目次に戻る   バックナンバー一覧
TOP
大阪ボランティア協会の案内
市民活動総合情報誌『Volo』
定期購読
バックナンバー
TOP > 大阪ボランティア協会の案内 > 市民活動総合情報誌『Volo』 > バックナンバー> 特集

市民活動情報誌『Volo(ウォロ)』2003年12月号(通巻392号) 目次に戻る
市民の小さいメディアにかけた人生
 ―住民図書館とともに生きた四半世紀

インタビュー・執筆  出版部・飯田真友美

丸山尚さん
國學院大學文学部卒。出版社に勤務し、書籍、雑誌の編集に携わるうち、小さなメディアの可能性に着目。1971年日本ミニコミセンターを設立し、ミニコミの収集を始める。76年、住民図書館の設立に参加し、以後25年間財政難とたたかい無給館長を続ける。2001年12月、15万点にのぼる資料と共にミニコミの収集、公開、保存などの活動を「埼玉大学共生社会研究センター」に委譲。著書に『ミニコミ戦後史〜ジャーナリズムの原点をもとめて』(三一書房)、『ミニコミの同時代史』(平凡社)、『ローカル・ネットワークの時代〜ミニコミと地域と市民運動』(日外アソシエーツ)など。

ミニコミにはマスコミにない価値がある

 大学を卒業してから、十年くらい出版社で編集の仕事をしていました。ジャーナリズム関連の本を発行するために、有志が集まってつくった出版社です。ジャーナリズム関連のテーマだから、大手新聞記者や役員、テレビ局のディレクターなんかに書いてもらって本にすることがよくあるわけです。そのころ気づいたんです。大手のマスメディアにいる人たちは、マスコミュニケーションには詳しいけどミニコミには無関心で理解もないなあ、と。マスコミは、すぐに「大きいことはいいこと」的な発想で、メディアの価値を量で計ってしまいがちです。その極端な結果が、日本テレビの視聴率買収事件だったのではないでしょうか。

 冤罪事件ばかり手がけることでも有名だった、正木ひろしさんという弁護士を知っていますか? 彼は、第二次世界大戦中から戦後にかけて、「近きより」という時局に対する批判的内容のミニコミ誌を出し続けていました。もちろん戦時中には、何度も発禁処分を受けていますが、それでも出し続けた。当時の言論統制の状況下でそれができたのは、もちろん彼の熱意の賜物ではありますが、一つの要素として、ミニコミというものはそもそもメディアとしての枠組みが小さく読者も特定されるために、大きなマスコミにはない腰の強さというか、ゲリラ性、言いたいことをストレートに出せる強さを持っているということがあると思うんです。

 「近きより」の実物を手に取ったとき、わたしは、量的な価値にとらわれずに本当に価値のあるものを大事にしたい、そのために人生を賭けよう、と思いました。それで、会社をやめて、志を同じくする四人の仲間と一緒に、「日本ミニコミセンター」を一九七一年に設立しました。東京・新橋の、八階建てのビルの屋上に建っていたプレハブです。八階建てなのにエレベーターがないので、家賃が安かったんです。

 だけど、この仕事では全く食っていけないし、それどころか、毎月家賃が六万円くらいかかるから、その分も稼がないといけない。それで、著述業を生業として、いろいろな原稿書きや、ゴーストライターをしたり、編集技術の講習の講師をやったりしてきました。その合間に、日本ミニコミセンターの運営をやるわけです。しかし、全国からミニコミ誌を送ってもらって整理して配架し無料公開するという仕事を、ほとんど一人でやるのは無謀で無茶だと、ほどなく実感しました。経済的にも時間的にも肉体的にも限界に達して、三年目くらいで実質幕引きをせざるを得なくなったんです。住民図書館の開設話が舞い込んできたのは、その翌年くらいのことです。

あまりに貧しかった住民図書館

 資料センターというものは、場所と人と金を必要とします。だけどそれが全部揃うことなんて、有り得なかった。特に場所、スペースにはずっと苦労してきましたから、今でも広いスペースを見ると、ああ、これだけのスペースがあったら楽ができたのになあ、と思います。新宿にいたときに、百箱以上のミニコミ誌が開架できなくて、箱に入れたままでした。だけど、それを見たい人がやっぱり来られる。どの箱に入っているかはわかっているから、よいしょ、と開けるんですが、やっぱり最初から並んでいて自由に見てほしいんですよ。

