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●坪谷令子さん・プロフィール●
1948年神戸市生まれ、1981年以来、隣接の明石市に住む。神戸市で10年間小学校教諭を勤め、後に子どもの本の世界に入る。
1977年刊『せんせいけらいになれ』の挿画以来、灰谷健次郎氏との仕事が多い。作品世界でいのちの本源を問い続ける氏との共作は、常に、絵だけではなく、生きる姿勢をも問いただされるものであったという。
絵本には『ろくすけどないしたんや』『チューインガムひとつ』『星砂のぼうや』『先生はシマンチュ一年生』など。絵物語としては『いえでぼうや』『風の子保育園シリーズ』ほか。挿画には『天の瞳』『風の耳たぶ』『子どもへの恋文』など多数。
また、他の作家と組んだ作品も多い。最新作・『いのち』も注目されている。
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—坪谷令子さんといえば、灰谷健次郎さんの『星砂のぼうや』や『先生はシマンチュ一年生』の絵から、元気でかわいい子どもの表情や海の生きものたちが思い浮かびます。それから沖縄の青い海と空が。
声ひとつ、歩き方ひとつにも、一人ひとりの子どもの性格とか内面が表われるわけでしょ。それを、表情や体つき、しぐさとして描き分けているつもりではあるの。一人ひとり、いとおしい存在ですものね。
昨年出た『先生はシマンチュ一年生』は灰谷さんの住む沖縄・渡嘉敷島が舞台。
わたしはね、海辺で育ってる。以前はスキューバダイビングもやってて。海にもぐるとね、魚や珊瑚など、いろんな生き物たちが、懸命に生きている。刻々微妙に変化する明るさや輝き。あっちでさんざめき、こっちで揺れ、まるで交響曲の世界なのよ。その心弾むカラフルな海をどう表現できるかなっていつも考える。魚の気持ちまでも描いてみたいなんて思って、ね。
灰谷さんは、島の漁業組合から許可をもらって「潜り漁」をされるんですが、ヤスを持って潜るでしょ。すると魚はね、分かるの。脅威を感じて逃げるの。わたしは素潜りだし、何も持ってない。浮いているだけ。するとね、魚はわたしにはニッコリ近寄ってくるの(笑)。
武器はダメ。魚も人間も同じ。
一九九三年に描いた『星砂のぼうや』。星砂は有孔虫類でね、ほんとにきれいな海でしか生きられないの。(本をひらいて)ここは、ぼうやが戦争中のことを聞いている場面ですが、艦船がやってきて、何日も何日も火の雨を降らせ……。そして……海は濁り、魚はいなくなり、華やかだった珊瑚はかたちさえも失なってしまって……(しばらく沈黙)。
それから、長い時を経た今、星砂のぼうやはいのちの再生を目の前にして、うれしくなり、そのあと、悠久の時の流れを暗示させて物語は終わるのね。
こんなふうに子どもたちといっしょに”いい世界“を思い描きたいじゃないですか。
—魚一つも丹念に具象で描かれる坪谷さんが、今年出版された永六輔さん・文の『いのち』では、色、形とも、ギリギリまでそぎ落とした抽象画です。ここに至った道すじを聞かせてください。
地震のあと、いろんないきさつがあって、永六輔さんと出会いました。しばらくして永さんから原稿をいただいたんです。でもわたし、地震のあと絵が描けなくなって。長ーい試行錯誤をしました。段ボール箱いっぱいになるくらいのいろんな絵を描いて。でも描いても描いても自分で納得できないんです。
そんな中で今から三年くらい前、蜜蝋(注1)を使った絵の技法をたまたまテレビで見て、関心を持っていたところに、偶然、本物の蜜蝋に巡り会ったんですよ。山形で蜜蝋をつくっている人が神戸へ来てて。
かつてわたしは小学校教師をし、保育園の子どもたちの絵にも関わってきました。子どもとともに”いのち“そのものと向き合うことをしてきた気がする。花を描くときは、種や球根にまず思いを寄せる。そうして描いた花は生きている。子どもは見えない”いのち“に自分を重ねられる。形をなぞるだけではダメなのね。それで蜜蝋に出会ってね、ずっと思い続けてきたことが、これでかなうような気がしたの。
実際、蜜蝋と削り取るようにして描いた線に、熱を加える過程で指した絵の具が飛び散り、にじみ、混ざり、まるで”いのち“が交歓しているようでした。わたしが描いたというよりも、そこに新たないのちが生まれたというような。形や説明を超えたイメージそのものとして。その絵に、永さんが新たな文、というより詩ですね、それをくださり、また描き直したりして時間がかかりました。よくぞ待っててくださったと永さんや出版社の方々には詫びながら感謝してるんです、ほんとに。
—ただ技法を探って何年もかかったというのではなく、坪谷さんの場合、その間にいくつもの市民活動にも関わり、多くの情報を積極的に発信し続けていらっしゃいますね。その意味は大きいと思うんですが。
これだけ日々つらいことやたいへんなことが押し寄せてくる世の中で、なんにも批判もせず、ただ流されるのは無責任だと思う。その理由は二つあってね、ひとつは先ほどお話しした、子どもの表現に関わってのことね。子どもから表現の原点を学ばせてもらった。もうひとつは阪神・淡路の地震。怒ってるうちはわたし、元気です。このごろは疲れてますが。
地震の前から、この明石の海を埋め立てるとか神戸空港建設など問題がいろいろあったけど、地震が篩の役目をしました。篩って分かるかしら?
