1970年代のウーマン・リブから80年代のフェミニズム理論の深化を経て90年代に大きく前進してきたかに見られていた男女平等、女性の地位向上に向けての取り組み。ところが、ここ2、3年、強い「ゆりもどし(バックラッシュ)」に見舞われているという。その現状をリポートするとともに、市民運動としてこの問題に関わってきた人たちの取り組みと意見を紹介しよう。
激しい「ゆりもどし」の動き
女性差別撤廃、男女平等社会実現へのゆりもどしの動きが本格化し始めたのは二○○○年頃からのことである。これは、その前年(六月)に男女共同参画社会基本法が制定されたのを受けて国の男女共同参画基本計画が策定され、自治体でも同様の条例が検討され始めた時期にあたる。
二○○○年秋の三重県での、男女共同参画推進条例制定を巡っての保守系議員による条例制定反対の動きを皮切りに(この時は、結果的には条例は原案通り可決された)、○一年から○二年にかけて、静岡県、大阪府、千葉県等で、男女共同参画の動きそのものへの批判や、条例骨抜き化への動きが強められた。そして、その一つの節目となったのが、○二年六月に制定された山口県宇部市の男女共同参画推進条例である。
| 【年表1】バックラッシュの動き |
| 2002年6月 |
山口県宇部市、ジェンダーフリーの立場に立った当初案 でなく、男らしさ女らしさを一方的に否定することなく男女の特性を認めあい」とか「専業主婦を否定することなく」などの表現を加えた男女共同参画推進条例を制定。 |
| 6月 |
「行き過ぎたジェンダーフリー教育や性教育から子どもを守る」との目的を掲げて、民主党義議員78人が健全な教育を考える会を組織。 |
| 9月 |
自民党少子化問題小委員会、ジェンダーフリー教育が少子化対策に悪影響と批判。 |
| 11月 |
内闇府、政府がめざす男女共同参画社会は性差を否定するものではないとの見解を自治体に通知。 |
| 2003年2月 |
ジェンダーフリーを謳う干葉県の男女共同参画促進条例案廃案に。 |
| 3月 |
秋田県、公文書でのジェンダーフリーという表現を見合わせることに決定。ただし、「ジェンダーにとらわれない」などの表現は使用。 |
| 4月 |
新潟県白根市立茨曽根小学校で、男女混合だった児童の出席簿を校長の独断で男女別名簿に改定。 |
| 7月 |
鹿児島県議会、県内の幼稚園、小・中・高校でのジェンダーフリー教育をしないよう求める陳情を採択。 |
| 9月 |
徳島県議会、男女共同参画社会づくりに当たり、男女の特性と区別を認めることなどを求める決議案を可決。 |
| 10月 |
石川県議会、2001年に制定された県の男女共同参画推進条例の運用にあたり、「社会の制度や慣行を尊重し、慎重に運用するよう」との請願を採択。 |
| 2004年2月 |
官房長官、自治体の男女共同参画推進条例でのジェンダーフリーという表現を認めない姿勢を表明。 |
| 3月 |
青森県、県の公的文書でジェンダーフリーの表現を使わないことを決定。 |
| 3月 |
山口県教育委員会、2002年に作成した男女平等教育の手引書に使用されているジェンダーフリーという言葉が誤解を与える恐れがあるとして、手引書の使用をやめるよう県内の校園に通達。
福岡市、ジェンダーフリーという言葉は誤解を与える恐れがあるとして使用を控えることを言明。副読本も書き換え。 |
| 3月 |
桑名市議会、2002年に制定した男女平等条例の改定を決議。ジェンダーフリー排除へ。 |
| 3月 |
福島県教委、ジェンダーフリー教育を基本方針に掲げる県立橘高校に、方針の表現を見直すよう指導。 |
| 4月 |
干葉県教委、ジェンダーフリーは性差や「男らしさ」「女 らしさ」を否定するものではないとして、生徒指導に当たって誤解を招かないよう要請する通知を県立高校等に送付。 |
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| 【年表2】男女平等・女性の地位向上に向けてのこれまでの歩み |
| 1967年 |
国連、女性に対する差別撤廃に関する宣言採択。 |
| 75年 |
国際婦人年。
