Vマーク青 月刊ボランティア〜Internet Edition〜
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No.350 / 99年11月号

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No.350この人に写真 この人に ...No.158 ● この人に  マルセ太郎さん ● 

まず自分のことばで語ること。

それを曖昧にして動くのは逃げているんじゃないかな。

市民の手で作った「イベント・仕掛人学校」の舞台で永六輔さんらと出演されるそうですね。近頃、みんなが文化を育む気風がありますが、どう思われますか?

 私にとってはね、文化、文化ってみんな言うけれど、基本は「ことば」だと思うんだよね。若者にも多い「ひっぱり言葉」ってあるでしょ。あれは結局、自信のなさなんだよね。自分が何を言いたいのかよくわからない、考えてない。「…のような感じ」とか「…みたいな」って言葉を使って、自分の意見を中庸の位置に置くことで逃げている。「そうだ」とも「違う」とも言えない。それは結局、自分に対する甘えなんだと私は思う。

 「ことば」って大事だよ。自分の行動も、考えもすべてその「ことば」に表れるよね。自分が「何を」「いかに」考えているか、その人の使うことば一つに表れてくるんだよ。「自分がこうしたい」ってことをまっすぐ表現できるくらい考えてしゃべっているかい? 日本語を大事にしているかを考えたことある? カタカナ語を使うのがいけないとかそういうのではないけれど、そういうカタカナ語で自分の意見を曖昧にしている。自分が何をどうしたいかを表現する、そして動く、それをまずしなくちゃ。それらをまったく考えずに、みんな簡単に「文化がどうだ」と言っているけれど、それはおかしい。自分が発していることばからまず見つめたらそんなことは恐れ多くて言えないんじゃないかな。

 自分は形態模写という演技で生業を得ているけれども、ここでも「ことば」は財産だよ。演技で自分の言いたいことを表現するというちょっと違う方法だけど、それでも表現して誰かが何かを感じてくれたらそれでいいと思っている。

今、なんだか知らないけど、ボランティアなんかでも「ふれあい」とか「出会い」ですべてを括ってしまっている。それがどうなんだ、何なんだ…ってことを語らずに「ふれあっていこう」みたいなスローガンになっているのを何か変だと思わないかい? 私みたいに舞台で「国旗」のことや「差別」のことを自分なりに表現していると、そういうことばでまとめられてしまうのはとても嫌な感じがする。ボランティアってね、結局、政治を抜きにしてはいけないと思う。そこを曖昧にして「ふれあい」という言葉で通りすぎるのは、単に「自己満足」に終る…。考えて、自分のことばで言って、討論して、また考える。それがボランティアだと思うけどね。

●マルセ太郎さん・プロフィール●

●大阪府立高津高校時代から演劇の道を志す。マルセル・マルソーの舞台を見て、パントマイムに興味をもち芸名を「マルセ太郎」に。八四年より、映画再現芸という新しいジャンルを開拓し絶賛を浴びる。数少ない本格派ボードビリアンとして活躍中。


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