月刊ボランティア〜Internet Edition〜
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No.335 / 98年5月号

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【 特集 】 「市民と創る」 がキーワード

社会教育施設におけるボランティアマネジメント
〜「人と自然の博物館」ケースが示唆するもの〜
 最近、「生涯学習」という一つのフィールドのなかにボランティアがいろんな形で関わりはじめている。それは、これまで一般的に思われてきた福祉分野のボランティアとは、ちょっと特色が違うようだ。「課題」に迫られないボランティアと向き合うとき、施設側には何が必要か?

 そこで考えたいのが「ボランティア・マネジメント」というアイディアである。今号の特集では、「兵庫県立 人と自然の博物館」の事例を通して、「ボランティア・マネジメント」とは一体何なのか見ていきたい。

 「あの時、よく私たちに任せてくれたと思うね。最初は、備品一つ用意されてはいないし、『自分たちでやるんだ』と言われても何から始めていいかワカラン! でも、今振り返って改めて考えると、職員さんたちのボランティアに任せる姿勢があったからこそ、今の元気な活動があるんだよ」と語るのは、「兵庫県立人と自然の博物館」(三田市)で現在も活動している第二期生ボランティアの濱田昌司さん。

 兵庫県では、県民に開かれた生涯学習事業を進めるため「ボランティア養成講座」を実施している。講座の修了生たちは、各博物館等の施設でボランティアとして活動しており、濱田さんもそんな一人だった。

 「任される」とは、つまりはボランティアが自らの責任で自主的に活動を運営するということ。県の養成講座を修了したばかりの濱田さんには、その「任される」ということの意味がピンとこなかった。館側のお膳立て不足に対する不満、任されるという重圧。「無償でかかわるボランティアなのに、なんでここまで自分たちがしなければならないんだ…」との思いが募るばかりだったという。  

「課題」の見えないボランティア?

 ここで「人と自然の博物館」でのボランティアの成長を見る前に、社会教育施設におけるボランティアの現状をチェックしておこう。

 そもそも、ここ最近、社会教育(生涯学習)施設でも、ボランティアが当たり前のように活動するようになった。もっとも、二十数年も前から展示物を解説する展示ボランティアを導入していた「北九州市美術館」や、モデルケース的に平成元年に教育ボランティア専門官を配置し、その後「教育ボランティア活動推進室」を設置した「国立科学博物館」などの先駆的取り組みも存在する。しかし、多くの社会教育施設でボランティア導入が著しく進みだしたのは、つい最近のことだ。

【表1】社会教育施設意識調査(文部省)より
施設数 団 体 V
登録者数
個 人 V
登録者数
活 動
延べ人数
公民館 2,605223,7247,2791,463,757
図書館 1,04231,4934,433261,848
博物館 48327,54012,336190,386
少年教育施設 24336,6762,959140,746
婦人教育施設 6810,4592,41756,042
社会体育施設 642106,5097,965888,981
民間体育施設 56330,5827,759387,752
文化会館 12721,7762,60242,609
 社会教育施設ボランティアの活動の場は、美術館・博物館だけに限らない。文部省がまとめた「社会教育施設意識調査」 【表1】 を見ると、公民館・婦人教育施設・社会体育施設・図書館等さまざまで、多くの社会教育施設でボランティアを導入しているのが伺える。

 一昔前までは、施設でのボランティアというと、社会福祉施設での活動こそがメインストリーム(主流)であり、一般的に言っても「ボランティアとは福祉の世界のもの」という印象が突出していた。実際、こうした活動は「社会的課題」が見えやすい。―例えば、介護援助を必要とする家族がいる。また、障害者の遊び相手が必要な施設がある。― そこで「要援護者」が抱える現実課題に触れ、やるせなさや憤りを感じ、いてもたってもいられないと活動を進める。つまり、福祉系ボランティアは、時に、行政にその「必要に迫られた」課題をぶつけていけるだけの問題意識を持ちやすく、単なるマンパワーを超えた活動へと発展しやすいのである。福祉系ボランティアの場合、こんなシンプルな動機づけと意義の相関図が見えてくる。

 一方、社会教育施設の場合はどうだろう。
 例えば、博物館系の施設の場合、「普及課」というセクションがボランティアのコーディネートを担当していることが多い。「地域社会に根ざした、開かれた親しみやすい博物館づくり」(奈良国立博物館)のような施設のボランティア募集動機から、ボランティアを通じて生涯学習の普及を図りたいとの期待が見える。

