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...No.139
● 河野 義行さん● | 誰でも えん罪の被害者にも 加害者にもなりうるのです。 |
松本サリン事件から4年が過ぎましたが、妻の意識は未だ戻らず、私にとっての事件は終わっていません。
ほとんどの人がオウム教団の麻原彰晃さんについて「あいつがやったに違いない」と思っているでしょう。でも、四年前を振り返ると、ほとんどの人が私のことを犯人と疑っていたはずです。だから、「あんなやつ死刑にしろ」といった発言が出るのは怖いことです。法律上、推定無罪のはずなのに、今の世の中、全く反対の推定有罪。「推定無罪」という言葉が死語に近くなっています。それは自分が冤罪にならないという前提があるから言えるのでしょう。冤罪というのは、警察の予断や無理な捜査などから作られますが、マスコミの犯人報道がそれを増幅させます。報道を信じてしまった市民が、警察に電話や手紙で「さっさと逮捕しろ」などいった行動を起こす。その数が多くなり世論となると、警察は動かざると得ないという面があります、誰にでも冤罪に遭う可能性はあるし、明日冤罪に加担する可能性もあることを知ってほしい。
麻原さんが有罪でも無罪でも、また誰が犯人であろうと、私には関係ありません。罪を犯した人は例え刑罰を免れても、必ずその罪を背負って生きていくはず。私は性善説的な立場で「自己制裁」というか、結局はその人自身が責任を取るしかないと思っています。よく「社会的制裁」という言葉が使われますが、制裁できるのは、マスコミでも、市民でもないはずです。また、犯罪者の家族にまで、当たり前のように「社会的制裁」が加えられている現実も気になります。
私は冤罪の歯車から何とか抜け出すことができましたが、結局、地下鉄サリン事件が起こり、二次的に無実が証明されたに過ぎません。多くの犠牲者を伴ったあの事件がなければ、どうなっていたか。私は多くの人に助けられました。無実であっても、肉親や友人の支えがなければ、「自分がやった」と違う自白をしてしまいかねません。人の輪の大切さを痛感しました。私にはボランティアの定義が何かよくわかりませんが、何か「してやる」というのでなく、犯人扱いされていた僕のように「そこに困っている人がいたから助けた」という良き人の輪がもっと広がってほしいと思います。やはり一人一人の優しさ、心の豊かさが大切だと思います。
自分の体験を通じて問題提起する必要があると、妻の介護と仕事の休みに、全国で講演をしていますが、今後もフィルターにかかったものでなく、できるだけ私の生の声を伝えていきたいと思っています。当たり前のことが「当たり前」でない今の世の中に対する、私のささやかな抵抗です。
(峰)
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●河野義行さんプロフィール●
会社員。1994年6月27日に発生した松本サリン事件の第一通報者、自宅を家宅捜査されるなど容疑者扱いされた「『疑惑』は晴れようとも」「妻よ!わが愛と希望と闘いの日々」の著書がある。
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社会福祉法人
大阪ボランティア協会