国連・国際婦人年世界会議開催(第1回世界女性会議:メキシコシティ)。世界行動計画採択。 |
| 76年 |
国際婦人の10年スタート。政府、女性の地位向上に向けての行動計画策定。 |
| 79年 |
女性差別撤廃条約採択。 |
| 80年 |
国連婦人の10年中間年世界会議開催(第2回世界女性会議:コペンハーゲン)。日本、女性差別撤廃条約に署名。 |
| 84年 |
国籍法が父母両系血統主義に改められる。 |
| 85年 |
国連婦人の10年世界会議開催(第3回世界女性会議:ナイロビ)。「2000年に向けての女性の地位向上のためのナイロビ将来戦略」を採択。男女雇用機会均等法成立。日本、女性差別撤廃条約批准。 |
| 87年 |
政府、2000年に向けての新国内行動計画を策定。 |
| 91年 |
育児休業法成立。 |
| 93年 |
国連、女性に対する暴力の撤廃に関する宣言採択。 |
| 94年 |
国際人口・開発会議開催(カイロ)。リプロタクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する女性の自己決定権の尊重)を明記。高校での家庭科男女共修実施。 |
| 95年 |
第4回世界女性会議開催(北京)。日本、家庭的責任を有する男女労働者の機会及び待遇の均等に関する条約を批准。男女共同参画2000年プラン策定。 |
| 96年 |
法制審議会が選択的夫婦別姓制度の導入を含む民法改正案を発表。 |
| 99年 |
国連、女性差別撤廃条約選択議定書採択。男女共同参画社会基本法制定。 |
| 2000年 |
男女共同参画基本計画策定。 |
| 01年 |
配偶者からの暴力防止法(DV法)制定。男女共同参画会議、仕事と子育ての両立支援策の方針に関する意見発表。 |
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この条例には、後で紹介する男女共同参画社会基本法の基本理念に反するような文言『男らしさ女らしさを一方的に否定することなく男女の特性を認めあい』が盛り込まれた。以後、自治体の男女共同参画推進条例制定や男女平等教育の推進をめぐってゆりもどしの動きが顕著になってきている(年表1参照)。
そもそも基本法には何が書かれているのか?
年表2にもある通り、男女共同参画社会基本法制定に至るまでには、一九六○年代後半以後の世界的、また国内的なさまざまな取り組みの背景があった。主なものだけを拾っても、七五年の「国際婦人年」とそれに続く「国際婦人の十年」の取り組み、その中間での女性差別撤廃条約の採択(と日本の署名・批准)、八五年の男女雇用機会均等法成立、九一年の育児休業法成立、九五年の男女共同参画二○○○年プランの策定、等々。その過程ではほぼ一貫して、伝統的な(とこれまで思われてきた)性別役割規範(意識)の解消と性差別の撤廃が目標とされてきた。
こうした点について基本法も、「我が国においては、(略)男女平等の実現に向けた様々な取組が、(略)着実に進められてきたが、なお一層の努力が必要とされている」との認識を示しつつ「男女が、互いにその人権を尊重しつつ責任も分かち合い、性別にかかわりなく、その個性と能力を十分に発揮することができる男女共同参画社会の実現」が緊要な課題であると謳っており、女性差別撤廃、男女平等実現に向けての国際的、国内的な取り組みの流れに沿ったものとなっている。
しかし、そのことが「ゆりもどし派」の人たちには、国の男女共同参画会議や地方自治体の男女共同参画審議会はフェミニストに乗っ取られており、そのまま放置しておけばフェミニズム思想が行政公認の政策として全ての国民に押し付けられると感じられているようだ。そのフェミニズム思想の中心概念として槍玉に上がっているのが「ジェンダー」や「ジェンダーフリー」という考え方である
鍵となる「ジェンダー」という概念
ジェンダーという用語はもともと、フランス語やドイツ語などで名詞の性を表現する言葉として使用されていたものだが、それが、女性解放・フェミニズムの運動の中で、生物学的な性(セックス)と区別される社会的・文化的な性(いわゆる男らしさ・女らしさや性別役割規範)を表現する用語(概念)として用いられるようになり、定着してきた。
