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...No.140 ● 河合 隼雄さん●
「物事の多義性を認める」 ことから始める
臨床場面でこんなことがありました。苦学して高い地位を築かれた父親が、中学生の息子のことで相談に来られたのです。「自分は苦学をしてこんなに頑張り抜いてきた。自分の息子にはそんな苦労をさせたくないと、本もたくさん買い与え、家庭教師も五人つけ、必要なものは全部そろえてやってきた。それなのに、息子は学校へも行かずに家でゴロゴロ遊んでばかりいる。けしからん」と怒られた。
私は父親に尋ねました。「お父さんが苦学されたのはとても立派だと思います。そこまで苦学をされたということは、やはり勉強がしたかったのでしょう」。すると父親は「私は勉強がしたいから、頑張ってやったのです」。
「ああ、それでわかってきたのですが、お父さんはそうでしょうが、お子さんは勉強をしたくないのですよ。それなのに家庭教師が五人もやって来るというのは、それこそ苦学と呼びたいですね」。父親ははたとわかられて、「子どもの方がよっぽど苦学をやっております」。
なぜこのようなことが起こるのでしょうか。私達は何か考え違いをしているのでしょう。あまりにも物事を一義的に捉えすぎているのです。物事を一義的に定義することができれば、計測することができるようになります。その考えを幸福についてもあてはめている。お金はないよりある方が良い、モノもないよりある方が良い。お金やモノの量で幸福を計測できると考えています。
親は子どもの幸福を願っていろいろします。本もたくさんある方が良い、勉強も点が高い方が良い、そのことが子どもの幸福につながると。しかし、子どもは本当はすごく苦しんでいるのです。それを子どもの側からはなかなか言いにくい。ある面から見れば、その父親はとても教育熱心で立派だと評価されますから。
「本」や「家庭教師」が何を意味しているのかを考える必要があるでしょう。父親は子どもの「成長の糧に」と思ってたくさんの本を買い与えますが、子どもは少しも読もうとしない。子どもは本棚にずらりと並ぶ本を見て、「成長を阻む壁ができた」と思っている。同じ「本」でも意味しているものが違う。物事の意味は一義的に決まっているわけではないのです。
自然科学では物事の意味を一義的に決めている。コップの研究をする場合でも、質量、形態、素材のいずれを扱うのかを明確にしておかなければなりません。しかし、実生活ではコップはいろいろ意味を持っています。実人生は思いの外にいろいろ意味をたくさん持っています。それを自然科学的に取り扱い、物事の意味を一義的に決めようとするところに、問題が生じてきているように思われます。
(定)
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●河合隼雄(かわいはやお)さんプロフィール●
1928年生。国際日本文化研究センター所長。ユング心理学を紹介し、箱庭療法を導入し、日本における臨床心理学の基礎を築く。主著に『昔話と日本人の心』(岩波書店)。
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