| ●星野昌子さん
プロフィール● |
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| 『シリーズ・こんな生き方がしたい』(理論社)では、レイチェル・カーソンさんや吉田ルイ子さんらとともに、凛とした国際ボランティアとしての半生が紹介されている。青年海外協力隊の第1期生としてラオスに渡り、官製援助の実情を知り、その後、インドシナ難民を救援するため、日本国際ボランティアセンター(JVC)を創設。民の立場から開拓的な活動を展開。その後、かながわ女性センター館長、日本NPOセンター代表理事を務められ、現在は外務省改革の現場でも活躍中。 |
「変える会」、外務省を本当に「変えるのかい?」
私は複雑に感じています。なぜ私が、外務省を「変える会(外務大臣の私的諮問機関)」のメンバーに選ばれたのでしょう。企業役員、知事会、学者、マスコミ関係者などが選ばれていますが、誰が、どこで、どのように選んだのか私たちにはわかりません。思わず「本当に変えるのかい?」と言いたくなります。メンバーの選考自体不透明な中でいったい何ができるのか、はなはだ疑問です。
それでもなんとか四月九日に中間報告を出すことができました。十の各論の枠組みや検討期間は、委員が考えたのではなく上から降ってきたものですが、それでも外務省を変えねばという思いから、いろいろ提案させていただきました。
外務省の第一種試験合格者は全体の十%に満たない人たちです、彼らは入省当初からよほどのことがない限り大使になる道を約束されています。本省にもどっても、数年経つと総務班に入れられ、長年現地で仕事をしている専門職の上に立つことになるのです。現地の言語でさえも十分話せないような若造の言うことを聞かねばならない。そんなシステムの中で人間がおかしくならないわけはない。お金も権力も二十代で決まってしまうのでは、どんな人間も努力しなくなるでしょう。
そんなことから人事制度の再構築は競争原理を徹底させるため、試験採用区分にかかわらず能力・適性があればこれまで以上に抜擢して登用していくこと、専門職については、専門語学等に限定せず、専門語学等と異なる言語圏や分野においても重要なポストに配置して幹部として訓練をする機会を与える、などを提案しました。
NGOと外務省の「補完関係」って何?
こちらが妥協したこともありました。NGOと外務省との関係についてどう表現するかという点です。外務省ではNGOとODA(政府開発援助)は「補完関係にある」と表記することが慣例となっている。補完関係とは文字通り、足りないところを補って完全になるという意味です。これは違うと私は思っています。別にNGOは政府の足りないところを補うために活動しているわけではないからです。
援助側との「与える―受ける」関係から抜け出そうとしているNGOは、「最も弱者」と呼ばれる人々が自分たちで自立していけるための支援を行おうとしています。しかし「最も弱者」は現在の各国の政権が無視した結果、その立場に立たされていることが多い。だからNGOが彼らを支援した結果、時の政権をひっくり返す可能性もあります。私に言わせればこうした側面を持つNGOと日本政府は「緊張感のある友好関係にある」となります。
結果として「NGOと政府は、その組織としての性格、活動分野、活動目的等について互いに補完的な側面があり」に落ち着きました。
ちなみに中間報告は現在外務省のホームページなどで公開されています。
そしてこの中間報告を出した直後に瀋陽総領事館事件が起きたのです。
瀋陽総領事館事件で考えてほしいあなたの本心
私は瀋陽総領事館事件について考えると、一九七〇年代のインドシナ難民への日本政府の対応を思い起こさずに居られません。海賊から逃げ惑う難民が乗った小船を日本のタンカーが見捨てて行く一方、フランスのNGOが「光の島」という船をチャーターして救済活動を行うという事件が起こりました。これを聞いて「日本はなんて薄情なんだ」と思われる方も少なくないでしょう。
しかしよく考えてみてください。もしその船長がボートピープル(注1)を助け、日本に連れ帰ったとしたらどうなったでしょう。当時の日本には難民を受け入れる制度がありませんでした。連れ帰ってきたとしても土を踏ませることはできません。船の中で定住を引き受けてくれる第三国が見つかるまで、船舶会社が面倒をみないといけないのです。船長はそれがわかっているから見捨てたのです。同じことが今回の事件でも言えるのです。
政府の対応は確かに批判すべきものでした。我々が一方的に職員を非難することは簡単かもしれません。それならば私はみなさんに問いかけたい。このケースをどう処理するのが望ましかったのでしょうか。職員の言い分は、なんと「亡命希望者とは思わなかった」です! そんなわけはありません。命からがら逃げようとしているのは誰が見ても明らかでした。「中国の警察を追い出し、保護することが望ましい」ことは、彼らとて分かっていたでしょう。しかし彼らはそうしなかった。それはなぜか。
例えば仮に、なんらかの方法で日本に亡命することが許可されたとします。現にインドシナ難民に限って日本は受け入れていますね(注2)。同じように入国を許可されたとします。はたして彼らは幸せになれるでしょうか。
以前ジュネーブで行われた国際会議に出席した際のことです。そこで出会った米国の州立大学代表の方は、東ヨーロッパからの難民でした。想像してみてください。日本に住む難民の人が日本の関係者の代表として国際会議に出席するということが起こり得るでしょうか。つまり、日本には努力すれば何にでもなれるということが、システムとして保障されていないのです。どんなに努力しても、国民と認められることも、権威ある役職につくことも大変難しいのが現状です。
そしてまたシステム以上に重要かつ深刻な問題は、我々の心の中にあります。彼らの入国を許可し、彼らが社会的に地位や権威を得て活躍するための社会的システムも整備されたとします。その時あなたは彼らを受け入れることが本当にできますか。心の中にその土壌がありますか。それがなければ、どれだけ受け入れ体制が整備されたとしても、真の意味で彼らとともに生きていくことができるでしょうか。私には偏見の意識などない、と断言される方もいらっしゃるかもしれない。でもこれは残念ながら、いまだに日本では非常に根深い問題なのです。
このように日本は、社会システムとしても人々の心の状態をみても、在日外国人が生き生きと生きていけない社会なのです。そんな社会に難民の人を受け入れて、彼らは幸せになれるでしょうか。ぜひ自分の心にたずねてもらいたい。そしてもし受け入れることが難しいなら、それはなぜなのか、今回の事件をきっかけにじっくり考えてみてほしいです。
((写真・文)編集委員 岡村 こず恵
(注1) ボートピープル:ヴェトナムから漁船などの小型船に乗って脱出したヴィエトナム難民のことで、小型船で直接周辺諸国にたどり着いたり、南シナ海を漂流中に航行中のタンカーや貨物船に救助されて寄港地の港に上陸。日本にも一九七五年四月末に到着。
(注2) インドシナ難民:一九七五年のヴェトナム戦争終結に相前後し、インドシナ三国(ヴェトナム・ラオス・カンボジア)では新しい政治体制が発足。新体制になじめない多くの人々が、その後数年にわたり国外へ脱出。これらヴェトナム難民、ラオス難民、カンボジア難民を総称して、「インドシナ難民」と呼ぶ。インドシナ難民の流出が続き、東南アジア諸国に一時滞在する難民の数が増大するにつれて、日本政府は一九七八年四月、ヴェトナム難民の定住を認める方針を閣議決定した。
*参考:外務省ホームページ「難民問題と日本 III -国内における難民の受け入れ-」
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