初心に帰る新年。
『月刊ボランティア』からリニューアルして一年が過ぎた『Volo』の編集長が、一九七〇年創刊の老舗雑誌『月刊むすぶ』編集長の四方哲さんと語り合った。
ともに市民活動情報誌とはいえ、その編集スタイルの違いは驚くほど。
示唆に富む編集者スピリットを紹介する。
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四方 哲(しかた・さとし)さん
1959年生まれ。信州大学在学中の1984年、株式会社ロシナンテ社に入社。90年9月から代表。『月刊むすぶ−自治・ひと・くらし−』は、年間定期購読で8,400円。問い合わせ、申し込みはロシナンテ社(電話・ファクス兼/075・803・3247)。
ホームページは
http://www9.big.or.jp/~musub/
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牧口 明(まきぐち・あきら)
1948年生まれ。元協会事務局次長。『Volo(ウォロ)』編集には『月刊ボランティア』時代の1975年以降かかわり、95年度〜現在まで編集委員長。コラム等の執筆に使っている号は夏目漱石の向こうを張って「枕流」。本職は、高齢者デイサービスセンターの施設長。「福祉」「人権」「ボランティア」を人生のテーマとしている。
注)「枕流」の意味は「意地っ張り」。
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進行:吐山継彦(はやま・つぐひこ)
企画編集事務所「言葉工房」代表。本職の企業や自治体のPR誌等の企画・編集業務の傍ら、大阪ボランティア協会・市民プロデューサー養成講座専任講師、三重県市民活動塾などで企画力・創造力アップのための
講師を務める。『Volo』編集委員、協会常任運営委員ほか。
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吐山:『Volo』最新号が三九〇号、『むすぶ』が三九四号。どちらも三十年以上続いています。まずは、『むすぶ』創刊の経緯を教えてください。
四方:伝え聞く話では、水俣、四日市など当時の反公害闘争の中で、交流の場になる媒体を作ろうという機運が、一九六九〜七〇年の「全国地域闘争シンポジウム」で出てきました。宇井純さんらが提起して、京都大学、同志社大学の学生たちが応じ、七〇年に『むすぶ』の前身、『月刊地域闘争』が創刊されました。
当初からの編集方針として「学者、ルポライターではなく、現場で直接運動にかかわっている人に書いてもらう。運動の連絡先を明記する」がありました。五百〜六百人から出資金を集め、株式会社として出発しました。
吐山:バックナンバーの目次を見ると、まさに「闘争の雑誌」ですね。特に、反公害、環境問題が多い。
四方:この雑誌にかかわる学生には理工系が多く、宇井さんに「現場に出ないと、現場の苦しみは分からないよ」と言われていたそうです。
吐山:牧口さん、二つの雑誌の過去の内容を見てみると、全然違いますね。
牧口:うちの方がだいぶソフトですね。
吐山:読者対象の違い、また『Volo』(旧『月刊ボランティア』、以後『月ボラ』)が組織(大阪ボランティア協会、以後ボラ協)の機関誌としての側面を持っていることの違いかとも思いますが、取り上げるテーマなどで制限される面はありますか?
牧口:うちはボランティア活動、市民活動の啓発誌、情報誌ということで、そういう視点からのテーマの取捨選択はありますが、あるテーマについてタブーにするといった制限はないです。『月刊地域闘争』も後半になると、まちづくりなどの視点が入ってきますよね。
当初は数年でやめるつもりでした。これで食べていくのは大変ですから。
四方:確かに最初は、文字通り「地域闘争」でしたが、初期の頃から消費者運動も入ってきました。闘争という言葉にはセクトやイデオロギーなどを連想させますが、より現場主義的な視点を持った創刊時の人は賢かったと思います。食品、アトピーの問題などのテーマは七〇年代から取り上げていました。少なくともマスコミが取り上げる「二歩先」を進んでいたかもしれません。
牧口:『月ボラ』は一九六六年七月創刊。ボラ協の発足が六五年十一月。最初は事務局で取材、編集し、六七年六月号から編集委員会を組織しました。最初はB5版四ページです。
吐山:ボラ協の発足で、なんらかの機関誌が必要だったのですか?
