月刊ボランティア〜Internet Edition〜
Vマーク青 月刊ボランティア〜Internet Edition〜
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No.334 / 98年4月号

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現場は語る

新しい自分

四月─。人生の新しいスタートを切った人たちが、まぶしく華やいで見える。何かが始まる予感が街全体に満ちている。この時期、ボランティアセンターにも多くの活動希望者が足を運んでくる。

 そんな活動希望者の動機を注意深く聞いていると、季節ごとに微妙な差があることに気づく。もちろん、「なんとなく」という人が春にもいないわけではないが、この時期の活動希望者には、何かを変える突破口をボランティア活動に見出そうとしている人が多いように思う。一つの節目をこの時期に感じているのだろう。ただ安穏と日々を送るのではなく、本当に「自分の納得のいく生き方」を模索しようとする姿は、時に感動的だ。

 一週間前に初めてセンターに来られたAさんも「今の自分を変えたい」思いを持った一人だった。「拒食症」という病と闘ってきたが、最近は随分食事もとれるようになり体力も回復してきたと語る。痩せてはいるが、病人とまではいかないというのが私の第一印象。聞けば自宅近くのデイケアセンターに直接ボランティアがしたいと出かけたが断られ、ボランティアの受け入れ担当者にセンターを紹介されたと言う。

 確かに、ボランティアを受け入れる側に立てば、健康で明るく、てきぱきと動く人に来てもらいたいという気持ちも理解できなくはない。忙しい日常の中で即戦力をボランティアに期待しているならば、それはほとんど必須条件に近いだろう。しかし、デイケアセンターの方は、断られる側の精神的ショックを、どれだけ察して下さったのだろうか。目の前の悄然とした彼女を見ながら思った。「このままこの人を帰すわけにはいかない」。苦肉の策として、しばらくボランティアセンターの事務局を手伝ってもらうことにした。

 翌週の月曜日から彼女は毎日元気に通ってきた。帰り際「明日も来ていいですか」と不安そうに尋ねる彼女に「もちろん」と答えるとパッと笑顔が広がる。「初めてここに来たときより明るくなったね」。何人かの人が私にささやいた。

 ところがボランティアセンターに連続してやってきた四日目のこと。お母さんから、彼女が倒れて入院したという電話が入った。最初に頭に浮かんだのは、「あのデイケアセンターの判断は正しかったのだ」ということ。私が、彼女の状況を見抜いて「あなたにボランティアは無理です」と話しておけばこんなことにはならなかった。結局、私が判断を誤ったのだ、という思いにしばし茫然となった。

 失意の中、私は、彼女の入院する病院を訪れた。しかし、そんな私にAさんは笑って語った。「トンネルを抜け出したいって、ちょっと焦っていたんでしょうね。それに自分を待っていてくれる人がいて、任せてもらえる仕事があって、張り切りすぎて身体のことなんか忘れてしまっていたんです」。「でもボランティアセンターと出会ったことで、新しい自分が見つけられそうな気がします」。正面から私の目を見つめ、彼女はきっぱりと言い放った。その言葉の新鮮さにあふれた響きに、私は救われた。

 「新しい自分」を手に入れるには、未知の世界に踏み出す勇気が必要だ。それは、言ってみれば小さな冒険である。完全に安全な冒険などありえない。いつも、冒険には危険がつきまとう。その危険を覚悟でAさんは、ボランティアに賭けた。彼女は、賭けに負けたのだろうか。確かに、支払った代償は小さくなかった。が、彼女は、必ず再び、元気な笑顔でボランティアセンターにやってきてくれると私は信じている。

 小さな「冒険」を始めようとする人は、真っ暗な海に一人で船を漕ぎ出すような心細さを感じているに違いない。もちろん、Aさんのような場合は、心身ともに安定した活動希望者に比べて、面倒な事態に巻き込まれる危険性は高い。そんな危険回避のために、厄介払いするという選択肢もあるだろう。しかし、本当の意味でコーディネーターを必要としているのは、危険を冒してでもボランティアに賭けようとする人たちなのだと思う。

 人はチャンスさえあれば、変わることができるし、悩んだり苦しんだ経験を持つ人が、より心のこもった活動をしている例は数え切れない。なのに、コーディネーターが逃げてしまっては、そんな可能性の芽を摘んでしまうことになる。結局、求められているのは、自分もその危険と付き合うことを辞さないという姿勢を持ち続けることだろう。一人一人を大切にするコーディネートは、一人一人と真摯に向き合い、ともに歩もうとすることから始まるという感覚を忘れてはならない。

(東牧)


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社会福祉法人 大阪ボランティア協会