターの支所に告知のチラシを貼ってあるだけなんですが、多い日は、三々五々、五十〜六十人の方たちがみえます。
こんなことをやっているものですから、時々「クリスチャンですか?」って訊かれることがあるんです。でも、夫はお寺の息子ですけど、私はどちらかというと、無宗教なほうです。基本的に私の考え方は、みんなが幸せだったら、私もニコニコできる、ということだけなんです。「他人の不幸は蜜の味」なんて言いますが、私は人が幸せな時に自分も喜べる人間になりたい、というところがありますね。そういうのは両親の影響が強いかもしれません。
私の両親は、満州から引き揚げてきて、たいへん貧乏もしたんですが、私たち子どもにはぜんぜん貧乏と感じさせずに育ててくれました。そして父の口癖が、「精神的なブルジョアになろう」というものでした。金銭的・物質的なブルジョアには一生懸命働けばなれるかもしれないけど、精神的なブルジョアになるには小さい時からの積み重ねが必要だ、とよく言ってましたね。
どこかに遊びに行くにしても、お金がなくても楽しいところということで、母がおむすびをつくってくれて、私の友だちなんかにも声をかけて、みんな一緒に近くの山へ連れて行ってくれるんです。行く途中で、木や花の名前を教えてくれたり、いろんな楽しいことがありました。そして、皆でおむすびを食べるのですが、本当におむすびだけだけれども、それがどんなに楽しい一日だったことか。そういうふうに精神的に本当に満たされた子ども時代を過ごさせてくれたことが、私の今の活動とどこかでつながっているのかもしれませんね。
編集委員 吐山継彦
*1 「ケアリング・クラウン」とは?
クラウン(道化師、ピエロ)の格好で病院や福祉施設などを訪問し愛と笑顔によって、コミュニケーションを促し、心のケアをする活動。1980年代半ばの米国で、パッチ・アダムスなどによって始められ、すぐにヨーロッパにも広がった。ホスピタル・クラウン、クラウン・ドクターとも呼ばれる。オランダには、クリニック・クラウン(クリニクラウン)という、専門的に病気の子どものケアをする臨床クラウン制度がある。
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