 実際、社会教育施設ボランティア募集規定では、

 ●年齢制限なし、募集に際し選考をしない。
 ●特に資格等は必要ない。登録後、養成講座等を受講すること。
 ●月○回以上の活動義務。

 といった形で全般的に制限の少ないものが多い。入り口でのハードルが低い募集だけに「それなら私にも…」といった気軽に飛び込みやすい世界だともいえる。実際、社会教育施設でよくある解説ボランティアは、アートならアート、動物なら動物といったその分野のエキスパート的存在として位置づけられ、彼らの興味のある分野の造詣を深める機会が与えられる。

 ただし、一歩突っ込んで言えば、こういったボランティアは「○○が好き」だからその専門性により深く触れたいという自分の趣味の延長にとどまってしまいやすい。そして、これは下手をするとその活動だけで自己完結してしまう「オタクな活動」になりかねない。問題解決という「ひっ迫したニーズ」のない社会教育施設のボランティアは、「好きだからこそ」できる自己実現の可能性がある一方で、その「実現」に陶酔してしまう要素も含んでいる。

 言い換れば、福祉系ボランティアの場合と違い、市民に生涯学習の場を広く提供するという行政の施設設置目的と、自分の興味ある専門分野に関わる機会を得んとする社会教育施設ボランティアの活動動機の間の、このすれ違いが気になる。  

「不幸なバランス」の相関図

【表2】社会教育施設と社会福祉施設におけるボランティア活動の形態比較
対 象 活動内容 活動動機 施設の
目 的
施設の
方向性
ゴール
到達点
社会教育 市  民 ガイドや
解説員
指導員
趣味の
延 長
教育の場
の提供
生涯学習
のサポート
生涯学習
の普及
社会福祉 要援護者 介助や
交流等
より社会派
課題克服
の共感
現実課題
の克服
対象者
支援
問題解決
 しかし、そんなすれ違いがありながら、社会教育施設ボランティアの実態がほとんど問題として浮上してこない。何故だろう? それは、施設とボランティアの奇妙で不幸な「バランスの均衡」が保たれているからではないだろうか。

 施設の管理者である行政は、 往々にしてボランティアを一種の「安いマンパワー」として利用する傾向がある。経費軽減のためのボランティアだ。そして、「うちの施設ではボランティアが頑張ってくれてましてねぇ…」というような、表面上「市民参画」のPR的存在のボランティアであったりもする。 哀しいかな、これが行政の本音なのかもしれない。

 ボランティア側はどうかといえば、自分の趣味を生かせる機会のある施設で、お膳立てされた活動に満足しがちだ。「無料奉仕なんだから、施設がそれだけのものを用意すべき」というような職員の全面的アシスタンスを当然の権利と考え、そのお膳立てこそ施設側の義務だと思って活動に飛び込んでくる人も多い。

 このように、行政(施設)とボランティアのお互いの意図は違う方向を向いているにもかかわらず、そこに不幸な「バランスの均衡」が保たれている。

 しかし、そういった違う方向を向いたもの同士が、いつか壁にぶつかることも容易に予想される。上から指示された受け身な活動は、ボランティア自身だけでなく施設そのものにも停滞感を与え、活力を失わせる。その結果、両者が「なぜ、 ここでボランティアが必要なのか?」という疑問にぶち当たる。そんなちょっとした不信感がボランティアと施設(職員)の間にぎくしゃくとした雰囲気を作り、お互いが関わりにくいという悪循環を生じさせる。

 このボランティアと施設のギャップを回避し、両者がいかにうまく協働するかという目標に向かっていくこと。これは「マネジメント」と呼べるもので、施設とボランティアの協働においても適用できるアイディアだ。その目標達成のために計画性のあるプログラムを作成すること ( ボランティア・プログラム フローチャート参照 )も含めて、施設がボランティアを受け入れる際、考慮すべきアイディアだと思う。  

「人と自然の博物館」の実践・ボランティアマネジメント

 さて、冒頭に出てきた「人と自然の博物館」は、わざわざこの「ボランティア・マネジメント」という言葉を使ってはいないが、その感覚を意識し、アクションを起こしてきたケースである。

 今から、五年前のこと。館側では、兵庫県が実施した「ボランティア養成講座」を修了したボランティアを受け入れなければならない状況に迫られた。そこで、環境計画研究部の藤本真里さんら研究員の有志数人が「コーディネーショングループ(CG)」を結成、「ボランティアをどう受け入れていくか」について話し合うようになった。 CGのメンバーのなかには、アメリカ・ワシントンDCのスミソニアン博物館でボランティアが生物をのせたワゴンで館内をまわり、ボランティアの創意で見学者に「見て、聞いて、触ってもらう」解説する姿に感動したものもいた。一方、日本では、施設側から「与えられた」範囲でしかやっていないボランティアや、「言われたらやりましょう」といった主体性のないボランティアが少なくないことも知っていた。CGの間で何度も議論したこと。それは「ボランティアが主体性を持つことはどういうことか」だった。  