 もちろん、お金さえあれば、広い便利な場所は確保できます。でも、住民図書館は、あまりに貧しかった。私自身は、二十五年間、住民図書館から一銭の収入も得ていません。ずっと手弁当だったし、何度か住民図書館に対して資金補填をしたことはあるけれども、もらったことはなかった。生活していくための時間のやりくりも大変でした。

 住民図書館をやめよう、と思ったことも、しょっちゅうです。特につらかったのは、家賃が無料だからと飛びついて移転したが、不便な場所で協力者も来館者も減ってジリ貧になったり、移転先の責任者の理解が乏しく「古いミニコミを廃棄して、公益法人の資料を入れる」などという方針を出されたときです。「ただより高いものはない」とはよく言ったものです。でも、苦労して教訓を得ても、また同じような話に飛びついてしまう。それほどまでに、窮していたと思ってください。

人的なネットワークに支えられた二十五年間

 場所と金は、まあそんな状況でしたが、それでも二十五年間住民図書館が続いたのは、やはり、人のおかげです。特に、活動資金を提供してくれた最大の理解者は、会員です。私は毎週水曜日に館にいることにしていたので、私に会いたいとか話をしたいという人は、水曜日に訪ねてきてくれます。そうじゃない人でも、私がいるときに来館してくださった方には「何を探しに来られたんですか」とか声をかけて、ほったらかしにはしない。それで話をしているうちに知り合いになって、つながりあっていくわけです。そういう人たちが、たくさん会員になってくれました。それから、運営委員。運営側に立って、できることをしてくれて、ずっと見守ってくれた人たちです。

 有給スタッフを雇用できた時期もありましたが、実際に館を維持するための業務、特に開館業務は、かなりの部分をボランティアが担ってきました。もちろんボランティアなので、どうしても、急に来られないということがあります。自分で交代を探してくれる人ももちろんいますが、それも無理な場合もある。私も遠くに講演に出かけていたりすると、もうどうしようもなく、閉館せざるをえない。館長の私にとっては、心理的には大変な負担でしたね。それでも、おかげさまで、ずっとボランティアが支えてくれました。ボランティアが全くいなくなった、ということは、一度もなかったんです。

 資料は利用してくれる人がいて初めて生きるものですから、利用者にフルに活用してもらう体制をつくらないといけない。「お客様は神様」なんですよ。そのためには事務的な要素を大事にしないと、安定した利便性は提供できません。資料は努力しないと集まらないし、それを便利に活用してもらうためには、時間のかかる整理作業が欠かせません。ここをきっちりしないと、資料を置いていても信頼されない機関になる。そうすると、利用者だって安心して資料活用ができなくなり、センターの意味はなくなってしまう。

 その点では、本当はボランティアだけでは運営には限界があり、お金を払って雇う方が確実で楽かもしれません。でもこれも、お金があれば、の話です。市民がつくる資料センターには考えられないことでしょう。大阪ボランティア協会で「ボランティア・市民活動ライブラリー」をオープンするということですが、鍵となるのは結局、人です。それも、実際に動いてくれる人。理屈を話し意見を出し合うのも無駄とは言わない、それはそれで大事なものではあるんですが、とにかく実務の量が多い資料センターは、実務をやる人がどれだけいるかが重要です。実務に加わってくれる人をどう増やし、育てるか。そして、肝心の資料を活用して命を吹き込んでくれるお客さん、来館者をどれだけ増やせるか。また、情報センターの重要性を理解してくれる資金協力者をどうつないでいくか。人的ネットワークこそが、市民の資料センターには最大の財産になるはずです。

自分がまずやってみる ―「自立の原則」が、市民社会の大原則

 こんな大変な住民図書館の運営を、なぜ市民の立場でやってきたか。それは、自分が必要と感じたことは、自分でやるのが当然だと思うからです。行政がやるべきだとかいう理屈は、やはり自分がまずやってみて、もっと社会全体に発展させる必要が生じたり、必要なのにどうしようもなくなったときに初めて考えるもので、そうなったら市民のパートナーとして行政とうまく役割分担をしていけばいい。自分がまずやってみる、という「自立の原則」は、市民社会の大原則です。全部人任せにするような形の「市民自治」は、自治じゃない。

