「私は、むかし不登校だった」。これを書くのになぜこんなに勇気がいるのだろうか。二十六歳になった今も、ためらいがある。中学一年の秋から約二年間、不登校だった。はじめは腹痛で休んでいたのが、何日か休むと、なんとなく行きづらくなり、気がつけば「お腹痛くならないかな」と思うようになった。駄目だと思いながらも、行きたくなかった。親からも「行きなさい」と言われる。強く反抗したこともあった。生活は、昼夜が逆転し、テレビとゲーム。でも将来のことも考えていた。高校、大学に行き、就職するという「普通の進路」から外れている。漠然とした不安。先が見えない。しかし、当時の私には、学校に行くか、行かないかという選択肢しかなく、結局、家にいる状態が続いた。
そんな中、歴史に興味をもつようになり、大学で勉強したいと考えるようになった。無知だった私には、高校進学の道しかないように思われ、自宅で受験勉強することになった。そして、中学三年の秋に先生の勧めもあり「保健室登校」するようになった。そして高校に進学、大学で学んだ。こう書けば、当時私が普通だと考えていた進路に戻ったと言える。だが、私にとって不登校の二年間は何だったのだろうか。日常に追われ深く考えることがなかったが、ふと気付くと、不登校という経験について友人に気軽に話せない自分がいた。
そんな時に出会ったのが、不登校経験者によるボランティア活動だった。自分の経験を語ることによって、今悩んでいる人たちの役に立てれば良いと思っている。しかし、結果的に自分自身を見つめ直すきっかけにもなっている。そこで私はこの機会を借りて、あらためて自分にとっての不登校を捉え直し、現在行われている不登校に対する社会の取り組みやボランティアの活動から、不登校の当事者や市民がどのようにかかわり、またかかわるべきなのかを考えていきたい。
十三万四千二百八十二人
小中学生の不登校児の数である。文部科学省の定義では「学校ぎらい」を理由に年間三十日以上を欠席した場合を不登校といい、一九九一年から十二年の間にその数は倍増。八〇年代から社会問題化しはじめた。
九二年、文部省(当時)の学校不適応対策調査研究協力者会議は、(1)不登校がそれまでの「一部の生徒に起きる問題」という認識から、「どの子どもにも起こりうるもの」と視点を転換した。さらに(2)学校が子どもにとって、自己の存在感を実感でき、精神的に安心できる場所(心の居場所)となることが重要と示し、(3)不登校の子どもにとって重要なことは、単に学校に復帰するということではなく、自らの努力で問題状況を克服し、自立する力を身につけることであるとして、学校・地域社会や学校外の諸施設と連携することの重要性を強調した。
この報告を受けた文部省は、一定の要件を満たす場合(民間施設で相談・指導を受けた日数等)を指導要録上の「学校出席扱い」とし、九五年度からはスクールカウンセラーとして、臨床心理士ら専門家を定期的に小・中・高校に派遣する事業を開始。また、学校以外の学習の場として「適応指導教室」の整備・充実など様々な対策を講じている。
一方で、不登校に関心を寄せる市民の取り組みも早くから始まっていた。親の会やフリースクールはその代表的なものであり、他にも、不登校の子どもたちへの家庭教師派遣や「留学」を実施するなど、多くのNPOや市民が活動している。今回はNPOやボランティアとして不登校に関わっている人たちに、活動について話を聞いた。
本当に必要なことをつくる
〜フリースクール フォロ〜
大阪市で活動する「フリースクールフォロ」は今年一月に特定非営利活動法人の認証を受けたばかりで、二十三名の子どもたちが通っている。代表の花井紀子さんに聞いた。(二〇〇一年十二月時点)
「設立のきっかけは、大阪で活動する不登校の子どもたちの親の会のメンバーが、自分たちが望むフリースクールが少ない現状を知ったことからです」。望んだのは「子どもたちが主体であること」。フォロの活動の基本だ。毎週金曜日に行われる「茶話会」では、これからの活動を話し合い、企画や具体的な日程が決まれば子どもたちがスケジュール表を書く。取材した日も夕方から、テレビ局に見学に行くということだった。
事務所兼スクールは、ビルのワンフロア。机やイス、備品などは親の持ち寄りで、手作りのスケジュール表などアットホームな雰囲気であふれている。専従のスタッフは三人。それ以外にボランティアとしては、通っている子の親や、以前子どもが不登校であった人もおり、多くの人が関わっている。
フォロのように市民がフリースクールを運営する特徴について聞いた。「行政の施設ではどうしても学校に復帰することが前提になるが、民間では、子どもたちが学校にとらわれない視点で考えるキッカケを作ることができる。また、同じような経験をしている同世代の人と出会うことにより、他の人の考えを知る機会を作ることもできる」。さらにNPOが運営することについては、「行政や民間の営利施設と違って安定した活動は難しいかもしれないが、当事者だからこそ本当に必要と思うこと、実際に必要なことができることもあります。学校の外で子どもたちが何かを作っていく楽しさや、自分たちが活動をつくる面白さを味わえるのもNPOだからこそ」と花井さんは語る。
花井さんは直接の当事者ではない。大学で教育学を学んでいた時、「いい学校」をつくることに関心があった。そんな時に本屋で『学校に行かない僕から、学校に行かない君へ』(教育史料出版会)という本と出会い、考え方が変わった。学校外の子どもの学びと成長の場と謳うフリースクール「東京シューレ」の子どもたちが自分たちの経験を書いたものだ。「子どもたちが学ぶ場は、学校だけじゃないんだ」。そして悩んだ末、就職した地元大阪の教育関係の出版社を辞めて上京し、東京シューレに関わるようになった。
花井さんはもともと教育に関心を持っていたが、不登校の問題に関わる以前は、不登校の子どもは「弱い子どもである」という漠然とした偏見や、助けてあげないといけないものという認識を持っていた。しかし子どもたちと接し、枠にとらわれない自由な発想をする子どもたちの生き方を知るうちに、〈人としてのあり方〉を逆に教えられ、これまでの自分というものを見直すキッカケになった。その後、出産を機に大阪に移り、大阪の親の会(学校に行かない子と親の会・大阪)に関わるようになり、フォロの設立に加わった。
「東京シューレで学び、経験したことは私にとってかけがえのない、大切なものです。でも、フリースクールに〈こうあるべき〉という形はなく、今ここにいる子どもたちと一緒に創っていくものです。フォロもそうしていきたいと思っています。だから先のことは分からないし、三年後には、三年後の子どもや親たちでそのときに必要な場として創りつづけられていると思います」。〈今〉の子どもたちの視点に立って活動をしていく、それが基本である。
福田 和浩(市民ライター養成講座修了生)
(残念ながらインターネットではここまでです。あとは本誌でみてください!)
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社会福祉法人大阪ボランティア協会
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