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市民活動情報誌『月刊ボランティア』2002年9月号(通巻378号) 目次に戻る
市民のメディアをつくること
 
作家 森 まゆみ
No.186
●森まゆみ(もり・まゆみ)さん・プロフィール●
(作家、地域雑誌「谷中・根津・千駄木」編集人)
東京都文京区動坂生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。雑誌の仕事とともに、環境保全活動や幅広い執筆に取り組み、「鴎外の坂」で1997年度芸術選奨文部大臣新人賞受賞。ほかに「谷中スケッチブック」「不思議の町根津」など著書多数。助成団体の選考委員を務めた経験もあり「助成金申請書に、横文字や自分たちの“業界”でしか通用しない言葉が書き連ねてあるものより、上手とはいえない字でも過疎の問題への取り組みがしっかり書かれているといったものの方が、思いがよく見えてきた」と話す。

買ってもらえる地域雑誌に

  東京の東に位置する谷中(台東区)、根津、千駄木(文京区)あたりには、関東大震災や戦災にも耐えて残った文化遺産が多く、鴎外や漱石、高村光太郎ら文人が足跡を残した地。暮らしの中に生活文化や知恵が何代も受け継がれ、貴重な手仕事の職人さんも大勢いる町です。ここで、私たちが「地域雑誌」と名乗って季刊の「谷中・根津・千駄木」(通称「谷根千」)を創刊して十八年になります。

 当時「タウン誌」というジャンルはありましたが、商店街ののれん会が、店にお墨付きを与えるようなものはいやでした。私たちは生活者の立場で、身銭を切って「この店がおいしい」と言えるようなメディアをつくりたかった。市民が互いの気持ちを伝え合う雑誌を出したくて「地域雑誌」という言葉を〈開発〉したのです。

 私たちとは、何かを表現したいと願っていた、子どものいる主婦四人。二人は編集の仕事の経験があったものの「金なし、ヒマなし、力なし」。途中で三人になりましたが、自分たちの暮らす町で見つけたもの、大切にしたいものを紹介し、調査記録し、次代に手渡す手だてとしての雑誌づくりに取り組んできました。

 創刊前、広告や店頭配布の協力を得ようと店を一軒一軒回ったところ、ことごとく断られた経験から、思い切って無料配布をせず、「お金を出してでも買わざるを得ない雑誌」にしようと決めました。マスメディアなんかにのっていないオリジナルな情報を自分たちで発掘し、資料性のある内容にすることにしたんです。

 「谷根千」創刊号は「菊まつり」の特集。谷中のお寺で開かれる「菊まつり」のパンフレットとして出しました。A五判の本文八ページプラス表紙で、一部百円。明治の末まで開かれていた菊人形にまつわる取材などをして仕上げました。祭りの準備から手伝って、当日は、印刷した千部のうち約七百部も売れたんです。

 気をよくして二号、三号と出すんですが、当初はよく取材を断られました。お金を取ると思われていたらしい。「口下手だから」と言う人もいて、二号の「銭湯特集」では、番台にいるおやじさんに裸で体当たり取材をしました(笑)。雑誌を出すお金がなくて、小さな子がいるのに交代で飲み屋の仲居のアルバイトをしたのもこのころです。

「ふつうの人々の生き死に」を書く

 私たちは、記録には残っていない「ふつうの人々の生き死に」を書くことを主軸にしてきました。でも「ふつうの人」は自分のことを語りたがらないから、聞く力と書く技術が必要でした。そこで考えたのが「聞き書き」の手法。私だけで二千人近くの聞き書きをしてきたでしょうか。いろんな時代の風を感じてきた高齢の方にお話をうかがうのは楽しい。三号の取材では、日清戦争の旗振り行列を覚えているという明治二十年代生まれの方にもインタビューしたんです。資料調査は後でもできる、とにかく人の話を聞こうと努めてきました。

 加えて心がけているのは、自分たちの意見を述べるのではなく、地域の人たちがどう考えているのかを聞いて書くこと。例えば、上野の不忍池の地下に駐車場の建設計画が持ち上がった時、掘っちゃいけないと私たちが書くのではなく、土地の人の思いを聞いた。昨年の「狂牛病騒動」の時には、地域の肉屋さんや消費者の声を集めました。誘導尋問はしませんから、こちらの想定と違う方向に話が進むこともあるけれど、それもまたおもしろい。