私たちが日常の経験を通して知っているように、世の中には、身体も大きく力も強い女性もいれば、身体が小さく力の弱い男性もいる。性格の荒々しい女性もいれば繊細な男性もいる。それは、一般的には性による差異が比較的顕著と思われてきたこれらの側面でも個体差を無視できないことを示している。まして、知的能力の差異や社会的役割に関する適性といったことに関して言えば、さらに一層、性差よりも個体差の方が大きいに違いない。
にもかかわらず、従来の社会制度や慣行は、個体差(その人らしさ)よりも性差に重きを置き、科学的根拠が必ずしも明確ではない男らしさ・女らしさを社会的に強制することで、男性を含む多くの人びとから「その人らしい」自然な生き方を奪ってきたとフェミニズムでは考える。そして、そうした社会制度や慣行からの個性(その人らしさ)の解放を訴え、目指してきた。その主張のキーワードがジェンダー(社会的・文化的性差)であり、ジェンダーフリーである。ジェンダーフリーとは、ジェンダーの固定化をなくすこと、その束縛から自由になることと考えられている。
「ゆりもどし派」の主張
「ゆりもどし派」の人たちは、「ジェンダーフリーは男女の性差の全否定である」「男女共同参画政策が進めば、トイレや風呂も男女共用になる」「男女共同参画政策は専業主婦という生き方を軽視し、否定している」等々の主張をおこなっているが、その主張の中心は、「男女共同参画は、夫婦別姓など世帯単位でなく個人単位の諸制度を導入し、社会の基本単位である家庭や家族に関する制度を破壊し、社会的安定を破壊する」というところにあるようだ。
彼らにとっては、ジェンダーという用語(概念)によってフェミニストが問題にしてきた社会的・文化的性差も、生物学的な性差(セックス)から直接的に導かれる「自然な」差異であって、男らしさ・女らしさという性別行動規範も、男は外で働き、女は家庭内で家事・育児という性別役割分業も自然な状態と認識されているように思われる。
そこから「ゆりもどし派」の人たちは、そうした自然な(と彼らが考える)性別行動規範や性別役割分業を廃棄しようとするフェミニズムに嫌悪感を覚え、ゆりもどしに躍起となっているようなのだ。
以下に、市民運動としてこの問題に関わってきた三人の方々の取り組みと意見を紹介しよう。
個々の選択を画一化することにNOを
SEANの場合
”ゆりもどし“の風圧が強まり、男女共同参画、あるいはジェンダーフリーという言葉で語ることが難しくなってきた今、どうすれば、社会的に作られた性差にとらわれない生きかたを伝えられるのか。ジェンダーに関するさまざまな講座・調査活動や保育サポート事業を展開している大阪府高槻市の特定非営利活動法人「SEAN」は、〇三年度の一年間、中学・高校生向けのオリジナル教育プログラム「G―Freeプログラム」を展開してきた。このほどまとまった報告書をもとに、代表の遠矢家永子さんに、プログラムの意味や、教育現場における市民活動について聞いた。
社会に潜むジェンダー
- 夫婦間・恋人間の、男性から女性への家庭内暴力(DV)や性暴力、あるいは児童虐待が後を絶たない理由。
- 〇一年に少年院に収容された青少年のうち、男子が約九割、女子一割という差。
- 自殺者の多くを占めているのが中高年男性
- 摂食障害に苦しむのは、多くが女性。
「こうした社会的問題にも、実はジェンダーがひそんでいます。ジェンダーが抑圧になると、自己や他者への否定が生まれ、暴力を生み出すことがあります」と遠矢さん。また、最近参加したある講演会で、「イラクで四月、男女三人が拘束された人質事件でも、女性が前に出てはっきりものを言うことについて、嫌悪感を持つ人が多かった」という話を聞き、ジェンダーの根深さを感じたという。
今の十代にとって「男女平等」は当たり前のことだが、実は「女に期待されること」と「男に期待されること」が別に存在し、知らず知らずのうちに、その枠組みに押し込められているという。この「隠れたジェンダー」に気づいたうえで、マイノリティーも視野に入れた人権を理解し、自分の将来を自己選択できる社会を築いていこうと実施されたのが「G―Freeプログラム」だ。子どもの時にあるがままの自他を受け入れるための人権教育を目的に、助成金を受けて実施された。