その壱 ー「役割分担」を明確化

 活動主体はボランティア、館はサポートに徹する」というのがCGのメンバーの発想だった。「ボランティア自身にとって楽しい活動とはどんなものか」「有給職員と無給ボランティアが同じことをやっても意味がない」「こちらが用意したプログラムを淡々とこなしていっても面白くないだろう」「こちらの意図を伝えるためには、どのような養成プログラムが必要か」。そんな議論が数ヶ月以上繰り返された。結局、ボランティア受け入れの骨子が固まったのは、ボランティア養成講座修了後、半年経ってからのことだった。

 「みんなでつくる博物館」「ボランティアの主体性重視」「活動を通じた仲間づくり」という基本方針を最初のオリエンテーションで説明。活動テーマをボランティア自ら見つけてほしいこと、組織運営も自ら行うことが大前提であることを力説し、何度もその意味づけについて述べた。 組織運営については「企画」「運営」「編集」という簡単な三本柱からスタートした。

 実際、最初は、館の姿勢に対してボランティアの戸惑いは大きかった。「研究による自主ボランティア」という言葉を使えば、「そんなこと自分たちにはできない」とか「私たちには難しすぎる」云々。運営を任せていこうとすれば「なんで自分たちがそこまでしなければならないのか」「この備品の予算がないとは何事?」というものまで、様々な不満が浮上するばかり…。

 そんなボランティア側からのクレームに一つ一つ対応していきながら、他の施設の面白い取り組みや実際の活動を紹介。さらに、「この本を読んだらいい」「それはあの研究員に聞いたらよく分かる」といった専門家への橋渡し役や知識の提供協力は惜しまなかった。職員のスタンスとして、施設がサポートをすべき部分はフォローのみ、ボランティアが自主的に取り組む部分には手出しをしないことを徹頭徹尾、貫いた。 ( 「人と自然の博物館」ボランティア活動役割構成図参照 )。刺激を与え、役割の範囲内でサポートする・・・そんな試行錯誤の繰り返しだった。  

その弐 ー「突き放し」ながら「伴走」すること

 ボランティアの自主的な運営を推し進めるにあたって、コーディネーターである藤本さんがこだわったこと―それはボランティアをある意味で「突き放し」ていくことだった。この「突き放す」という言葉は、あまり好感の持てる言葉には聞こえないが、ボランティアの自主性を尊重するという意味で非常に重要なことだと思う。「突き放すというのは、『施設がやるべきことをやらない』ということではないんですよ」と藤本さん。つまり、職員がファシリテーター役となって、主体的に動くべきボランティアたちを励ましていくという姿勢をとったわけだ。

 さらに、この「突き放し」には、「伴走」するというおまけもついてくる。藤本さんたちは、オブザーバーとしてボランティアの会議に必ず参加し、「今、ボランティアが何を考えているか? 何を感じているか?」を知るようにした。彼女が感じる部分をボランティアも認識してくると、そこに自然と「自分たちのことを考えてくれている」という意識が生まれ、おのずからお互いの「信頼関係」も出来上がってきたという。実際、自主的運営システムが軌道に乗りはじめると、初期ボランティアが次のボランティアに教え、後輩は先輩の自主的活動を習うようになる。そういった良い循環が生まれてきた。  

その参 ー 仕掛け人としての職員

 しかし、いくら自主的運営といっても、やはり同じことを続けていればどこにも自然と停滞感というものは出てくる。「人と自然の博物館」の場合も然り。そこで藤本さんたちCGがその停滞感の打開策として考えたボランティアの「活躍の場づくり」が、「ミュージアム・フェスティバル」の企画だった。

 ’96年と’97年の11月、「市民に博物館を身近に感じてもらう」をコンセプトにボランティアと職員が一緒になって企画・開催をした「ミュージアム・フェスティバル」。夏頃から準備を開始し、市民に親しみやすい企画の切り口をお互いに模索。ボランティアたちは、木工教室、花作り教室、ネイチャーテーリング、自分たちで作ったどんぐりクッキーの販売等、グループに分かれて準備を進めていった。