牧口:当時はボランティアという言葉が耳慣れない時代でしたが、協会の発足に関わった人たちは「奉仕」という言葉ではくくれない、市民の連帯や自治、民主主義という考え方を持っていたと思います。そういう点からの啓発誌の必要性ということは意識されていたと思います。
私が直接編集に関わったのは七五年からですが、それ以前に、大学の先輩を通じた、現理事長である岡本榮一先生との出会いがありました。
ボランティアとの接点
吐山:四方さんにとって、ボランティアという言葉に対するイメージは?
四方:僕が進学した信州大学は、山を越えて新潟県に入ると原発があり、住民運動があった。私も牧口さんも同じように大学の先輩にだまされて、現地へ連れ込まれたわけです(笑)。
また、七〇年代後半には障害者がまちへ出ようという運動がさかんになり、私も「介護」で参加していましたが、ボランティアという意識はありませんでした。この二つの体験が、今の仕事を始めるきっかけになったと思います。
牧口:あのころは、介護者集団の人びとがボランティアという言葉を嫌っていました。
吐山:それはなぜ?
牧口:「上から下へ」というイメージを持たれていたのでしょうね。
四方:障害のある人と日常ベースで付き合うことは、ある意味ドロドロしている面が出てきます。きれいな横文字で片付けられたくないという思いもありました。
吐山:ロシナンテ社に入られたのは?
四方:大学時代、社会的なかかわりを持ちたいと、学校の外側にある障害者、反原発のグループとお付き合いしていました。そこで偶然『月刊地域闘争』を見かけ、たまたま社員を募集していたのです。周囲の年上の人に比べ、僕は根無し草だったから、仕事をするのもいいんじゃないかと思いました。そこで一度京都の事務所へ顔を出したら、「夏からどうだ」と。履歴書、入社試験もなし。大学に籍を置きながら、八四年夏から始めました。とはいえ、当初は数年でやめるつもりでした。これで食べていくのは大変ですから。
吐山:そのころの『月刊地域闘争』が取り上げていたテーマというと?
四方:農業問題、食べ物、ゴミ、リサイクルなど。新鮮でした。消費者問題には「ぜいたく」なイメージがありましたが、「食」から社会を考える大切さを教えられました。
吐山:現在はこの雑誌で食べておられますよね。
四方:専従は私一人ですよ。安い時給で学生に手伝ってもらい、企画は私が考えます。
吐山:これを一人でほとんど全部やるのは、本当にすごい。
四方:九〇年夏、二代目の前代表から引継ぎ、三代目の責任者に就任しました。先代との六年間で、私は主に営業を担当したことが後々役立ちました。全国の各運動体に順番に電話して「買ってください」とお願いするのです。その結果、北から南まで「何の運動をやっている人がどこにいるのか」が頭に入りました。
大切なのは、自分たちの社会は自分たちで良くするという志だと思います。
告発型? 参加型?
吐山:両誌の違い――『月ボラ』があまり取り上げていないのは公害や環境です。でも、九〇年代あたりから似通ってきたと思います。時代を経るに従い、地域闘争と市民活動が融合してきている気がします。
牧口:そうですね。ボラ協あるいは『月ボラ』が追求し、役割を果たしてきた一つに、告発型・おまかせ型民主主義ではなく、参加型民主主義を目指してきたことがあります。行政などに対して文句も言うけれど、自分たちができることは自分たちで動くと最初から言い続けてきました。
僕は全共闘世代で、反戦運動や部落解放運動などにも参加しましたが、それらの運動もボランタリーな活動の一つだと思っていました。要は、自分たちの社会を自分たちで良くするという志が大切で、その手段は取り組む課題の性質による、と。ただ、反戦運動や解放運動の仲間には理解されなかった面がある。
吐山:四方さんは、阪神大震災後のボランティアブームやNPOブームをどう思われますか?
