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●有森裕子さん・プロフィール●
1966年岡山県生まれ。89年日本体育大学卒業後、(株)リクルート入社。92年のバルセロナ五輪で銀メダル、96年のアトランタ五輪で銅メダルを獲得した。98年にNPO「ハート・オブ・ゴールド」を設立。02年には国連人口基金親善大使に就任した。米国コロラド州ボルダー在住。 |
NPO「ハート・オブ・ゴールド」や、国連人口基金親善大使として、カンボジアを中心にボランティア活動をされていますが、カンボジアとの出会いについて、教えてください。
きっかけは、アトランタのオリンピックのあった年の十二月に、知人に誘われてカンボジアであったハーフマラソンに参加したことでした。地雷の影響で多くの人が義足で生活していることは知っていたので、一度、自分の目でそうした現状に接するいい機会だ、という軽い気持ちでした。
ところが、そこにあったのは見たこともない風景で、私はどう表現していいのか分かりませんでした。ただ手足がないからかわいそうというのではなくて、そうした状況でも懸命に生きようとしている人に対して、「かわいそう」という言葉は適切でない。でも、何といったらいいのか言葉が見つからなかったんです。
だから、翌年は正直言うと、行きたくありませんでした。ランナーさえほとんどいない状況の中で、私が走って何ができるのか疑問でした。ただ、カンボジアの状況を何とかしたいという主催者の人たちの思いに触れ、仕方なく参加してみると、子どもたちの表情が明るくなっているなど、たった一年でも多くの変化があることに気づきました。その時、初めて私にもできることがあるんじゃないか、と思えたのです。それで、「ハート・オブ・ゴールド」を設立しました。
私にとってアート、ミュージック、スポーツの三つは、世界中共通して、人間の感情を動かすことができるもので、この三つのどれかをもっていればいいかな、とこれまで考えてきました。だからカンボジアの人たちにとって、スポーツに親しむことはきっと大きな力になると信じています。
カンボジアは経済的な復興以前に、精神の立ち上げが困難な国だと強く感じます。ポル・ポト政権崩壊後、さまざまな国の援助を受け急激に変わってきたのですが、援助の影響で国の中心を担う青年たちに、必死になって立ち直ろうという人が今は少ない。「他国に言えば、何か持って来てくれる」というような感覚の人が多いのです。さらに、そうした考え方が子どもたちに影響することが怖い。だからこそスポーツを通じて自分でがんばって、結果を出すという経験は大切だと思います。
具体的にはどのような活動をされているのでしょうか。
今、カンボジアに一番必要なのは人材育成です。援助の仕方を間違えると、大変なことになります。お金で解決できることは、箱モノだったり、一部の特権階級だけが利益を得たり、たかがしれています。時間はかかるかもしれないけれど、教育を充実させて、彼らの中から指導者が出てくるようにしないといけないと思います。
「ハート・オブ・ゴールド」では、アンコールワットハーフマラソンの運営協力や義足の寄付、自立に向けた学校教育や農業支援などをしていくつもりです。
また、国連人口基金親善大使としては、HIVの問題に取り組んでいます。カンボジアはHIVの感染率がアジアで最も高いんです。売春から広がり、若者の感染も増えています。ですから、若い世代への性教育プログラムとして、図書室やカウンセリングルームのある施設を作り、若者がいつでも自由に出入りし、情報を得ることができるようにしています。そして、リーダー的な立場で同世代に知識を広めるピア・エデュケーターの育成を図っています。HIVの問題に限らず、ピア・エデュケーターのような存在は大変重要です。
HIVについては、日本での取り組みは遅れていることも多いと思います。
先進国の中で感染率が増えているのは、日本だけです。日本はあまりに平和すぎて、命の問題について、うと過ぎます。「便利」「簡単」ということが重視されすぎて、命や人間関係までも「便利」なものの中に入れてしまっている。一見、幸せそうにみえるけれど、幸せって一体、何なんでしょうか。何か大事なものが欠けている気がしてなりません。
一方で、テロや戦争というものは、人間がいる限り、なくならないのかもしれない。人間は有能でありながら、おろかな生き物といわれますが、おろかな部分を忘れて、有能と思い上がってつき進み過ぎている気がします。テロや戦争を止めようともがくより、苦しみながらも自分たちの責任に目を向けていかなければいけないのかもしれない。賛成、反対という前に自分にできることをやっていきたい。
米国に住んでいるので、HIVの問題も少しは身近に感じてきましたが、国連の仕事をするまでは私自身、そんなに知識があったわけではありません。だからこそ、自分だったらどうしたら動くか考えながら、活動しています。HIVについては、生きることをおろそかにしている日本の方が、カンボジアより難しいのかもしれません。
「ハート・オブ・ゴールド」の活動にしろ、早く問題が解決して、会がなくなる日が来ることを願っています。でも、団体を大きくすることが目的になっているようなボランティア団体も目につきます。私は団体の大きい、小さいに関係なく、それぞれの団体の横のつながりを大切にしながら、問題解決を目指していきたい。
マラソンでいえば、活動はまだスタートして五キロ、十キロあたり。早く活動しなくていいようにと思うものの、私だけでできるものは限られていて、マラソンというより駅伝のように、後を継いでくれる人が出てくることは重要です。一人ひとりがマラソン以上の距離を走ったうえで、さらに次の人にバトンを渡すことが必要なのかもしれません。
有森さんは子どものころから走るのが得意だったのですか。
私は股関節脱臼で生まれたので、走るのはどちらかというと苦手でした。でも、小学校の時の先生に、一生懸命走ってほめられたことなどがきっかけで、高校から本格的に陸上を始めました。だから、”芽“が出るのも遅かった。時には自分を信じられず、くじけそうになったこともあるのですが、人と比べるからあせるのであって、自分だけを考えれば、日々伸びている自分しかない。ただそのためにも、一日たりとも気持ちの中に手を抜くわけにはいきません。結果を考えずに必死にやるなかで、少しずつ自分の可能性が見える時があったから、続けてこられたのだと思います。
私は基本的に人間に興味があるのであって、スポーツには興味がないんです。そういう意味では、私は周りの人に恵まれたから、スポーツを続けてこられたし、カンボジアにも出会うことができた。だから、ボランティアについても、「人を助けるぞ」とか、特別何かをしているつもりはなく、人ができないことで、自分だからできることをやっているだけです。アスリートとしてというより、何か得意なものをもっている人間として、できるだけ生かしていきたい。
もともと私にとって、人から求められて何かをするという発想はありません。常に自分でメッセージを発信することしか考えられない。メッセージ、つまり自分の主張を持たないというのはありえないんです。自分という人間の居場所や、存在を確認するためにも、自分をアピールするしかない。そのためにも人より頑張れることは何だろうと考えたとき、私にはマラソンでした。だから、私にとって走ることは、自分を表現する方法であり、生きる手段なんです。思いが強すぎて、説教じみちゃうことも多いのですが、生きるということは自然にメッセージを持つことだと思います。
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