インターネットの普及は、私達の生活に大きな変化をもたらした。面倒だった書類の配布や連絡も、メールを使えばボタンひとつでできる。検索サイトにキーワードを打ち込めば、欲しい情報がひっかかる。しかもその多くが無料だ。今や情報源は、私達のまわりに無数に存在している。
しかし簡単に手に入る情報は、ユーザーが無用だと判断すれば、簡単に削除される。まさに情報の力がためされる時代の到来だ。
そんな中、大阪ボランティア協会は、2001年9月より「市民ライター養成講座」を開講した。受講生は32名。既にボランティアや市民活動の中で「書く」ことに携わっている人、これから「書く」ことによる社会参加をめざす人など、遠くは山口県や三重県からの参加もあり、関心の高さが伺えた。
今回はそんな、市民ライター養成講座の第1講「【鼎談】市民ライター論・市民にとっての書くことの力」(2001年9月15日)を紹介し、書くことによる社会参加の意味について考えたい。 |
書くことはパワーの源泉
吐山:市民ライター養成講座の言い出しっぺは私です。現在、私の情報源は三〇〜四〇%がインターネット経由です。約二百種類のメルマガを購読していますが、中には驚くようなすごい内容のものがあります。例えば「ビジネス知識源」というメルマガは毎回、原稿用紙に七十〜八十枚の情報を掲載しています。九月十一日に起こったアメリカの同時多発テロ事件に関しても、マスコミの論調は「報復」一色ですが、「ビジネス知識源」では、テロに反対しつつも、今回の事件の背景には、アメリカと中東諸国の石油問題があると指摘しています。その分析力が素晴らしい。
昔、私がベトナム反戦運動をしていた頃は、一生懸命ガリ板でチラシを刷っても、たかだか枚数は知れていました。でも今は、ホームページやメルマガで、うまくいけば、何千何万単位の人々に情報発信することが可能になりました。だからこそ今、私たち市民は、「書く力」を身につける必要があると思います。そんな思いが講座を始めるきっかけになっています。
現在、私はフリーのライターで、言うなれば「食うために書いている」売文業です。クライアントの要望のとおりに書く必要がありますから、非常に規制がありますが、また、そこが私の場合、好きなんです。例えば、「百二十五文字で書いてくれ」なんて言われると職人魂が燃えてきます。
インタビューの時も、相手の本を読んで情報を仕入れておき、取材した以上に相手が言いたいと思っていることを書いて、「ノーチェックです」といわれたときの喜び。これは何ものにもかえ難いですね。
今井:書くことは勉強です。テニスクラブに行って、初めて自分の運動不足を知るのと同じで、書くことで自分がいかに判っていないかが判ります。
昨日掲載された朝日新聞の「十七歳のころ」(二〇〇一年九月十四日夕刊)は五分で書きあげました。ただし、それまでに膨大な「自分の記憶を蘇らせる」作業をやっています。自分が十七歳のころ、世の中ではどんな事件が起きて、どんな映画や歌が流行っていたのかを調べて、確認していく。自分の記憶も間違っているかもしれないから、本や新聞の縮刷版などを使って徹底的に調べます。そうして事実を積み重ねていく中で、判らなかったこと、思い込んでいたこと、当時は見えていなかった事実がわかる瞬間があります。これは書くことの喜びでもあります。聞いた話を鵜呑みにせず、悪気のない嘘やリップサービスも突き崩していくような取材ができた時の喜びは、書くことでしか持てない。ここまで事実を調べるのは「書く」からです。「話す」だけならここまではしません。
しかし、僕も書くという作業は得意ではありません。昨年の五月から七月にかけて、二冊の新書を同時に手がけ、毎日四百字詰めで二十枚の原稿を書き続ける事態に追い込まれました。ただ書くだけじゃなくて追加取材も必要なので、もう日々の新聞を読む暇もない、テレビも見ない、気をつけるのは風邪をひかないことだけという状態。でも、締め切りに遅れたら編集者やスタッフに、どんなに迷惑をかけるか…という気持ちを力にして書きました。人間やればできるもんです。
早瀬:書きながら考えるタイプの私にとって、「書く」ということは「論理」を詰めることです。話の場合は「こんな感じです」とごまかせるけど、「書く」時は接続詞でちゃんとつなぐ必要がある。市民活動やボランティア活動の中では、さまざまな矛盾やしんどさを感じる時がありますが、権力も金力もない私達が、社会を動かし、前へ進めていけるのは、論理の力があるからです。随分前に、小田実さんにインタビューした時、「市民活動は論理がなかったら、ゴリラにも勝たれへん」と言われました。確かに情緒だけでは通用しないのです。だから、論理は書くことによって詰められていくというのが、私の定義です。
吐山:「書く=論理をつめる」という指摘は非常に重要ですね。例えば、国家権力のパワーの源泉はなにか? それは現実的にいうと中央省庁の課長や補佐級の人の文章力です。例えば、厚生労働省で法律や政策を策定する時、三十〜四十代の課長クラスが起案します。それを通していくには論理で説き伏せるしかない。そういう力が中央省庁にはあります。
同様に書くということは市民にとってもパワーの源泉です。だから市民も書く力をもたないと、自分たちの力を発揮することはできない。だから、「書ける人=市民ライター」が必要だと思います。
市民とはどんな人?