四方:僕たちは告発型の市民運動です。八〇年代半ばから、情報公開オンブズマンという運動体が認知され、さらに九〇年代、住民投票という具体的な市民運動が始まった。これら一連の市民の動きを見てきたから、今はNPOが一つの社会的な枠として存在してもいいかな、と思っています。
一方、日本社会でNPOという運動が本当に根ざすかには疑問がある。お金集めは大変だし、行政や企業に取り込まれていく危険性もある。
だから、僕たちが忘れていけないのは、「文句も言うよ」という精神と、「もっている情報をだして、分かりやすく説明して」と行政や企業に要求することです。
吐山:告発型の運動も必要ですよね?
牧口:非常に抑圧されてきて、おカネも、政治的な力も、社会的な影響力もないマイノリティの集団が動くときには最初は告発型にならざるを得ない面があると思います。ただ、いつまでもそこにとどまっていてはいけないと思います。民主主義は共感性が大切ですから。
四方:全国的にも告発型住民運動は少なくなったと思います。ここ五年ぐらいで活動が目立ったのは薬害HIV関連と廃棄物処理場問題のほか、二、三の取り組みくらいでしょうか。さまざまな課題に対して告発するというスタイルは根付いているとは思います。NPOがしっかりと前進していくためには企業や行政から独立して動けるか、市民が入りやすい存在として成熟できるかが問題だと思います。
吐山:NPOというスタイルに多少疑問をもっておられるようですね?
四方:企業活動か、市民運動がしたいのか、いまいち見えないところがあります。特に高齢者福祉系には、企業イメージで参入しているところも多いですね。
マスコミに取り上げられない話をたとえ少数でも現場から丁寧に拾い集める
市民活動誌は「ヒューマンメディア」
吐山:本題に戻します。市民活動誌として、どんな点を心がけてこられましたか?
四方:マスコミに取り上げられない話を現場から丁寧に拾い集めることを、常に念頭に置いてきました。
吐山:天皇制に反対したり、オウム真理教のことでも、市民が受け入れないという問題に触れていますよね。これらを取り上げたのは『むすぶ』だけではないでしょうか。
四方:オウム特集のきっかけは、栃木県のある町で起こったオウム信者の転入反対運動です。オウムの一部は犯罪を起こしたけど、オウムの全てが悪いのか?、ということを、栃木県内で思っている人がいた。特集にすることに躊躇もしましたが、結果的には大きな反響があった。たとえ少数でも「何かを感じ取っている人」を取り上げるのは重要だと思っています。
今、市民側の本当の言葉を発信する場が少ない。その意味で『むすぶ』を出すことの自負はありますが、実売二千部は寂しいですね。万単位になれば社会的インパクトを与えることができるのですが。
吐山:一般の書店置きはされていますか?
四方:全国で十店舗程度です。だから、全国を行商しています。金も時間もかかりますが、「face to face」の関係ができ、『むすぶ』を一つの軸にして全国の運動体がつながる。世の中のIT化やマスコミに対するアンチテーゼとして、直接出向くという行為は、ネットワーク作りとしても有効だと思います。
吐山:『月ボラ』、『Volo』は、社会に対して何を伝えようとしているのでしょうか?
牧口:一つは、ボランティア活動を民主主義や自治の一環としてとらえる視点。創刊当時からの方針です。二つ目は、参加型民主主義の提案。三つ目は、ボランティア活動の市民化、普段着化。つまり、ボランティアとは特別な人がする活動ではないよ、という見方を広めること。四つ目は、ノーマライゼーション、共生の思想といいますか。あらゆる生活の場面における多文化共生を訴えてきたと思います。
吐山:マスコミの雑誌に比べると、市民情報誌の体裁やデザインは正直ショボイですね。それでも必要なのはどうしてなんでしょうか?
