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市民のウォロ  〜“志す市民”による新しい社会像を求めて
まとめ 編集委員 岡村こず恵

難問山積の現代社会に一条の光を掲げ、新しい「市民社会」像を照らし出すため、私たちは再出発しました。
本誌の新誌名を『Volo(ウォロ)』(ラテン語で「よろこんで〜する」の意)に決定した経緯とその意味を、四人の編集委員がざっくばらんに語り合うとともに、市民活動の現場をルポ。
市民が市民であることの根本をあらためて考えてみました。
本誌がさらなる発展と深化を遂げることできますよう、『月刊ボランティア』時代と同様、『Volo』にもご注目くださいますようお願いします。

『Volo』2003年1・2月号 座談会

■参加者

牧口明
編集委員長/デイサービスセンター「水仙の家」
早瀬昇
編集委員/大阪ボランティア協会事務局長
吐山継彦  
編集委員/言葉工房代表
ちょんせいこ
編集委員/共生ユニットAPUROまつばら

居酒屋で浮かんでは消えた改題論議

早瀬編集委員:実は二十年ほど前から「他にも『ボランティア』という雑誌があるから、誌名を変更したほうがいいかもなぁ」と飲み屋では話していたんです。一笑にふされて終わっていましたけど(笑)。

吐山編集委員:誌名変更議論が本格化したのは、何かきっかけがあるんですか? NPO/NGOが注目を浴びるようになったから?

早瀬:そうですね。ここ十年くらいの話でしょうか。

牧口編集委員長:変化のうねりが大きく目に見え始めたのは、やはり九十年代からでしょう。協会の事業内容がこれまでにない広がりを見せるようになりました。九一年には「企業市民活動推進センター」、九九年に「NPO推進センター」を設置、そして二〇〇一年には発足以来取り組んできたボランティアセンター事業の新展開を目指し「市民エンパワメントセンター」を設立しました。こうした三つの部門の動きを見てもわかるように、協会は市民活動を総合的に支援するようになりました。

ちょん編集委員:その広がりが誌面に反映されるようになってきた。月ボラ発行当初は、ボランティアといえば、イコール社会福祉分野が主だったと思いますが、現在は国際、環境、医療、情報など、あらゆる分野の課題に対して企業や行政を含めて、広く市民が実践し、その担い方も個人からグループや組織へと発展。現在ではボランティアやNPOは、行政や企業に次ぐ、ひとつの市民セクターと言われていますものね。

牧口:今後この傾向はより顕著になっていくだろうし、そうしていきたいという願いも持っています。いわゆるボランティア活動だけを抽出してそれが大切だということではなく、ボランタリーな精神に支えられる全ての活動を大切にしたいし、こうした範囲の広さや深さを、より積極的にアピールしたいというのが誌名変更の一つの理由です。

「ボランティア」という言葉に、いつの間にか付けられた手あか?

牧口:また「ボランティア」に対する誤解や表面的理解が、本来豊かな広がりをもつ市民活動を窮屈にさせているように思います。その束縛感を解放したいというのも改題の一つの要素でしたね。もともと我々が「ボランティア」という言葉を選択した当時は、「自治の担い手」、「人権」、「民主主義」などとの関わりの中で「ボランティア」を語っていました。だから例えば、協会が主催したボランティア初級スクールの講座には「民主主義とボランティア」というような内容も含まれていたわけです。こうした考え方は基本的には今も変わりません。

早瀬:国家に奉り仕えるという文脈で使われた「奉仕」とは、対照的な概念でしたね。

吐山:しかし現在では、「ボランティア」という言葉が「奉仕」と混同されて使われることもしばしばです。また、「無償性」についてはどうでしょう?

ちょん:私は「ボランティア」に付けられた一番の手あかは「無償性」ではないかと思っています。ボランティアが「無料(ただ)」の代名詞になっている(笑)。ボランティアの境目は、お金をもらっているか、いないかではない。「やりたい」という発意に基づいた行動がボランティアですよね。

早瀬:「非営利」という言葉の理解も、NPOの資金調達の足かせになっているようです。「非営利(Nonprofit)」というよりも、「営利のためではなく使命のために(Not-for-profit, but-for-mission)」という方がよりNPOを的確に表していると思いますね。継続的な活動には、もちろん資金が必要なんです。「無償」でなければならない、という発想が市民活動を窮屈にさせています。

