No.375 / 2002年5月号 [前のページに戻る]

この人に ...No.183
● 大谷 昭宏 ●
(ジャーナリスト) 
不幸な事件を追っているのは、
同じ不幸を起こさないため

「ヘリコプターが、ここに突っ込んでくれたらいいのに」

 和歌山砒素カレー事件で亡くなった四人のうちの一人、林大貴くんは、事件当時十歳でした。私に何ができるか考えて、お邪魔にならない範囲で、一年後、二年後の命日にもご自宅に伺うなどしています。
 林健治被告の初公判の時とか判決の日なんかに伺った時は、ヘリコプターが何機も超低空飛行で周辺を飛び回っていました。お母さんに「いつもご迷惑をおかけします。うるさくて神経を逆なでしますよね」と言ったら、お母さんは、「いいえ、やめてほしいとは思わないんです。それよりも、こんなに低く飛んでるんだったらどうしてここに突っ込んで来てくれないんでしょう。今大貴にお線香をあげているこの時に突っ込んでくれたら、私もひと思いにあの子のところにいけるのに。ヘリコプターが来るたびに、落ちてきてよ、と思って見上げているんです」と言われるんです。十歳のお子さんを亡くされた親御さんにしか言えない言葉の重さを、深く感じました。
 彼女が報道番組に寄せてくれた手記は、「十歳までしか育てられなくてごめんね。今度生まれてきても必ずもう一度親子になろうね。そのときはどうぞよろしく」と結んでありました。被害者の取材の前にはいつもこのお母さんの手記を取り出して、遺族の感情はそういうものなんだ、ということを自分に言い聞かせています。
 もっとも、そういう言葉を聞かせていただけるようになるのはとても時間がかかるものです。二年目の命日に伺った時に、お母さんが、「大貴が死ぬことによってあなたがたとお友達になるのではなくて、そうではない機会にお友達になりたかった」と言われました。結局、取材というのは、何とか新聞とか何とか放送とかの肩書きではなく、人間と人間の出会いです。事件と関係のないところで出会いたかったという言葉に、ああ、二年かかってやっと被害者と取材者の間に一本の筋がつながったと思いました。でも、被害者と取材者にそこまでの関係が生まれてはじめて、被害者取材の意味があるのだと思っています。

不幸な事件から社会が学ぶことでしか、被害者は救われない

 マスコミは、「他人の不幸ばかり追いかける、他にもっとすることがあるだろう」とよく批判されます。マスコミによる「二次被害」が事件の被害者を襲う、などとも言われます。
 確かに、家族を亡くされたばかりの家に朝から晩まで入れ替わり立ち替わり訪れ、インターホンを鳴らし続けたりするのは批判されて当然で、それを弁護するつもりは全くありません。取材のあり方自体は、我々は十分考えていかないといけません。その上で、私がやはり不幸な事件を追い続けるのは、不幸な事件から人々が学習し、社会が変わっていくことでしか、被害者は救われないと思うからです。私たちが被害者を本当に悼む気持ちがあるなら、事件から人々が学んでいかないといけない。被害者に「私たちは社会をこう変えました。あなたの死は無駄ではなかった」と言えた時に、ようやく被害者は浮かばれるのだと、私は思っています。
 牙や角も持たないひ弱な体の人間が生き延びてきたのは、不幸な例から学び続けたからです。五十七年前、広島・長崎のすさまじい犠牲をはじめ、三百三十万人の尊い命を失って、私たちは、ああいう政治はだめだ、他国に軍靴で踏み込むようなことは二度とするまいと決意しました。誰しも、素晴らしい理想、美しい話の方が心地よく感じますが、あってはならないこと、起きてはならないことからこそ人は本当に何かを学び、わずかずつ前進していくのではないでしょうか。不幸な事件は、社会を変えていくことにつながりうるし、またつなげなければならないのです。

四日四晩はりついて、高速道路インターでの酒盛り隠し撮りに成功

 高速道路での姉妹焼死事件の時は、我々は粘り強い仕事ができたのではないかと思います。例えば、高速道路での飲酒運転がどれほど多いのか、あるいは高速道路であるがゆえにほとんど無法状態で取り締まりも行われていないという実態、また各インターでどれだけの酒が販売され、どれだけが実際に売れているかということを最初に告発したのは、我々の仲間です。朝の番組でそんな話をして視聴率が取れるかと言われながらも、あの姉妹焼死事件の運転手はこれだけ酒を飲んでいた、どうして高速道路で酒を飲むようなシチュエーションがあったんだということに疑問を持ち、粘り強く取材することを主張したのです。
 隠し撮りとはいえ、高速道路のインターでお酒を飲んでいる場面を撮影するのは大変難しい。私の仲間の場合は、四日四晩ねばって、やっとトラックの運転席で酒盛りしているシーンを撮りました。テレビ局からしたら、視聴率がとれるかどうかわからない場面のために大変な取材費をかけて、撮影クルーを四日四晩はりつけるなんて、とんでもないことです。しかし、こういう被害を防いでいくために事実を明るみに出していくことが、多くの人々が我々に期待してくれている部分ではないでしょうか。

力を合わせて、社会を変えていく

 もっとも、我々が粘り強い取材をして事実を伝えたからといって社会が変わるわけでは決してありません。ジャーナリズムが社会を変えるなどというのは、傲慢でしかありません。ジャーナリズムにできることは、一刻も早く今起きていること、これから起こるであろうことを世の中に知らせることです。  そして我々が伝えたことを知った人が声を上げたり、行動を起こしている人を支えたりすることで、法改正や立法化が実現し、間違った社会のあり方や制度を変えていくことができます。その時私たちの仕事は、「他人の不幸で飯を食う」だけの仕事ではなくなり、社会をいい方向に変えていくための一つの役割を担うことができるのです。
 残念ながら、ここ五年、十年と、日本の社会はどんどん悪くなっています。子どもたちに誇れない社会になっています。国を動かす立法・行政・司法の三権のうち、司法については不祥事が続出している警察を除けば信頼に足りていますが、政治家が国の補助金の行方を左右したと聞いても、今や誰も驚きません。腐りきった立法府、行政府が本来の形を取り戻さない限り、間違いなくこの国は駄目になります。このあたりで変えていかないといけない。私たちもささやかながら取材を通じて、市民のみなさんと力を合わせて変えていきたいと思っています。

(大阪ボランティア協会 飯田 真友美)

*本稿は二〇〇二年三月一六日に大阪弁護士会館で行われた、大阪弁護士会/〔司法NPO〕当番弁護士制度を支援する会・大阪主催による「犯罪被害者の人権と被疑者の人権の両立を目指して」の内容の一部を記事にしたものです。
●大谷 昭宏さん プロフィール●

元読売新聞社記者として大阪府警などを担当。現在、朝日放送「サンデープロジェクト」、「スーパーモーニング」、関西テレビ「痛快エブリディ」などに出演。「日本警察の正体」(日本文芸社)、「グリコ・森永事件〜重要参考人M」(幻冬社)など、著書多数。犯罪・刑事司法・人権関係の問題を鋭く追及している。


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