 フェスティバル当日の来館者は5千人! このイベントは、職員の期待していた以上の成功を収め、ボランティアに新たな活気を呼び起こした。「自分たちの企画がうけた!」ということが彼らの自信となった。「自分たちの企画や運営がこれだけの効果があるんだ」という気づきが彼らの自負心を刺激した。そして、これまでは足りない資金は自己負担していたのだが、「自分たちで作ったものの販売で活動資金も得られる!」という発見もあった。それは、ボランティア活動の根本の「自分の気持ち次第でなんでもできる」自由さの気づきだった。

 この「ミュージアム・フェスティバル」をきっかけにして、月1回の「ボランティア・デー」をやろうという企画も持ち上がった。

 ものごとの「与えすぎ」は、その対象の「能力」を弱める。人間と薬の関係ように、その人の自己治癒力を弱め、薬に依存せずには生きていけなくなってしまう。 だからこそ、自己の持つ力―「可能性」を信じるアプローチこそ必要だと思う。「人と自然の博物館」の場合、「活躍の場づくり」が「創る喜び」という水紋を作る一滴の水であったようだ。創造的な喜びの発見こそ、次の水紋の紋様を作り、新たな「想像力」を掻き立てる原動力となる。さらに互いの相乗効果でぐいっと一歩違う画期的な企画を生み出していく好循環が成立した。  

それでも…「課題」も山積み

もちろん、 画期的で前向きなことばかりがあったわけではない。今でも課題は山積みだ。
例えば、「人と自然の博物館」の場合、ボランティアの活動に際し発生するコストがその一つだ。ボランティア養成講座の運営については県からの予算がつくが、養成された人が活動するための予算がつかない。行政からすれば、ボランティアが資料整理や展示解説をするだけであれば、費用(コスト)は発生しないと考えるだろう。これこそまさに、「ボランティアはお手伝い」的発想法だ。そこにはボランティアが新規に何かを作り出すという「市民参画」の意味が理解されてないように思う。こういった姿勢が続く限り、ボランティアの活動資金をなんとか調達するべく、施設(職員)が苦労しなければならなくなる。

 また、活動の規模が大きくなるにつれ、出てくる問題もある。ボランティアの人数が増え、歴史も重ねてくると、「曖昧」で済ませてきたちょっとしたことがそうでなくなってくる。同じことを十人に言っても、最悪十通りの解釈で済んでいたものが、それが五十人になれば五十通りになり、事の解釈が捻じ曲げられる確率が自然と高くなる。また、人数の拡大が個々のコミュニケーションを悪くし、「信頼関係」を保つことを難しくする。つまり、それぞれのボランティアの「顔」が見えにくくなってきたというわけだ。  

ビジョンの確立」に裏打ちされるボランティアマネジメント

 結局、「ボランティア・マネジメント」とは、マニュアルにあるようなプログラムを順を追って実行するという単純なものではない。活動の過程で浮上する課題を真摯に受け止め、コーディネーターが自分なりの「ボランティア観」を確立することが不可欠だ。つまり、「この施設にとってボランティアとは何なのか?」という点について確固たるビジョンを持つことが必要であろう。

 「人と自然の博物館」の例のように、自主運営という「市民」の経営参加は、ボランティアの役割の中軸といえる。これは、人と施設に活気をもたらせるし、外部の人間の参画は施設経営の透明性を示すバロメーターとなる。そのバロメーターは、単なる市民の企画や運営参入という機能を超え、市民という「ファン」的存在のボランティアが始終施設内にいるというありがたい話でもあるのだ。

 そしてこうしたボランティアに対する尊重があってはじめて、「市民と創る」という同じラインに両者が立つことになる。 その姿勢を感覚的に持つことができれば、ボランティアを一つのコマという位置づけで捉えるはずがない。そうした一歩引いた姿勢こそが「信頼関係づくり」の第一歩となる。

 また、ボランティアの自主的参画を促すのであれば、ボランティアに「任せる」ことのできる「勇気」をコーディネーターが持つことが要求されるだろう。先述の例で言えば、突き放すことが「勇気」だとすれば、伴走することは「忍耐」だといえるかもしれない。

 コーディネーターによって「ボランティアとは何か」というビジョンはそれぞれ違ってもいい。一つ一つの施設に個性があるようにコーディネートにも個性があっても不思議ではない。ただ、その施設が求める「それぞれのビジョンの確立」こそ、ボランティアとの協働における最低ラインの心構えであり、人間と向き合う第一歩だと思う。「人と自然の博物館」の取り組みは、まさにその好例なのである。

編集委員 水谷 綾


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