No.370 / 2001年11月号 [前のページに戻る]

この人に ...No.178
●福原 義春(資生堂名誉会長)● 
パブリックに対して自分は何ができるのか
いったい自分というものは何であるのか
そう考えるようになるのは、自然なこと

パブリックな場での人間的なもてなし

ニューヨークのメトロポリタン美術館で小さな展示会のオープニングに招かれた時の話です。入り口で案内係の女性が「まぁ、わざわざ日本からいらしてくださって。どうぞゆっくりしていってくださいね」と声をかけてくれました。またエレベーターの中でピストルを持った守衛さんと目が合うと、彼はにこりと微笑んでくれました。なかなかフレンドリーなスタッフ達だと思いました。
 私はその日、七時から夕食の約束をしておりまして、それに間に合うように会場を出るつもりでした。それがいざ帰ろうとすると「もうお帰りなのですか、もっとゆっくりお話していってください」と案内係の女性に引き止められます。しかしそうもいかないので、展覧会が終わって受付のところにいくと「さっき一時間前にいらした方でしょ。もっと、ゆっくりしていらっしゃいよ」とまた声をかけてくれました。
 その後夕食の席で、その美術館での非常に珍しい体験を米国子会社の幹部の人達に話しました。つまり私はニューヨークで三年間勤めていたけれども、公共の場でもってまさに家に招かれたようなあんな温かい待遇を受けたことがない。これはいったいどういうことだろうか、と。
 すると子会社社長のアンディが言います。「あなた今日は何曜日だとお思いですか」「今日は月曜日。月曜日はメトロポリタン美術館は休館日のはずですよ。だから、あなたが出会ったのは全員ボランティアですよ」。私が館内で出会ったピストルを下げた警備員も案内係や受付の女性も、みんなボランティアだったのです。

社会に生かされている自分

 私は考えました。会社で給料をもらってつまらない顔をして仕事をしているのに、メトロポリタン美術館に来て一銭も給料をもらわないでお客さんを案内している。そしてそのほうがより人間的なもてなしができるとは、これはいったいどういうことだろうか。それから会社でずっとその問題を考えていました。ひょっとすると会社で給料を払っているのが間違いなのかと思ったこともあります(笑)。
 結局のところ人間というのは仕事によってある程度収入を手にし生活の安定が得られるようになると、それだけでは済まなくなるのではないかと今は考えています。パブリックに対して自分は何ができるのか、いったい自分というものは何なのかということを考えざるを得なくなるというか、考えることが自然なのです。我々人間は仕事も大切なのですが、自分達の思いで行動するとなんと熱心になれるんだろうということも痛感しました。
 私は社会の一成員でしかないが、社会によって生かされている。それならば、これまで積み重ねてきた経験を社会にお返しすることは当然のことのように私には思えたのです。

ヨコ型のネットワーク組織の存在

 では、こうした個人の思いは組織化された社会にどう現れてきているのでしょう。
 まず、社会全体の構造のパラダイムが変わってきていることはご承知のとおりです。まるで明治維新のように大きく社会が変化している時代に私は生まれ合わせているということを強く感じます。
 それは例えば、これまでのタテ型組織が機能不全に陥らざるを得ないことでもわかります。行政組織は十分対応できない問題が増えている、企業は役に立つ商品を開発しているはずなのに実際には役立っていない等々です。こうした現状のままでは、世の中が効果的に回っていかない。そんなところからも横型のネットワーク組織が登場してきたのかと思います。
 このネットワーク組織というのは、先にお話したようなボランティアの志の現れであるということです。この志が核になって組織化されていきます。目的観の共有によって連帯が形成されていくわけです。

シロウトの専門家集団?

 これらの組織の中には、より細分化・複雑化した個別の問題に対応する専門家グループのような存在も登場します。国際基督教大学教授の村上陽一郎氏は、専門家ではないが非常に専門的な知識を有している存在をレイ・エキスパートとお呼びになっています。氏はこうした学外的な専門家がさまざまな提言を行い、社会に影響を与える時代になったとおっしゃっています。
 それは例えばこんなことです。今日も日本経済新聞の朝刊で、ある消費者団体が薬品会社による治療薬の副作用の危険性を主張し、注意書きの厳格化や販売、処方時の注意喚起の徹底などをFDA(米食品医薬品局)に要求しているとの記事が掲載されていました。
 また反対に、米国で活動するアクト・アップというグループは、エイズ新薬の第一相臨床試験の結果が出されていない時に引き続き試験できるようにFDAなどに働きかけ、第二相臨床試験の開始を認めさせています。かなりの議論が交わされたと聞きますが、結果的にはエイズ治療薬の第一号が比較的早く流通するようになったそうです。このアクト・アップというグループのメンバーは、医療の専門家ではなく普通の方々ですが、エイズについてはお医者さんよりもはるかに深い知識をもっている方もいらっしゃるそうです。

さまざまな生き方と価値の総和

 いずれにしても、こうしたレイ・エキスパートと呼ばれる人々がさまざまな分野から登場して、行政や企業を動かしてしまうようなことがこれからも起こってくるだろうと予想されます。ただし誤解のないように申しておきますが、これはタテが悪いとかヨコが良いとかいう話ではありません。担い手は誰であろうと、その成果は慎重に評価されるべきです。
 ただ私が申し上げたいのは、きたる二十一世紀はレイ・エキスパートのような人々がヨコ組織としてタテ組織に影響を与えたりその逆もあったりと、双方が補完、あるいは時にヨコ組織がリードしていくような時代になっていくだろうということです。これは多様な生き方とさまざまな価値観が総和されることによって社会が豊かになっていく、そんな時代でもあると私は考えております。

(編集委員 岡村こず恵)

*これは二〇〇一年八月二十六日に実施した当協会主催『市民としてのスタイル夏の陣〜企業と市民の融合マジック』の講演の一部を記事にしたものです。

●ふくはら・よしはるさん プロフィール●

 1931年東京都に生まれる。
53年資生堂入社。
87年取締役社長に就任。独自のリーダーシップを発揮し大胆な経営改革に着手。97年会長、01年名誉会長に。
一方で、企業の枠を超えた文化活動に意欲的に取り組んできた。現在、企業メセナ協議会理事長、東京都写真美術館館長なども務め、社会の中での企業の役割と位置付けを常に追求している。
著書は『会社人間、社会に生きる』(中公新書、2001)。『生きることは学ぶこと』(求龍堂、1990)など多数。


前のページに戻る

戻る

社会福祉法人大阪ボランティア協会