吐山:今回は受講にあたり、全員に「私の考える市民ライター像」というテーマで八百字の作文を書いてもらいました。
僕らの年代にとって、市民はかなりの意味をもった言葉です。今は一応、民主主義といわれている社会ですが、首相や知事、官僚などの〈エライ人〉のおかげで、我々の市民生活がなりたっていると思っている人もいます。しかしそれらの人も、市民である我々が働いて、税金を支払って、養っているんです。民主主義の主人公は誰か? それは税金をはらって、彼らを養っている市民です。
早瀬:震災以前は企業、行政、市民の三者を比べると、企業、行政はすごい力をもっていて、市民活動ははじっこのほうに小さく存在すると思われてきました。でも震災以降は、市民は企業や行政のパートナーと言われるようになり、大きな存在と認識されるようになりました。
一方で市民は企業の製品を買う消費者です。障害者雇用を熱心にしない企業があると批判の声があがりますが、でもそれが許されているのは、その企業の商品を買う消費者がいるからです。
行政との関係においても、たとえば健康保険料があがって困ると厚生行政にからんで起こる対立の構図として、「行政VS市民の戦い」と言われるけど、それは違う。本質は「健康保険をよく使う市民VSそうでない市民との対立」なんです。そうした消費者、あるいは主権者としての立場を自覚し、主体的、能動的に行政や企業にかかわっていこうとする人が「市民」と言えるのではないでしょうか。
今井:僕は、現在の大阪市民は「憲法上の主権者」ですが、九九%は「主権者擬き」だと思います。
大阪はオリンピックに落選し、その後、不祥事が見つかりました。企業やったら、即刻解雇だし、かつての中国やったら人民裁判になるかもしれません。
欧米では、主権者としての権利が侵されていると思ったら行動しますが、大阪や東京では「文句はいうけど、行動はしない」。これでは市民とはいえないし、幼稚だと思います。欧米での教育は、「まずあなたは市民ですよ」から始まります。
昨日も神戸市長選挙の「市民派候補」の最終選考の場で、ある人がつい「いい人を選んで、あとは任せよう」と言った。でも「お任せ」してはいけないのです。最後まで私達市民が、監視し、コントロールしなければならない。「お任せ民主主義」がはびこってきた日本ですが、最近は徐々に変わりつつあると思います。
吐山:学校教育でも、家庭教育でも、われわれが納税者であり消費者ということを教えないですね。もっと主権者意識を涵養して、私達市民は、とても力をもつ存在だということを教えなくてはいけないですね。
今井:だから市民ライターはそういうことを自覚して、書くという行動を起こす人のことだと思います。書くことは人を励まし、触発し、時には人生まで変えたりする力を持っているんです。
(つづく)
<プロフィール>
吐山 継彦(はやま・つぐひこ)氏(進行)
企画編集事務所「言葉工房」代表。本職の企業や自治体のPR誌等の企画・編集業務の傍ら、大阪ボランティア協会・市民プロデューサー養成講座専任講師、三重県市民活動塾などで企画力・創造力アップのための講師を務める。『月刊ボランティア』編集委員。
今井 一(いまい・はじめ)氏
1981年より、ソ連、東欧の現地取材を重ねる。96年以降は、日本各地の住民投票運動の取材を進めると同時に「住民投票全国ネットワーク」の結成に尽力。現在「住民投票立法フォーラム」事務局長。著書は、『住民投票』(岩波新書)など多数。1989年、ノンフィクション朝日ジャーナル大賞を受賞。
早瀬 昇(はやせ・のぼる)氏
大阪ボランティア協会理事・事務局長。1973年に大阪交通遺児を励ます会の活動に参加して以降、さまざまなボランティア活動に参加する。1978年より大阪ボランティア協会職員に。現在、日本のボランティア、NPO界のオピニオン・リーダーの一人として活躍している。『月刊ボランティア』編集委員。
(残念ながらインターネットではここまでです。あとは本誌でみてください!)
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社会福祉法人大阪ボランティア協会
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