牧口:ペイがあればなおいいけれど、ペイがなくてもやる必要がある、やらなければならない、だから動くんです。「無償性」が先にあるわけではなく、少なくとも初めは自分の「意志」が先にあるのがボランティアです。

吐山:また「お世話」「お手伝い」「助ける」とのイメージもつきまといます。早瀬さんの言う「サービス型」ボランティアでしょうか。

早瀬:そうですね。当時は「ボランティア」という言葉さえ充分知られていませんでしたから、そんなイメージは全くついていませんでした。私は学生の頃「交通遺児を励ます会」で活動していました。そこで出されたのは「モータリゼーションを変えよう」という社会変革のメッセージでした。「アクション型」のボランティアとも言えるかもしれません。

ちょん:協会に出会う六年前まで、私のボランティアのイメージは「人助け」や「社会に対して良いことをする」などサービス的な側面だけでした。中学校の時、知的障害をもつ同級生がいて、彼らと普通に地域で生活するために、高校での交流や作業所の立ち上げに関わってきましたが、ずっと「自分はボランティアではない。友達として自分がやりたいからやっているだけ」という意識を持っていました。でも、協会と出会ってからは、そうしたソーシャルアクションこそが、自らの発意に基づいたボランティア活動なんだと理解でき、随分と世界が広がりました。

早瀬:ただ、一方で忘れてはならないのは、「ボランティア」は「サービス」も「アクション」も両方含むということ。交通遺児家庭の訪問を続ける中で、活動を始めた頃は軽視しがちだった「お世話をする」という活動の「重さ」、何かを批判や提言するだけの活動の「軽さ」を痛感したことがあります。ボランティアは「アクション」も「サービス」も両方を重要視しているから、自分の思いにかなったんです。

牧口:確かに、社会変革の運動に、より熱心に関わる人たちには、ボランティアを軽視する雰囲気がありました。しかし部落解放運動も障害者運動も労働運動も、私から言えばすべてボランタリズムの発露であって、ボランティア活動と根っこは同じです。私はこれを「きり」の理論と呼んでいます。先端のとがった部分も、太い部分もないと穴は開かない。

吐山:運動の中の対立点や先鋭な部分を重視しがちなんですね。

ちょん:以前の私は、たとえば行政に対しても「やらせる」という発想でした。「あるべき論」を主張することが運動だと思いこんでいた(笑)。でも主張するだけでは何も変わらない。よけいに関係が硬直していくだけで、結局いい結果は得られなかったのです。自分もまちをつくる当事者イコールボランティアだと自覚してからは、市民として自分たちには何ができるのかを事業提案するための力量が必要だと痛感しました。

早瀬:私は世の中のすべての課題に対して自分にも加害者性があるということを自覚したとき、まず自分の姿勢が問われるんだということを強く感じました。ここから市民自治とボランタリズムの関係を見出していくようになりました。

吐山:地域の住民運動に取り組んでいる人が、それ以外の政治的課題の話になると腰が引けてしまったり、「自分たちは政治的なことには関心がないのですよ」などと発言されるのを聞くと、あなたがいま取り組んでいることこそが政治的・自治的課題なのでは…と言いたくなります。

牧口:個人の自発的な意志とともに、課題解決のための協働や市民自治に、ボランタリズムの重要な行動原理があるわけです。こうした概念の根源に迫ろうとするのが新誌名『Volo』なわけです。

『Volo』という言葉から 「自発性」を考える

吐山:新誌名とした『Volo』はラテン語で「喜んで〜する」という意味で、英語のwill(意志)の語源になった言葉です。この言葉に込める意味を考えてみたいと思います。

早瀬:考古学者の吉村作治氏は、ピラミッドは奴隷の強制労働で築かれたのではなかったと言っています。働いていた人たちの記録が遺跡として残っていて、近年それが随分解読されているそうです。それによると、彼らは二日酔いや結婚式で仕事を休んでいる。強制労働と理解するには無理がありますよね。ピラミッドを造ることで天国に行くことができる。まぁ、一種の洗脳があったかもしれませんが、「自分がやりたくてする」ことが、とてつもなく大きなことを生み出すのだということが言えるような気がします。むちで叩いてやらせる方法は、今の時代でも生産的ではありません。最近企業でも、分業された一部の過程だけに関わるよりも、トータルに関わる方が生産性は上がることに注目して、そのようなワークスタイルを導入している例が見られます。その方が、自分で作りたいという意識が生まれて、より質の高い商品が出来上がるという話です。

