今回の特集では、「市民活動にもっとエンターテイメントを!」という提言をしたい。活動として誰かを楽しませること、また活動の中で自ら楽しむこと。そして、それによって
もたらされる精神浄化と活動エネルギーの補充。 これらのことを、ぼくらは取材させてもらった市民活動の皆さんから教えていただいた。
最近、エンターテイメントの力を強烈に再認識させてくれたのは、韓国の連続テレビドラマ「冬のソナタ」だった。中年世代を中心とした数多くの日本女性たちが、主演の「ヨン様」ことペ・ヨンジュンに首ったけで、韓国通いをする女性たちも多いと聞く。
この現象が画期的だと思うのは、いわゆる「日帝支配三十六年」の間に培われ、戦後も根強く続いてきた日本人の韓国・朝鮮(人)に対する謂れなき頑迷な偏見や差別意識が、あのテレビドラマ(エンターテイメント)一本で溶解させられてしまったことだ。もちろん、「溶解させられてしまった」というのは言い過ぎ、もしくは言葉の綾で、在日コリアンに対する就職差別や結婚差別がなくならないという現実はある。しかしながら、日本社会の中でキムチやチマチョゴリまで含めた“コリア的なるもの”全般に対してのイメージが少なからず変わったのは間違いないだろう。もちろん、それ以前にもサッカー・ワールドカップの日韓共催があったが、スポーツもまたエンターテイメントである。
エンターテイメントには力があると思う。それは人々を和ませ、感動させ、共鳴させ、鼓舞し、癒す力である。市民活動は、そういうエンターテイメントからもっともっと力を貸してもらうことが必要だと思う。
ところが、日本社会、そして市民活動“業界”には、エンターテイメントを軽んじる傾向もあるようだ。マジメなこと、頑張り、真剣さ、重々しさ、克己などには、大きな価値を置くが、楽しんだり楽しませたり、泣いたり笑ったりすることにはあまり高い評価をしない。
その典型的な例を「自粛文化」に見る。昭和天皇の死や阪神・淡路大震災の時の日本社会の自粛ぶりの“見事さ”は忘れられない。関東大震災の時にも、「芸能排斥の嵐が吹き荒れた」という。お笑い番組を見たり、スポーツを観戦して楽しむことが、あたかも罪のような空気は非常に息苦しい。
しかし、阪神・淡路大震災の時はかなり早い段階で、避難所などで歌や演芸を披露してくれる市民や芸能人、ボランティアグループが出てきて、特に子どもたちや高齢者の精神的ケアにはとても大きな役割を果たしたことにも言及しておく必要がある。本当は、そのような深刻な時こそ、心身を元気にするエンターテイメントが必要なのだ。9・11の同時多発テロの際、ニューヨーク市のジュリアーニ市長(当時)は、土曜日深夜の人気お笑い番組に出演して、「笑っていいんだ、笑おうよ」と、笑うことによって元気をつけ、日常生活を取り戻すことを市民たちに呼びかけたのだ。
市民活動の世界は、悲惨な事態や深刻な状況に遭遇し、それらと格闘しなければならない場面も多いが、実はその中に、無数の小さな“エンターテイメント”があるのではないかと思う。そうでなければ、ボランティア・市民活動の世界に、あれほどの活気と哄笑、そして感情と感動が満ちているわけがない。
究極のところ、エンターテイメントとは「楽しむこと」、また「楽しませること」であり、その根本エレメントは「泣き」と「笑い」、つまり感動・感情である。「泣き」にも「笑い」にも、カタルシス(精神浄化作用)が伴う。発散することによる精神の浄化、あるいは心の無化である。また、ひいき球団の応援にもロックコンサートへの参加にも、コメディや悲劇の観劇にもカタルシスはある。だから、終わった後はスカッとする。
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平安末期の歌謡集「梁塵秘抄」の中に、次のような有名な歌がある。
遊びをせんとや生まれけむ、
戯れせんとや生まれけん、
遊ぶ子供の聲きけば、
我が身さえこそ動がるれ。
「遊ぶ声」を聞けば、動く市民はもっと増えるはずだ。楽しんでこそ市民活動、遊んでこそ人生、なのだから……。
編集委員 吐山継彦
(残念ながらインターネットではここまでです。あとは本誌でみてください!)
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