月刊ボランティア〜Internet Edition〜
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No.332 / 98年1・2月合併号

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自治体間の制度のギャップ
ボランティアの限界と可能性

 今回は、先月号で触れた「依頼の深刻さに絶句してしまった」ケースのその後を紹介する。(注・本文中の名前の表記はすべて仮名。)

*    *

 このケースの依頼者は、頚髄の先端〇番・一番を損傷した息子の宏さん(二十六歳)を持つ母親・高見良子さん(五十二歳)。大阪大学で早瀬事務局長の講義を聴いた学生が、大阪ボランティア協会のことを良子さんに紹介したのがきっかけで、電話をして来られた。

 開口一番、「いろいろなことを助けていただけたら…」と弱々しい口調である。一週間後に家庭訪問。このお宅が、協会事務所から一時間半ほどかかるのだった。

 事の発端は四年前。宏さんがアメリカ留学中に交通事故に遭う。頚髄、脳幹、延髄、橋を損傷。普通なら、即死か植物人間かという状態だったというが、幸いにも一命を取り留め、約一か月後に日本へ帰国した。だがそこから、宏さんと家族の厳しい日々がスタートしたのである。

 まず、宏さんの症状と日常を紹介することとしよう。

 在宅生活を開始するまでの一年は、国内の病院でリハビリ。顎にセンサーを付け、コンピューターを動かしたり、口唇を読むことでコミュニケーションの課題は一定クリアした。

 だが、問題はまだまだ山積していた。頚髄の〇番・一番を損傷した場合、生きる基本である呼吸、物を飲み込む機能、体を動かす神経が全部働かない。皮膚感覚も右の耳の下で切れている。首の真ん中から神経が全部切れており、そこから下のことは何も分からない状態だ。物を喉に送ることも難しく、唾を飲み込むことも難しい。食事は、事故直後から胃に開けられた穴に、直接管で栄養を摂る。まさに全面介護が必要なのだ。

 実は、日本には宏さんのような「高位頚損者」に総合的に対応できる病院はない。これ以上の医療は期待できず、在宅生活に移った宏さん。だが、彼の住むA市には、十分な介護体制が組める福祉制度はなかったのであった。高見良子さんから現在の暮らしぶりを聞くにつけ、私はつい涙が出そうだった(その場面で泣くことはできないから、こらえていたが)。宏さんも家族も、今のような生活を続けられるものではないと感じられた。「なんとかしなければ、お母さんが参ってしまうなぁ」と、ここで思ったわけだ。

 高見さん一家は三人家族。良子さん、宏さん、宏さんの姉・真知子さん。高見良子さんの夫は、昨年三月、ガンで亡くなっている。

 一家を取り巻く問題の中でなにより急を要するものは、@介護A財政の二点だ。良子さんは日中は家計を支えるため働きに出ている。だから、平日の午前中には看護婦の資格を持つ有償ヘルパーと家政婦が来ているわけだが、なんと、家族以外の介護はこれだけ。良子さんは帰宅後、仮眠しながら翌朝まで介護を続ける。そして、また出勤。夏頃から午後の介護人が辞めてしまったため、 他県にいた姉の真知子さんが、仕事を休んで戻ってきて介護にあたる。一日の内、三時間を除き家族が介護をしている。「生きる根幹となる介護人を探して欲しい」と真知子さんが訴える。

 確かに、介護のほとんどが家族の手に委ねられているので、彼女らは非常に 疲れて、張り詰めた様子に見えた。言葉にも、どうにもならないことへの怒り が込められていた。

 なぜ、こんな状態になってしまうのだろう。

 介護の内容の中には医療行為が含まれる。だから、「生きる根幹」を支える人は、看護婦資格を持つ人に限定される。訪問看護はなされているが、一回十五分程度のもので、助けには遠い。午前中に来ているのは良子さんが雇っている有償のヘルパー。A市の場合、介護人は家族で見つけ、その費用も家族負担が原則だった。良子さんは途方に暮れる。「『自分で探してください』と福祉事務所・障害福祉課の職員は言うが、どうしたら…」。

 人探しもさることながら、雇えばそれだけ良子さんの負担が増加する。それ故に、夕方から翌朝の介護人は雇えず、家族が看ているわけだが、それについても公的な保障はない。

 事故の際、学生であった宏さんが国民年金に加入していなかったため、障害者年金が受けられない。また、良子さんの所得が多いからと、特別障害者手当も出ない。A市には、一部の自治体でなされている全身性介護人派遣事業(介護人は自分で探すが、介護人への費用は自治体から賄われるもの)がなく、介護人に支払う費用は全額良子さん負担。高見さんの夫が存命中は介護人の費用の70%を会社が保障していたが、今は彼女の収入だけが頼りだ。毎月の家計は赤字だという。

 「ともかく、看護婦資格を持つボランティアを募集しよう」「未就労の看護婦のバンクがないか探そう」「地元の諸団体、学校などに協力を仰いでいこう」「募金を募ってみては」など、ぐるぐると考えが巡る。しかしこれらは、当面をしのぐための緊急避難的な対処だ。単にボランティアを紹介して課題が解決する依頼内容ではない。まさに、いのちを支える活動なのだ。二十六歳の宏さんが過ごすこれからの人生はまだまだ長い。その間、途切れる心配のないケアがどうしても要求される。そうなると、公的な保障なくしては継続できないだろう。制度そのものが改良されなければ、家族の実にしんどい状況は救えない。だが、今の家族には、その両方に取り掛かる余裕はない。

 障害者団体Bのスタッフは「いっそ、世帯分離をして、宏さんは生活保護を受けるようにしたらどうか」とアドバイスする。ただし、宏さんが生活できるよう改造した自宅を離れるのは難しい。良子さん、真知子さんが市外へ転居しなければならない。別の障害者団体Cのスタッフは「誰かが軸になり、様々な社会資源をコーディネートし、制度改善へ働きかけていかなければならないのでは」と心配する。でも、その「誰か」がいないのだ。

 話はそれるが、大阪府枚方市は福祉制度が他の自治体に比べ抜きんでていることで知られる。そこに住む山田さん(三十一歳、男性、「第五頚髄損傷」で首から下が麻痺)の暮らしぶりを別表(二年前のもの)で示す。枚方市の社会資源を有効に利用し、自立生活を営んでいる。A市にも内容はさておき同様の制度はある。しかし、良子さんいわく、「家族が同居していると介護人がいると見なされて、公的制度の活用がはばまれている」そうだ。枚方市にある民間ボランティアセンターのスタッフの方は、「枚方市に引っ越して来られれば」とまで言うが、それほど、自治体間格差に障害者とその家族の人生は左右されているといえよう。

*    *

 さて、みなさんはどうお感じになっただろうか。

 市役所にかかっている「『人権を守る都市』という垂れ幕は嘘だ」と、良子さんは見るたびに悔しく思うという。そんな良子さんや真知子さんを見るのは辛い。そして、もっと悔しい思いをしているのは、もちろん宏さん自身だ。

 現在ある福祉制度の多くは、一人の当事者や、その人に共感したボランティアらが起こした活動が出発点となって生まれたものだ。本ケースの場合も、今すぐには難しくとも、ボランタリズムの高まりが制度を生み、人権を守ることがあり得ないことではないはずだ。

 協会は、当面の課題と長期ビジョン双方を意識し、高見さん家族を中心にしたボランタリズムを高めていく方向でコーディネートに臨むつもりである。悲観や絶望からは何も生まれないのだから・・・。

(みなみ)


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社会福祉法人 大阪ボランティア協会