四方:今、インターネットの情報発信はとにかく早い。早さではかなわないからこそ、この雑誌を背負って全国を回り、熱い血が流れている人間の関係で世の中動くのだよ、と訴えたいのです。
牧口:ミニコミ誌に大切なのは、より生活に密着した現場からの情報発信です。顔が見える関係です。
吐山:これからデジタルメディアが主流になっていったとしても、写真や紙に触れる、めくる、人に渡す、といった行為は生き続ける。それは「ヒューマンメディア」だと言えると思います。市民活動誌は、この「ヒューマンメディア」であることが一つの強みであると言えませんか。
四方:うちのどろくささがヒューマンメディアかどうかは分かりませんが、今のIT社会に対するアンチとしては、ぼくはあと十年はやれるかと思います。どんな田舎へ行っても、問題意識を持っておられる方はいます。地方へ行けばいくほどマスメディアしかないわけですから、情報過疎地に住む人たちは、情報にある意味で飢え、欲しがっている。そういう意味で、私が歩きまわることを含め、ヒューマンメディアとして認めてもらえるならばうれしいです。
牧口:『Volo』でも、地方の方から「ラブレター」を頂戴します。一人で孤軍奮闘されている方から『Volo』を読んで励まされるとの声をいただいたりすると、本当に励みになります。
今後はアナログとデジタルのメディアミックスが鍵
熱い血が流れている人間のつながりによって世の中は動く
吐山:最後に、今後の市民情報誌、活動誌の課題と展望について聞きます。僕は、今後はアナログとデジタルのメディアミックスが鍵かなと思っているのですが…。
四方:情報誌は、不特定多数の人に「こういった声があるよ」と伝える手段ですよね。今後も、環境問題から、なかなか関わりにくい社会問題までいろんな問題とつながるスタイルはとり続けたいと考えています。インターネットだけで、そう簡単に広がるものではないですから。
牧口:ボラ協もロシナンテ社もホームページを持っていますね。少ない経費で多くの人に見てもらう可能性はある。情報誌だけではなく、いろいろな媒体を組み合わせるのは効果的かもしれませんね。
四方:一方で課題もある。『Volo』は、協会の機関誌でもあるので事情が違いますが、うちは売らなければいけません。しかしながら、九八、九九年を境に、どんな集会に行っても書籍関係が売れなくなってきた。活字離れ、インターネットの普及だけでは片付かない問題がある気がしますが、原因は分からない。
もう一つの問題は、『むすぶ』発行が私の生きざまになっていることです。一人の人間でこれだけやれるという提示にはなるかもしれませんが、この仕事をどう次の世代に伝えるかが次の課題です。決して私一人の営みにしてはいけないと思っています。その点、『Volo』は大阪ボランティア協会というしっかりした組織に支えられている。社会とのかかわり方という点では、王道を歩んでいらっしゃると思います。
牧口:『Volo』は、他に仕事を持ったパートタイム編集者が“よってたかって”作ってます。責任の分散も、時には問題になる。目標は、もっとページ数を増やし、部数を伸ばすこと。万年の赤字、専従編集者一人という体制を改めていきたいです。
四方:これで「食っていける」というリアリティと、「企画」というはざまでどう展開していくかも課題ですね。
吐山:お互い作り方や売り方は、非常に対照的な側面を持っていて、それぞれに課題がありますね。
四方:マスメディアに出るものとは違う民衆の声を載せる、そういう媒体を万単位の部数で発行できるという文化が日本にないとだめだと思うのです。そういうネットワークをぼくらのような情報誌が作らなくては。そのためにも、インターネットだけではなく、体温が感じられるような関係を作っていく必要性を強く感じます。私たちはバーチャルな世界で生きているわけではありません。ボタン一つ押せばなんでもできる。そんな世界はやっぱり少し“寒い”と思います。科学技術の発展は確かに障害者の人たちにとって福音でしょう。しかし生老死、最後は生身の人間同士。サシで話ができた方がいいと思います。そんな媒体として『月刊むすぶ』が生き抜けたら、それはそれで嬉しいです。
吐山:本日は長時間にわたって、ありがとうございました。
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