ここに篩があるとしましょ。その中にいろいろ放り込んで、こうして振るったら、細かいものが全部落ちちゃって、大きなものだけが、しかもまん中に寄って来る。あの感じ。いっぱいあってわけ分からなかったのが、人々にとって何が大事なのか、振るわれたおかげで見えた気がしたの。
たとえば、教育、福祉、まちづくりから政治の問題ね。そんなバラバラにあると思っていたものが実は根っこでつながっているということが見えたわけ。根っこに据えられた”いのち“を大切にしましょうよという思い。それぞれは、その太い幹からのびる枝であり葉であり、実。下で全部つながっていたんですね。人もバラバラにいて、全く違うことをやっているようだったのに。するとね、根っこにいのちを据えていないような動きは、どっかに嘘があるんじゃないの、と気が付いたわけ。
神戸空港も明石の埋め立ても要らない、これはいのちをないがしろにするものじゃないかと、ね。
九七年に「灰谷健次郎といのちの広場展」を神戸市三宮のフェニックスプラザで開きました。仲間たちがそれぞれの場でやっていたことを、一堂に展示・発表するイベントです。農業も漁業も環境問題も障害者・子ども・教育の問題も、みんな”いのち“という点でつながっているのね。
映画上映会や被災地のガレキの展示など、みんなで問い合いながら空間をつくっていきましたよ。いま、何を知らなくてはいけないか、いま、何を大事にしていくのか、って。あの時間は貴重でした。その後、被災地発”人間復興“誌『WAVE117』にも関わりましたが、いつもわたしの中には”これって、ほんとにいのちを大切にすることなの?“という問いがあるんです。
地震直後、海に面した我が家の横の公園には仮設住宅が建ったばかりだというのに、もう埋め立てて人工海岸をつくるための土砂を運び込むんです。びっくりした。海流を断ち、藻場を荒らし、生態系を乱し、わたしたちの”いのち“の破壊へとつながるじゃないですか、危機感を持たなければウソですよ。弱いいのちから壊されていく……。
永六輔さんは「あなたは三十六億何歳ですか?」と問われます。これが次の絵本の主題ですね。地球ができて、生物が現れて、三十六億何千万年もの細胞を継いであなたのいのち、わたしのいのちがここにあるのよね、と。悲しい事件、シンドイ締め付け、暗くなることばかりだけど、わたしたちみんな、おたがい愛しい存在じゃない? ほんとは。
絵本『いのち』の中に、地震体験が、いまもってわたしの中に脈々と流れていることを改めて感じました。
—今いちばん大切に思って関わっていらっしゃるのは何ですか。
二年前からね、京都の花園大学で、わたしがプロデュースするかたちで、さまざまな分野の七人の方たちと「現代のメディア文化」の授業を通して学生たちに”伝える“ことをしています。情報社会の中でメディアリテラシー(メディア批判)をしつつ、自分らしい生きかたを目指すことが、ひいては平和をつくるんだということを学んでほしいと。若い人たちに戦争に行ってほしくない、戦争のできる国にしてはいけない、との一心です。
彼らにね「平和の反対は何?」と聞くと、「戦争」って答えます。もちろん平和でない究極の状態が戦争でしょう。でもね、あまりにも観念的・短絡的すぎる。身の回りにいっぱいあるでしょう、イジメや差別、人権に関わること、人を断罪して事足れりとする心情など。「平和の反対は、平和でないこと」。平和はつくらないとできない。努力しないと手に入らない。子どもにはね、そういうことを絵本の中で感じ取ってもらいたい。政治的意図を持つ宣伝としてでなく、祈りとして。
一人ひとりがそれぞれとして輝いていられるように、というね。
根っこでみんなつながっている。「神戸空港いらない」も「自衛隊はイラクから撤退して」もみんなつながっている。「日の丸・君が代を押しつけないで」も、「沖縄の基地拡大強化はやめて」もね。
三十六億何歳のわたしたちが、今できることをするしかないのよね。子どもたちがいのちの根源を教えてくれていたのに、わたし、気が付かないでいた。知らしめてくれたのが地震だった、なんて、ねー。
根を張った木を思ってみて。うんとしっかりした根っこだと、ちゃんと枝葉まで目いっぱい育ちあえるじゃない。根は”いのち“、ね。そこを大事にするしかないんだよねって。人殺していい、戦争してもいい、なんてだれが子どもに説得できますか? なのにね、政治、経済・企業、もしかして教育の分野さえ、「〜けど」、「〜でも」で、くつがえす。目の前の儲けや競争のために。「いのちを大切にすること」さえモノサシにすれば、やっちゃいけないこと、やらなきゃいけないことが見えるのにね。
そうすると、目の前の海が汚れていくことと、子どものいのちが危うくされることとがつながって見える。海を守ろうなんてことではない。海のほうが人間たちに警鐘を鳴らしてくれている。
大人がね、絵本を子どもと見ながら魂のレベルで共感する世界を持っていたら大丈夫。経済最優先のもとで、ひたすら子どもを教え導く、管理するという世界は幸せでないですよね。
そのことを分かってくれる人々に励まされ、そんな人たちとのつながりに希望を見いだしているのでしょうね、わたしは。あきらめたらいけないですよね、未来の子どもたちのためにも。
常任運営委員 錺栄美子
(注1)蜜蝋:ミツバチが巣を作るときにできる、巣箱からはみ出した部分を煮て溶かし、ろ過して冷やし固めたもの。ミツバチが集める花の種類や花粉の色で少しずつ色合いが違う。 本文に戻る
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