吐山:似たような論理が、最近ビジネス界で話題の「コーチング」にもあります。上司と部下の関係における人間観の違いを説明する上で、米国のマグレガーという行動科学者が唱えた「X理論とY理論」というのがあります。コーチングの考え方は、人は基本的に怠慢だとするX理論より、意味や価値の見出せる仕事なら自ら進んで働くものだというY理論で人間を捉えたほうが、生産性はあがるというものです。なぜなら、能力やアイデアはその人自身の中にあって、自発的にそこからしか生み出されないものだからです。

早瀬:ただし、自発的行為は必ずしも良いとは限りません。極端なことを言えば、アルカイダもボランティアだと言える。誤解のないように言いますが、私は彼らのテロという方法論はまったく支持できません。しかし、方法論こそ違うけど、アルカイダも自発的に活動していることになります。

牧口:どういうことに自発性を使うかということでしょう。共感性の原理が働くことが大切ですね。

ちょん:言ってしまえば、私たちも狭い価値観で独走してしまう可能性は十分あるわけです。だからこそ私たちには、情報公開と外部評価が重要な意味を持つのではないでしょうか。常にオープンに、その存在価値を問いつづける努力が私たちには必要なのでしょう。

市民活動総合情報誌 『Volo』の将来像

吐山:さてこれから『Volo』の歴史がスタートするわけですが、どんな情報誌にしていきたいか、夢を語り合いたいと思います。

牧口:まずは具体的なところで、多様な分野、テーマのメッセージを質も量もともにアップさせていきたいですね。『Volo』を読めば、市民活動の全体像が見渡せるようなものを目指したいですね。

早瀬:そのためにはもっと読者数を増やす必要がありますね。そして我々編集委員は、より鋭い目利きが求められます。襟を正す思いがします。

牧口:キーワードは「参加」ですね。これまでも特に企画や編集、発送など製作過程での参加を行ってきましたが、それに加えて今後は、読者の参加もより積極的に進めていきたいです。

早瀬:そのことが結果的に多様性を確保し、多いというだけでなく多彩で魅力的な誌面づくりにきっとつながると思います。

ちょん:多彩ということで言えば、ジャンルを増やしていくというのはどうでしょう。例えば、小説とか脚本とか…。とにかく、まだまだ硬い印象があるような気がします。

吐山:そういう私たちが、堅苦しい正論ばかり書いているんじゃないですか?(笑)

ちょん:今の日本には「ことなかれ主義」というか、自分でやりたいと思っていても「やりたい」と言えない土壌があると感じます。だから読者の興味関心を喚起できる、おもしろくて、ユニークなケースを紹介していきたいですね。もちろんこれまで通り、活動規模の大小にかかわらず、紹介していきましょう。

牧口:ボランティアは多くの場合、初めは少数派。さまざまな小さな活動に、より多くの人の共感を得ていく。このことに寄与できれば本望ですね。

早瀬:多数に埋もれずに、行動している人がたくさんいる。そんな人たちにも参加いただいて、関係者も読者も励ましていけるような情報誌にしていきたいですね。

 


Rupo 1 市民の意志は、成されていくプロセスが重要

編集委員 吐山継彦

 市民の意志を直接政治に反映させる方法として、いま注目を集めているのが「住民投票」である。その住民投票によって無駄な公共工事を止めた稀有な事例として有名なのが徳島の吉野川可動堰反対運動だ。その流れをくむ《民主主義のがっこう》を訪ね、定例会を見学させてもらった。ふつうの市民たちが、自分たちの身近な生活に密着した“政治的課題”について、粛々と“熱い議論”を展開していた。

●民意(市民の意志)はつくっていくもの

 「市民の意志(民意、世論)というのは、“ある”のではなく“つくる”ものだと思うんです」と、《民主主義のがっこう》世話人代表の大西聡さん。“つくる”と言っても、もちろん、国家や政党やエリート層が操作主義的に民意を作り出すという意味ではない。大西さんが言っているのは、民意とは、フツーの市民が議論を重ね、お互いに学びあうことによって創り上げていくもの、つまり「市民の意志は自主的に形成していくもの」、だということである。