プログラムは大阪府・兵庫県の中・高八校で実施。「ジェンダーにとらわれずに生きたい!」「性別は”女“”男“の二つだけ?」などのテーマを設けながら、ロールプレイやグループ学習を交えて計二〜四時限の授業を行った。報告書では、ジェンダーに対する生徒たちの意識の変化を調べるため、プログラムの実施前と実施後に行ったアンケート(回収数は八百四十〜七百九十)をまとめている。
女への期待、男への期待
女子は家事を要求されたり、礼儀作法をうるさく言われたりすることが多い一方、男子は将来「稼ぎ手」になること、体力をつけて他人に負けないことを求められがちだ。授業では、こうした性差による、さまざまな事例を思いつくまま出し合った。
「女と男で期待されることに違いがあると思いますか?」の質問について、授業前は「たいへん思う、やや思う」が五〇%、「あまり、まったく思わない」が四五%だったのに対し、一時限終了後はそれぞれ七六%、二三%となった。「勉強して例を出していったらたくさんあったのにビックリした(中学女子)」「男は勉強していい大学にいって、いい会社に入ることを期待されていると思う(高校男子)」という声などがあった。
●用語解説●
*インターセックス(半陰陽)
外性器の外観では性の区別をつけ難く、出生時の外性器によって決められた性と個別の染色体(男性なら染色体の組み合わせがXY、女性ならXX)とが違う状態。 |
プログラムのもう一つの重要な視点は、多様なセクシュアリティーの確認だ。同性愛という性指向だけでなく、インターセックス(*)など体の違いもある。単純な性の二分化は、偏見を生み、差別と暴力につながっていく。だから、「暴力の再生産を食い止めるため」の教育でもあるのだ。ジェンダーを語る際、どうしても男女の対立という視点から語られがちだが、マイノリティーの存在に目を向けるためにも必要なのだ。
このように、「ジェンダーフリー」を声高に強調するのではなく、生徒たち一人一人の身近な体験に引き寄せて、自分の生き方に対する「自己決定権、自己責任」を考える機会をつくるのが、このプログラムの目的だ。「G―Free」と柔らかい名称を付けたのも、こうした思いと無縁ではない。
対立を力に変えて
「バックラッシュ(ゆりもどし)は、ジェンダーについて考えている私たちサイドの運動のあり方を見直すいい機会だと考えたい」と遠矢さんは主張する。
「『女だから男にまけず強くなりなさい』など、知らず知らずの間に従来とは逆のジェンダーを押し付けてしまう場合もあります。いわゆる女らしい、男らしい生き方を望む人を否定するのではなく、『個々の選択を画一化することについてNOと言う』ことです」
他のNPO、市民グループとの連携も重要だ。「目的を共有していてもちょっとした方法論の違いで対立しかねない状況もありますが、そうなったら「ゆりもどし派」の思うツボ。例えば『ドメスティックバイオレンス(DV)をなくしたい』という共通理念を確認したら、ゆるやかなネットワークでつながっていく必要があるのだと思います」
SEANは今後、この報告書をもとに、「バックラッシュ派」の主張にはしっかり異を唱えていきたいと考えている。「ジェンダーフリーの教育によって、自分の人生を自分の手に取り戻し、多様性を共存させていくことの大切さを伝えたい。このアンケート結果は、ジェンダーフリー教育の意義を示す貴重な資料になると思います」
あらゆる方法を探る
メンズセンターの場合
ジェンダーは、女性だけの問題ではない。男性の側からジェンダーフリーの実現を目指している活動拠点「メンズセンター」(大阪市)の運営委員長、中村彰さんに、バックラッシュをはじめとする昨今の動きをどう受け止め、いかに対応しているかを聞いた。
男を取り巻く環境の変化
メンズセンターの前身、メンズリブ研究会が発足したのは一九九一年。最初は、社会から「無視」されていました。次第に理解が深まってきたのが、センターが発足した九五年頃。その後九〇年代末にかけて、リストラなどの問題がクローズアップされ、私たちが主張してきた男性の生き方を問い直すということが必然的に社会に迫られてきました。