 それから「谷根千」はよく補遺や訂正を出します。昔、苦労して活字を手にしたという方が地域に多く、内容には厳しい。一度、活字になったら取り返しがつかないと思っておられるんです。でも、人間は間違える。補遺や訂正で許してもらっています。

 「酒屋特集」をした六号では、いろんな失敗から学びました。ある人の「うちのおやじなんて(百点満点で)十五点の父親でしたよ」との言葉をそのまま載せたら、本人が慌てて駆け込んでこられて。権力の側ではなくて、町の人を記事で悩ませてしまうのは筋ではないと、同情して次号で訂正を出しました。「『八十五点』の『八』が抜けていました」と。また、別の人のコメントを削りすぎて誤解を生む表現になり、ひどく怒られました。

書くことでの市民参加

 雑誌づくりと並行して、私たちは市民運動にもかかわってきました。一九八五年、東京芸大(台東区)の奏楽堂にあったパイプオルガンをよみがえらせる運動が最初。区が、奏楽堂の移築に合わせて、壊れていた由緒あるオルガンを壁の飾りにするというのです。

 初めての運動は新鮮でした。どうやって地域の人たちを巻き込むかを考え、パンフレットを売ってオルガン修復費を寄付することに。今では絶対できないスピードの取材、執筆で仕上げたのは一か月後。私たちの小口カンパや他の募金活動、そして運動の影響で区が予算をつけたこともあって、オルガンは立派に修復されました。

 それからも、地上げに対抗して底地買いや再開発の特集を組んだり、道路建設問題や自然保護に取り組むグループと協働したりしてきました。私たちが運動の中心になったもの、少し手伝ったもの、足を引っ張ったもの、書くことだけ手伝ったものなどいろいろです。

 ところで、雑誌づくりは、企画→台割(ページ構成)→取材→執筆→原稿整理→写植→印刷→搬入→配達→集金→帳簿付け、といった流れで進みます。私たちは毎回、このプロセスが楽しみ。地域雑誌のおもしろさから、のめり込む人も多いのですが、一人で頑張って過労死した人も少なくない。一方で、プロセスの最後あたり(配達、集金、帳簿付け)がうまくいかず失敗する雑誌も多い。でも、配達や集金で町を回っていると、取材のヒントをもらうことも多いんですよ。

 ちょっと前、東京のある公共施設であった市民参加のワークショップに講師として呼ばれました。十四回の講座で十六ページの雑誌を本当に作る企画。でも、印刷代は行政持ち、広告も配達もしなくていい。それでは、雑誌づくりの半分も味わっていない。お金の苦労もせずに自分たちのメディアと言えるのか、と思いました。

 そんなこともあって、昨年から大阪ボランティア協会が開いている「市民ライター養成講座」には期待しているんです。実は、私たちも、いつも三人で書くのは大変だからというのもあって、同じようなことを試みたことがあります。子どものいるお母さんたちを対象に「谷根千・生活を記録する会」というグループをつくりました。日曜日には子どもらがどこで遊んでいるのかを調べようとか、古地図を見て町の変遷を考えようとか、いろんな企画を立てて、おおむね月一回、十数年フィールドワークを続けました。でも、「谷根千」から市民ライターは生まれなかった。ファンクラブをつくっただけのようです。主体となって書こうというライターを育てられなかったのは、私たちの力不足でもあります。

 「谷根千」はこの夏で七十号。読者や取材先のほか、いろんな人たちの支えのおかげで毎号つくってきました。この間の変化の一つに、地域の人々の意識が高くなったことがあります。町づくりに参加したいという積極的な人も地域に何百人といて、この町に住みたいと移ってくる人も増えてきた。

 たぶん、私はずっと雑誌を作って人生を終えるのでしょう。大上段に振りかぶって「反権力」と言わないまでも、地域の人たちの立場で考え、どうしてもおかしいと思うことは、おかしいとはっきり言っていきたい。そして、大好きな町をもっとおもしろく、楽しくしたいと思っています。

(編集委員 坂上 晃一)



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Volo(ウォロ)は大阪ボランティア協会が発行する 市民活動総合情報誌であり、オピニオン誌です。
『月刊ボランティア』創刊1966年。『Volo(ウォロ)』と誌名を変更して2003年新創刊。一貫して「市民が主体的に関わることの大切さ」を伝えてきました。分野・セクターを越えた社会的課題に市民がいかに関わるかを独自のアプローチでタイムリーに発信しています。