  「ぼくらは、民主主義はプロセスがとても大切だと思っています。みんなが議論を重ねることによって合意形成をはかっていく、そのプロセスがとっても重要です。政党政治が機能不全に陥っている現在、私たちの“がっこう”が日本の民主主義の進化・発展になにがしかの寄与をしていけるのではないか…と思っているんです」と大西さん。

 JR徳島駅から車で十分ほどのところに《民主主義のがっこう》の“事務局兼集会所”はあった。お世辞にもキレイな建物とは言えないが、定例会を見学した後では、大袈裟ではなく、赤じゅうたんの国会議事堂よりも“民主主義の殿堂”としてふさわしいように思えてきた。

 元は何かの工場だったようで、大きさは中学校の教室ぐらいだろうか。長方形の長い方の辺に沿って真ん中で二つに区切られており、入口に近いほうが事務所、奥が集会所のようになっている。裸の蛍光灯がいくつか天井から吊り下がっており、椅子はパイプ製の折り畳み式。徳島各地からの老若男女が普段着で集っていた。スーツにネクタイといったいでたちはごく少数である。

●議論は粛々と進んでいく

 定例会は粛々と進んでいった。と言ったからといって、議論が低調だったわけではない。みんな真剣に自分たちの課題について発言しており、それも何人かの決まった人によって意見が出されるというのではなく、さまざまな人がいろんな議論を展開する。しかし、野次や私語がないから、粛々(ちなみに、若い読者のために「粛々」という文語的な形容動詞の意味を書いておこう。角川国語辞典によると、「1.つつしみ敬うようす、2.静かでひつそりしているようす、3.ひきしまっているようす、4.すみやかだ」という意味です)という言葉がピッタリの感じだ。

 なかでも賛嘆すべきは、みんなの発言が短いことである。いろんな会議や集会に出ていて、一人で長々とマイクを独占する人(筆者は密かに困ったチャン=@と呼んでいる)がおり、司会者を含めて周りがお手上げ状態になる、という経験は誰にでもあるだろう。《民主主義のがっこう》の定例会ではそういうことがいっさい起らなかった。

 おかしいのは、一見“困ったチャン”風に見える人が、“チャチャを入れる”(標準語で言うと、「(議論を)まぜっ返す」)状態になったときも、長々とではなくテキパキ簡潔にやるから、それがかえってトリックスター(おどけた狂言回し)役として議論を和らげ、会議全体の雰囲気が和気あいあいとしたものにコナレテいくのである。

●汚職調査予算に賛成投票九四%

 ところが、初めは粛々と進んでいた議論が、中盤から後半にかけてが然、熱気を帯びていった。おそらくその理由は、前日まで三日間にわたってJR徳島駅前で同グループによって行なわれた“模擬県民投票”の結果があったからだ。

 そもそも発端は、大田正知事が提出した、前知事による汚職事件解明のための調査団設置とそのための調査委託費一千万円を含む補正予算案を徳島県議会が否決したことだった。前知事の汚職事件のあと、“勝手連”的に当時の大田県議を担いだのが吉野川可動堰反対運動の流れをくむ市民グループだった。そして、大田知事が誕生したあと、同グループを中心に立ち上げられたのが《民主主義のがっこう》である。

 県議会の調査団設置拒否に怒った市民たちは、「県民投票で決めよう!汚職調査予算一千万円に賛成・反対」と書いた大きなボードを携えて徳島駅前に立った。賛成・反対のどちらかに赤いシールを貼ってもらうことによって、市民の意志を問う“模擬県民投票”を決行したのだ。その結果、三日間で5,135票の賛成票と303票の反対票が集った。賛成票は94.43%で、反対票を大きく引き離した。

 それまでにもさまざまなことについて駅前キャンペーンをやってきたが、今回の活動は「本当に“喰い付き”がよかった」ようだ。中には、晩秋の寒い中をわざわざ池田市から徳島駅前まで駆けつけた市民もいたということだ。この結果は、さっそく翌日、知事と議会に届けられた。そんなムードの盛り上がりがこの日の〈民主主義のがっこう》の定例会にも反映していたのだろう。

●一人の一千万円より十万人による百円カンパを!