その流れは、今も続いていると思いますが、注目が集まる分、「無視」されていた頃とは違い、反発も受けます。メンズセンターが「ゆりもどし派」から露骨に攻撃されたことはありませんが、さまざまなバッシングが起こっているのでしょう。だから、見せ方の工夫、仕掛けが必要なのだと思います。
見せ方の工夫
自治体と行う男女共同参画を目指す催しでは、今は、「ジェンダーフリー」、「男女共同参画」という言葉をあまり使わなくなっています。
もちろん、自分たちのメッセージを伝える言葉が存在するのに、避けていいのか、という論議もあります。確かに、言葉が使えないのは悔しいけど、現在の状況として、私たちは、まず「アプローチできる機会をつくる」ことを優先すべきと考えています。まずは関心を持ってもらわなければ。言葉を使わないこと自体は、中身そのものの後退、自治体サイドの過剰反応、というわけではないと思います。
大阪市のある生涯学習センターの人権プログラムを企画した際、タイトルを「男のちょっと寄り道講座」と名付けました。仕事帰りにちょっと、飲みに行く気軽さで別の寄り道もしてみませんか、という狙いです。内容は、男女共同参画の実現につながるものですが。まず近づいてもらい、中身を正しく理解してもらえば、どんな言葉を使っても大丈夫のはず。
「敵」を避けずに歓迎しよう
ある自治体で聞いた話ですが、昨年六月の男女共同参画週間に、啓発講演会を企画したところ、「ゆりもどし派」の議員が参加しました。行政サイドは、変な質問などされたら、と身構えたようですが、終了後、「私が思っていた男女共同参画の意味と、今日聞いたことはまったく違った。とても大事だ」と議員が行政職員に言ったそうです。もちろん、一日でその議員の考えが変わったのかどうかは分かりませんが、理解の場が何よりも重要だという事例です。
行政のみならず、市民運動をしている人に共通の課題は、単に「身を守る」という発想ではなく、「どのようにかかわれば、考えが異なる人に理解を求めることが出来るのか」です。そのためには、「どのような問題があり、どう動き、どんな反応があったのか」ということについて、横の情報交換が求められるでしょう。今は、しっかり対応できるデータを整えつつ、工夫を凝らす時期だと思います。
●用語解説●
*北京JAC
(Japan Accountability Caucus, Beijing)の略。95年に中国・北京で開かれた「第4回北京世界女性会議」の行動綱領の内容を日本の政策として実現することを目的にせつりるした民間団体。今年10月、大阪で北京JAC第9回全国シンポジウムが開かれる。 |
私たちも昨年は、「高齢社会を良くする女性の会・大阪」と一緒に催しを行いました。同じ目的を共有しつつ、女性とはまた違う智恵を出し合える。今は、北京JAC(*)の分科会を持とうとしています。
生きかたを伝える
バックラッシュの問題のあるなしにかかわらず、男女共生を訴えるのは常に難しい。まずは、自分にとっても相手にとってもお互いに生きやすく、尊重しあえることをアピールする路線があってもいいのでは。
たとえば、男性サイドからすると、労働環境の改善が大きな問題なわけですが、労働組合や経営陣などと意見交換、連携することも必要です。最初からジェンダーフリーを説明するのではなく、「こんなふうに働きやすい環境をつくれば、業績があがるんだ」というように。
男女共同参画やジェンダーフリーが進んだ社会は、これらの言葉を嫌悪する人にとっても生きやすいはず。また、反対派の人がいう「伝統」がどの時代を指すのか、あるいは、夫婦別姓の国は多いけど、秩序が乱れているのかどうか、など、一つ一つ説得できることもあると思います。
二十七の主な批判意見に回答
日本女性学会の場合
それでは最後に、ジェンダーの概念を発展させ、ジェンダーフリー推進の運動を理論的側面から支えてきた人々は、近年の動向をどうとらえ、いかに対応しているのだろうか。
二〇〇三年三月、日本女性学会は『Q&A・男女共同参画をめぐる現在の論点』(以下、『Q&A』)をまとめた。これは、二〇〇〇年頃から次第に強くなり始めた男女共同参画社会、ジェンダーフリー、フェミニズムなどへの批判やバッシングに対して、その論点を整理して回答したものだ(左頁の資料)。