 だから私は、住民図書館を資料運動と位置づけて、率先してやってきました。結局、資料をより生かすために、二〇〇一年に埼玉大学共生社会研究センターに全資料を移管し、住民図書館の役割を終えましたが、私は二十五年間にわたる無鉄砲ともいえる行為で、十五万点の資料を後世に残せたと思っています。

閉塞している?市民の情報発信の今

 今、「ミニコミ」という言葉は、本当に聞かれなくなっています。一方で、インターネットの世界では、市民活動の情報が、確かにたくさん出されている。だけど、インターネットの情報で、どのくらい人が本当に動いたんでしょうか? もしかしたら、市民活動の情報発信をする人は偏っていて、出す人はあれこれどんどん出すけれども、それに触発された人がまた何か書いて世の中に発信して、どんどん波及していくような広がりがなくなっているんじゃないか。今のイラク問題の情勢に、こんなに市民がモノ申さないのは、七十年代初頭の、ミニコミが社会にあふれていたときなら考えられないことです。私には、市民の情報発信の状況は、今むしろ閉塞しているように見えます。

 市民の特権は、自由にものを言うことです。小さなメディアを自由に作ることは、楽しいんです。ボランティアに関わる人は、いろんな体験や考えたこと、話したことを、もっと伝えてほしい。ミニコミでもインターネットでもいいけど、ともかく発信してほしい。身の丈にあった情報発信を、自由に使いこなしていけばいいんです。情報を、仲間内だけに送り出して自己満足していてはいけない。離れた市民同士がお互いに接点を持ち合うと、そこからエネルギーが生まれてきます。そんな基礎的なコミュニケーション作りが、どうも進んでいないように思います。自分の中にあるものをどんどん発信して、人と交流することで意思を高められる。それはやがて波及して、社会全体を変えていきます。もう一歩前に、踏み出したいものですね。

 二〇〇三年十一月




■住民図書館25年のあゆみ

1976年 4月 住民情報資料センター・公害問題研究会・日本ミニコミセンターの3団体を母体に、東京都新宿区に住民図書館オープン。ミニコミ600タイトルを所蔵。館長・丸山尚。賛同者として全国の市民運動家103名が名を連ねる。初年度の年間利用者数256名。
1980年 1月 維持会員制度発足。個人年会費6,000円、団体年会費20,000円。(82年からは、年会費2,000円の一般会員制が加わる)
1980年 9月 千代田区の市民運動全国センター内に移転。「ミニコミ公開講座」などを開催。
1983年11月 利用者減少(83年の年間利用者数56名)や運営上の諸課題を検討するため、「住民図書館の集い」開催。話し合いの結果、運営委員会が発足。160万円のカンパが集まる。
1984年 4月 自立をめざし、目黒区に移転。
1986年10月 家賃負担超過などを理由に、調布市に移転。
1987年 9月 世田谷区に移転。
1988年10月 ミニコミ関係者の全国集会「ミニコミ・トークイン」開催。(以後、2000年まで毎年開催)
1989年 全国のミニコミ情報をデータベース化する「データベース・ミニコミ総目録」作成プロジェクトに着手。
1991年 「ミニコミ・データベース」完成。
1992年 5月 『ミニコミ総目録』発行(4,709タイトル収録。住民図書館編、平凡社発行)。
1993年 6月 新宿区に移転。
1996〜97年 20周年記念募金を募り、約615万円集まる。
2001年12月 15万点に及ぶ全資料を現・埼玉大学共生社会研究センターに移管。住民図書館閉鎖・解散

目次に戻る


Volo(ウォロ)は大阪ボランティア協会が発行する 市民活動総合情報誌であり、オピニオン誌です。
『月刊ボランティア』創刊1966年。『Volo(ウォロ)』と誌名を変更して2003年新創刊。一貫して「市民が主体的に関わることの大切さ」を伝えてきました。分野・セクターを越えた社会的課題に市民がいかに関わるかを独自のアプローチでタイムリーに発信しています。