No.366 / 2001年6月号 [前のページに戻る]

ボランティアメディアチェックPart2

(第2回)小泉新政権

 読売八七%、毎日八五%、産経八〇・九%、朝日七八%。新聞各紙が実施した世論調査で、発足直後の小泉政権は圧倒的な高支持率を示した。
 人気の理由はいろいろ指摘されているが、共通しているのは「構造改革」への期待だろう。停滞する経済、インモラルな社会的風潮などを背景に、変化を待望する空気はかつてないほど高まっている。その期待を、旧来型の「派閥の論理」に挑戦した小泉氏が一身に吸収した。しかし、小泉氏を「変革の旗印」として手放しで礼賛するだけでは、真の改革にはつながらないだろう。
 報道で伝えられる「小泉像」は確かに、議員在職二十五年表彰を辞退したり、郵政三事業の民営化を主張して一歩も退かず族議員と論戦するなど、いわゆる「革新」スタイルに満ち満ちている。だが一方で、その政治的主張はかなり色合いを異にする。
 朝日新聞の四月二十七日朝刊で、作家の辺見庸氏は「憲法を変えて集団自衛権を認めたい旨の発言しかり、靖国神社に公式参拝したいとの発言しかり。…小泉新体制というのが、面相ににあわず国家主義的であることの証左である」と述べたうえで、「新政権は、おそらく、世論調査で高い支持率を獲得するにちがいない。果断でスマートな指導者への民衆の幻想が、不況脱出の願いとあいまって、当面、新政権を支え、押し上げるのであろう。けれども、その熱気が、冷静で合理的な平和理念を乱暴に押しのけ、憲法九条の改定へと徐々に事態を導くとしたら、…次世代にわたり禍根を残すことになる」と鋭く指摘している。
 また同日の産経新聞朝刊では、新政権の性格について同紙の政治部長が「保守の復権が”小泉カラー“の神髄といってよいのだろう」と明確に述べている。
 異例の高支持率は、ある意味で「右」も「左」も、「因習打破」も「憲法改正」もないまぜになった期待の反映といえるのである。その中には当然、互いに矛盾・対立するものが含まれる。全てを満足させることが困難である以上、圧倒的な支持は速やかに大きな失望へと転換するかもしれない。その時に明らかになるのは、「支持率八割」が所詮はムードの産物だったということだ。
 小泉政権誕生への道は、昨年の「加藤の乱」が出発点になっている。あの「乱」がなければポスト森は加藤氏になった可能性が高いし、少なくとも派閥談合による総裁選出という”伝統“は温存されたと思われる。
 あの時に加藤氏は市民の支持を訴えて決起しながら、「最後の勝敗は議員の数による」という旧来の思考から抜け出していないことを暴露してしまった。小泉氏は加藤潰しに全力を挙げる一方、「市民」が持つ意外なパワーと、それに頼りきれず失敗した加藤氏の姿を冷静な目で見ていたに違いない。加藤の乱を貴重な「戦訓」としたからこそ、今回の総裁選で徹底的に「永田町」から離れ、「市民」に軸足を置き続けたのだろう。
 では、その小泉政権を生み出した「市民」は今後、八割支持が単なるムードでないことを証明し、「派閥談合政治」に逆戻りしない決意を示すためにも、政治とどのようにかかわっていったらいいのだろうか。
 端的に言ってそれは、市民が小泉政権の「権力の基盤」でなく、「政策の源泉」になることだろう。
 政権が何を目指し、何を捨てるのか。実現可能なもの、不可能なものは何か。あるいは「していいこと」と「してはいけないこと」は何なのか。「市民の支持」を恣意的な権力行使の根拠にされないために、政策を個別に分析し、判断する冷静さと賢明さが必要になる。そしてまさにその点で、マスメディア、特に新聞に、市民に判断材料を提供してくれる報道を期待したいのである。
 政権発足前後は、新聞の社説からテレビのワイドショーまで、小泉氏への期待にあふれた好意的報道が多くを占めた。
 例えば小泉氏の改憲指向についても、新総裁誕生を伝える四月二十五日朝刊の毎日新聞は、わずかに二段見出しで「『憲法九条、将来改正を』」と触れたに過ぎない。
 朝日新聞も同様で、一面の四段見出し「構造改革貫く姿勢」のワキ見出しで「九条『将来改正すべきだ』」とうたっているだけだ。日経新聞ではさらに小さく、一面トップたて見出しの下に「憲法改正めざす」。ほんの申し訳程度である。
 これらはいずれも、数年前なら一面トップ間違いなしの発言だ。現状は確かに「論憲」がコンセンサスを得つつあるとはいえ、「小泉待望・礼賛」の大きさに比べ、いかにもバランスを欠く印象は否めない。憲法改正がいけないというのではない。ただ、こうした報道が続けば、市民の判断に目隠しをすることになるだろう。
 従来の派閥政治が関係者の利害調整の結果だったとすれば、新たな政治は自立した市民の合理的意思に従うものにする必要がある。そのためには政治と市民とをつなぐ回路がなくてはならない。その回路がメディアだ。
 「市民」が目隠しをされ、政権にとって都合のいい「権力の基盤」であるうちは真の改革は達成されない。メディアという回路を通じて「政策の源泉」となって初めて、日本の政治・社会に価値観の転換がもたらされ、本当の意味での「市民参加」が実現するのである。

(編集委員 増田宏幸)


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