作成のきっかけは、政策批判への対応の仕方について、主に行政当局から学会への相談が増え始めたことによる。「男女の区別をなくすなど、けしからん。おまえ自身はどう考えているんだ」。男女共同参画に関する政策に批判的な人々から行政担当者個人の意見や見解を求められ、回答に窮してしまうというのだ。政策は、担当者個人の見解ではなく法律や条例などに基づいて行われることが原則である。そのため、法律やビジョンに書かれたジェンダーの理念に基づいて、概念を説明するためのノウハウが求められていた。
こうした現場の声を受け〇二年十一月、学会会員で「男女共同参画をめぐる論点研究会」(以下、「研究会」)プロジェクトを立ち上げた。その成果物としてまとめた『Q&A』は、行政の政策現場だけでなく、ジェンダーに関連する社会的課題解決を目指すあらゆる活動場面で役立ててもらえるよう、主だった二十七の批判意見に回答する形式とした。著作権は「研究会」にあるが、転載自由としてウェブ上で公開している。そこには、変革の学、行動の学である女性学としての姿勢が見て取れる。
言論には言論で
「脇が甘かったところがあった」。「研究会」のメンバーの一人、内藤和美さん(群馬パース学園短期大学教授)は指摘する。批判意見を整理して見えてきた一つは、「多様なかたちをとって行われている批判のほとんどが、(意図的かどうかは別問題として)誤解あるいは曲解に基づくものであるか、単なる懐古的な主張であること」だった。それでもなお、内藤さんが「ジェンダーフリー」を唱える側に厳しい目を注ぐのは、この表現が議論や検証を十分されることなく、便利さゆえに多用された点が否めないとみているからだ。だから「今こそジェンダーについて再び議論を深める必要がある」。こうした動きも踏まえ六月十二日から二日間にわたって鳥取県倉吉市で実施された日本女性学会では、「ウーマン・リブが拓いた地平」をテーマにシンポジウムを開催。フェミニズム理論や女性学が、運動にいかに有効であるのかが問われた。
今後も言論には言論で応えていく。「一人ひとりの性のあり方、ひいてはその人らしさを大切にしていこうという点では、意見の一致を見出せるはず」と内藤さんは現状打開の道を探る。今後も大胆でしかも柔軟な発想を大切に、かつ、大義を見失うことのないよう、粘り強く議論を深めていきたいとしている。
戦略は多様でも、理念は変わらない
以上、男女共同参画、女性差別撤廃の取り組みに対するゆりもどしの現状と、そのことに対する活動家や研究者の見方を紹介してきた。正直に言って、三人の方々の姿勢は意外なほどに自制的でソフトだ。「いたずらにゆりもどし派の挑発には乗らない」ということなのかも知れない。メンズセンターの中村さんが言うように、「まず近づいてもらい、中身を正しく理解してもらう」という戦略はたぶん正しいものだと思う。
しかし、それにしてもなぜ、「ゆりもどし派」の人たちは、この時期になって男女共同参画、女性差別撤廃に向けての取り組みへの反転攻勢の動きを強めてきたのだろうか?
恐らくそれは、彼らの理想とする社会のあり方と男女共同参画社会のあり方が基本的な部分で矛盾することを彼らが感じ取っているからではないだろうか。「ゆりもどし派」の論客と目される人びとの論述からは、彼らが理想とするのは戦前の家父長制家族国家のような社会ではないかと思えるのだが、もしそうだとするならば、そこで大切にされるべきは個人(の特性や尊厳)ではなくまず国家であり、その最小単位である(と彼らが考える)家族だからだ。そのような考え方と、個人の特性や尊厳を第一に考える男女共同参画、女性差別撤廃の考え方とは基本的な価値観で相容れないように思われる。
そういう意味で「ゆりもどし派」の人たちは、ジェンダーやジェンダーフリーの概念を誤解してそれに反対しているのではなく、ある意味ではその概念(意味するところ)を正しく理解しているからこそ、これ程までに反転攻勢を仕掛けてきていると理解すべきなのではないだろうか。
だとすれば、ことは何も男女共同参画やジェンダーに関わるのみでなく、日本社会全体の民主主義の行方、個人を立脚点とする市民社会の行方にもかかわる問題と言えるかも知れない。
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