月刊ボランティア〜Internet Edition〜
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No.337 / 98年7・8月合併号

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【 特集 】 政治活動もボランティア!?
−政治参加のあの手この手−

 十二日は参議院議員選挙。今後、六年間(!)もの長期間、国政の一端を担う私たちの代表者を選ぶ選挙だ。そして来春は統一地方選挙。東京都、大阪府を始め、多くの自治体で首長や議員を選ぶ選挙がある。そこで今回はボランティア活動と政治との接点について考えてみよう。

 しかし両者の接点は、そう見えやすいものではない。現実には、たとえばボランティア活動への関心の高まりと反比例するかのように投票率は低下し続けている。「ボランティア活動の参加者が増えれば、社会問題への関心も高まり、政治への関心も高まる」という構図もえがけそうなのに、事実は逆の動きとなっているのだ。なぜ、こうした状況が起こってしまうのだろうか?

 「それは魅力的な政治家がいないからだ」政治不信そのもののこんな答えもあろうが、単純に政治家のせいだけにできない事情もあると思う。同じ社会活動でありながら政治活動と一般のボランティア活動には、そのスタイルにかなり違いがあるからだ。

 政治とは、その究極において、権力をコントロールする作業だ。法律を定め新しい社会制度を作る時、そこには必然的に強制が伴うからだ。この制度は全体に影響を及ぼすものだけに利害の異なる人々を巻き込む。この利害調整を平和的に進めるには、何らかの妥協は避けられない。つまり、当初の姿勢や発言内容が時間の経過とともにくるくると変わる、ということも起こりやすい。その上、法の制定という結果がすべてだから、目的のためには手段を選ばず…ということも少なからず起こる。結局、「タヌキとキツネの化かし合い」などと評される世界になりやすいわけだ。

 一方、いわゆるボランティア活動とは、まさに「共感」の世界。多様な課題の中で特定のテーマに関心をもつ仲間・同志が集い、さらに対象とする相手とも共感し合える関係を築くというのが、そのスタイルだ。この共感は、強制を伴う権力がものを言う世界では育ちにくい。そこで、できるだけ強制を排し、自主的で自由な世界であろうとする。その上、無償の活動であることもあって、打算で動くことは少なく、志や原理原則を尊重し変な妥協をできる限り避ける。この純粋さはボランティア活動の重要な魅力の一つでもある。
 こうしてみると、政治とボランティア活動とは、まさに「水と油」的な存在のように見えてくる。

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 しかし言い古されたことだが、「自分好みの社会」の中で生きていこうとするならば、好むと好まざるとにかかわらず、政治から逃げることができないのも事実だ。選挙を棄権することでさえ、結果的には一定の政治的効果を生み出し、その結果は他ならぬ私たち自身の暮らし全般に大きな影響を与える。

しかもボランティア活動のような自主的な取り組みは、人権の擁護はできても、人権の保障まで担うのは難しい。活動資金などを自ら負担する活動が、人権保障のような普遍的なニーズに安定的に応えることは困難だからだ。この自主活動の限界を克服するため制度による保障があるとも言えるわけで、その意味では活動を通じて政治課題とすべき問題に気づき、進んで政治化していくことはボランティアの重要な役割でもある。なんといっても、あらゆる社会問題は政治性をもつ。その点に目を向けず活動を楽しむだけならば、「自己満足」的な活動ということにもなってしまう。

多様な価値観をもつ人たちが共生する現代社会では、政治という利害調整作業は実に面倒なものにならざるをえないが、しかしそれを避けてしまえば自分たちにとって望ましい社会制度は作れない。それに政治の本質とも言える「交渉」は、悪く言えば駆け引きだが、良く言えば「戦略的行動」だ。これを面倒な作業、汚れた仕事と忌避しない「たくましさ」「したたかさ」も必要だろう。

しかも、政治との接近、すなわち政治家に直接的に関わることは、制度改革を柔軟にさせる場合が少なくない。実際、たとえば今年三月に成立した特定非営利活動促進法(NPO法)の成立過程で実に多くの修正がなされたのも、それが議員立法であり、政治家と市民活動関係者の活発なやり取りの中で、法案が練られたからだ。具体的な政策を推進ないし批判する団体も、地域環境の保全を目的とする活動も、外国人を理事とする団体も、いずれも、当初案の規定が変えられNPO法人になることができるようになったのは、議員と市民団体との対話の中で法案が修正されていったからだ。

 元来、法の解釈役を超えることのできない行政との交渉に比べ、政治家との間では極めて柔軟な修正交渉が可能なのだということが言える。

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もっとも、この関わりが生産的になるには条件がある。私たちが一定の専門性と主体性をもつということだ。「政治」と聞くと「どうせ利用されるだけ」と斜に構えるのではなく、対等な関係を作ることのできる力を持つことが必要なのだ。単に批判するだけでなく、実現可能な対案を提示し、場合によっては先行的に実施する。そんな構想力をもち、かつ長期的なビジョンや当面の戦略をきちんと整理して対応すれば、「利用されるだけ」に終わることはないはずだ。

 その意味で、多様な市民団体がそれぞれの取り組むテーマについて政治家と積極的に関わる中で、政党としての総合的な政策が練り上げられていくアメリカ。有権者の三人に一人は政党に所属し、議会と国民の間の距離が小さいスウェーデン。議員が兼職で仕事をもち、議員活動がいわばボランティア活動的な取り組まれているため、夜間に本会議が開かれるデンマークの地方議会などの事例は、市民団体と政治の関わり方を考える上で参考になろう。

 では、政治(家)と市民活動との関係はどのように形があるのだろうか。図に示すように、そもそもボランティア活動には、自ら直接サービスを提供する「自主・自立的な公共サービスの創造」のパターンと、制度の改革を働きかける「制度的な公共サービスの創造」という二つのスタイルがある。二つの回路を通じて私たちの生活を私たち自身の手で向上させているわけだ。

 ここで政治との関わりは、後者の活動の一つということになるわけだが、さらにその活動メニューとして多様なスタイルがあげられる。今月号では、この中で立候補者を中立的にチェックするため「自主立会演説会」を開催した事例と、「候補者養成講座」を開いている事例を紹介する。いずれも明るいノリで、楽しく真面目に政治と関わろうという試みだ。いずれにせよ「民主主義」とは、こうした実践の積み重ねの中でこそ築かれるものだと思う。

編集委員 早瀬 昇


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社会福祉法人大阪ボランティア協会