 主要メンバーの住友達也氏は、広く十万人の市民による百円カンパを提案。議会が拒否するのなら、市民の力で広く県下から一千万円(十万人×百円)を集めて、汚職調査を実行しょうというのである。ある町議などは「自分が一千万円出す」とまで言ったということだが、住友さんたちはあくまで“百円カンパ”にこだわっ ていた。一人の一千万円よりも十万人の市民が百円ずつ持ち寄った結果の一千万円のほうが民意を反映する方法としては価値がある。ここにもプロセスを重視する《民主主義のがっこう》の真骨頂がある。

 「その一千万円をつけて、『きちんと調査してほしい』という県民の意志を県側に申し出るということをやってみてはどうか…というアイデアです」。この具体的な提案に対して、参加者からはさまざまな質問や提案があった。「もし、一千万円集らなかったらどうするのか」、「それ以上集ったら?」、「県が受け取らない場合はどうしよう」等々、いろんな考え方や疑問、アイデアが表明されていった。

 《民主主義のがっこう》とは言い得て妙なネーミングである。徳島の市民たちは、吉野川を愛するゆえに、第十堰の可動堰化に疑問を持ち、考え、学び、調べ、議論をし、対案を練り上げることによって、自分たちの意志を強固なものにしていった。そしてそこから、さらにまた、自分たちが住む徳島という地域が抱える他のさまざまな課題をも議論のそ上に乗せていき、今では知事や行政や県議会に対してかなりの発言権を確保しているように見える。政党政治と議会制民主主義に対する人々の不全感の確認と相互練成だという当たり前の事実だった。

  


Rupo 2 就職より自立優先
生活保護は堂々と受ければいい

編集委員 大道寺 峰子

「働かざるもの食うべからず」
「仕事を持って一人前」

 昔から当たり前のように言われてきた言葉だが、本当にそうなのか。特に障害者の雇用の現状を考えた時、そう言い切れるだろうか。

 兵庫県西宮市の障害者自立生活センター「メインストリーム協会」は、「仕事はせんでいい」が一つのポリシーだ。憲法でうたわれた勤労の義務にもそむきかねないこのポリシーについて、廉田俊二代表は説明する。「パソコンがうまくなれば、仕事が見つかるようにいう人は多い。でも、介助を必要とするような重度障害者を雇う企業なんてまずないことに、障害者本人も気づくべきなんですよ」。

 では、そんな状況でどうしたら自立できるのか。「生活保護で自立してもええやないですか。恥とか、悲惨というイメージの人も多いけど、僕たちは当然の権利だと思っています。親のスネをかじったままでいる方がよっぽど恥ずかしい」。つまり、就職より自立優先という考え方なのだ。「働かなくても堂々と食べたらええ。もちろん就職できればそれにこしたことはないけど、社会環境が整ってから働いてもいいのでは」と話す。

 一方、社会の変化をただ待っているだけではない。一九八九年の設立以来、駅のエレベーターの設置や、介助者をつけるための補助金を市と交渉するなど、大きな役割を果たしてきた。

 そして、協会が最も大切にしているのは、障害者自身が運営することだ。自立に向けたさまざまなサポートをはじめ、阪神大震災による事務所全壊を乗り越え、地域の中で着実に歩み続けてきた。再建した、三ヵ月程度滞在できる生活体験ルームを備えた三階建ての建物は、まさに精神的支柱となっている。

 現在、スタッフ十四人のうち十人が障害者。うち四人は、生活保護が“給料”のボランティアスタッフだが、ほかの六人には平均三十万円程の給料が支払われている。一年前に比べて倍以上アップした。これは市町村障害者生活支援事業を請け負うことになり、「市職員と同程度の人件費を要求してもええんちゃうかと、申請したらあっさり認められた」と廉田代表は苦笑交じりに打ち明ける。もちろんこれまでの活動実境があればこそ、というのは言うまでもない。

 「障害者は社会のおまけ的存在で、尊厳や人権は守られてこなかった。でも、障害者だって仕事も、社会参加も、社会貢献だってできる。障害者は弱者とか、かわいそう、時には役立たず、といった先入観を、障害者自身が運営することで変えていくことが一番の役割だと思っています」

 


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Volo(ウォロ)は大阪ボランティア協会が発行する 市民活動総合情報誌であり、オピニオン誌です。
『月刊ボランティア』創刊1966年。『Volo(ウォロ)』と誌名を変更して2003年新創刊。一貫して「市民が主体的に関わることの大切さ」を伝えてきました。分野・セクターを越えた社会的課題に市民がいかに関わるかを独自のアプローチでタイムリーに発信しています。