| 今世紀最大規模の国際会議「気候変動枠組み条約第3回締約国会議」(COP3)がいよいよ京都で12月1日から開催される。170カ国から5000人が出席、地球温暖化防止を目指し、温室効果ガスの排出削減目標や、そのための政策づくりについて協議する。COP3に向けて環境問題を考える機運を作り出そうと、環境NGOはさまざまな啓発活動を行ってきた。また政府、マスコミの取り組みも本格化してきた。しかしながら一方で、一般市民レベルでの関心は盛り上がっているとは言い難い。 今回は日本の環境NGOが置かれている状況や、展望を考えてみる。 |
かつて、長良川河口堰建設反対運動に取り組む地元の運動のリーダーがこう語った。「原告団や市民運動、自然観察グループと、いろんな団体が活動しているように見えるけど、実際は数人の中心人物がいくつもの団体に顔を出している。自分もちょいと首を突っ込んだつもりがいつの間にかあっちこっちで先頭に押し出され、振り返ってみると、後続は育っていないね」。
「COP3」開幕に向け環境問題への関心が高まっているようにも見えるが、その一方でこんな発言も聞かれる。「環境」に関わる市民活動は、今、どうなっているのだろうか?
財団法人・日本環境協会によれば、一九九五年度末現在の日本の環境NGO数は実に四五〇六団体を数える。
ひとくちに環境NGOと言っても、その内容はさまざまだ。ざっとそのジャンルを挙げてみただけでも、自然環境の保護、公害防止、資源リサイクル、動物愛護、ネイチャーウオッチング、町づくり、海外協力などと多方面に広がっている。
さらに、量的な隆盛にとどまらず、最近はネットワーキング化という新たな気運が生まれてきたことも注目にされる。
今回の「COP3」のちょうど開幕一年前に当たる昨年十二月一日、国内NGOの全国ネットワーク組織「気候フォーラム」(京都市中京区、浅岡美恵事務局長)が発足した。「COP1」、「COP2」に参加した実績を持つNGOが、欧米のNGOに学んで立ち上げたもので、当初三十六団体が参加、現在は約二百団体が参加してネットワークを組んでいる。
気候フォーラムは、国外NGOに対して市民サイドの受け皿づくりを担うものとして、また「COP3」を機に地球温暖化防止に向けた国民的関心を呼び起こそうと、シンポジウムをはじめさまざまなキャンペーン活動を展開してきた。会報の発行や発展途上国NGOの受け入れのための募金活動も行っている。一年近い地道な活動の中で、今やロビイストと呼びうる力をつけたと言えそうだ。
環境ボランティアと
環境への取り組みの成長
ではなぜ環境NGOが今日のような力を持ち得たのだろうか。その理由として、環境ボランティアの持つ そしてこれは最近の市民活動全体の傾向とも重なってくる
以下のような三つの特性が挙げられよう。
まず、時代の流れのなかで、NGOが一般市民に受け入れやすいものに成長してきたことだ。例えば高度成長期前後の公害反対運動とは、主に公害被害者が団結して原因企業と対決するという図式であった。ところが、日本の経済産業構造の移り変わり、環境意識の深化という時代の趨勢のなかで今、「企業と闘う」式の運動は過去のものになろうとしている。
例えば一九九五年に被告企業と和解した西淀川公害訴訟原告団が、和解金をもとに、公害地域の再生に取り組む財団法人「あおぞら財団」を発足させたことは記憶に新しい。「闘うだけ」の運動からの脱 皮、成熟とも言えよう。実際、こうした活動は、訴訟と直接関係のない多くの人々の共感と関心を呼ぶことになった。
また、「産業公害」から「生活公害」に重点が移ってきた点も重要だ。現代の環境問題は、使い捨て商品大量消費によるゴミ問題に象徴されるように、私たちの日常生活に根ざした環境破壊が大きな問題となっている。つまり、私たち自身の「加害者性」に気付かざるを得ないのだ。
こうなると自分たちは「正義の味方」だと独善的にうぬぼれてばかりいるわけにはいかない。では、どうするか?自らも含め現実を真っ向から否定するのではなく、それぞれが存在する仕組みを受け止めながら活動することだ。たとえば、後の特集(付録)で紹介する「グリーンコンシューマー」がそうだ。企業の「営利性」に反発するのでなく、「営利性」を活用して企業や社会を変えていこうという運動だ。
こうした現実を踏まえた「成熟」の結果、環境系NGOが市民権を得て大きな力を発揮できるようになった。
先の気候フォーラムの場合、まず昨年三月に開催したシンポジウムに五百人の参加者を集め、優れたマネージメント能力を発揮したことで、政府、自治体にその実力を知らしめた。その後の一年の歩みのなかで、環境庁、通産省の外郭団体である環境事業団などからの助成金を受けることができ、また意見交換や政府各種のブリーフィングといった場が活発に設けられるようになったという。同フォーラムは「政府はやっとNGOを対等のパートナーと認めた貴重な一歩」と評価する。
また、環境問題への取り組みを通じて日常性を超えた「大きな課題に取り組んでいる」という充実感覚が得られるのも魅力だ。グローバルな問題を扱うなかで、高度な調査研究や、国際的な情報交換が必要になる。インターネットをはじめとする情報通信手段の進歩により、こうした活動の重要性は増している。これらの、いわば実際の活動への助走段階における実務が参加する中で、現実の環境の改善に反映される以前に「国際交流に貢献している」「地球の問題に取り組んでいる」と感じさせてくれる。このように、活動によって一定の成果を得られるために、携わる者の心をとらえ、いわば活動に「はまる」という現象を引き起こしているのかもしれない。
がんばるNGOと
一般という現実の反比例
しかしながら、冒頭の言葉のように、こうした特性を持ち、それによって環境NGOが大きく成長しながら、一方でなお環境問題への取り組みが一部の人々のものにしかなっていないという厳しい現実がある。なぜだろうか。
第一には、現在の日本の社会があまりにも「便利を金で買う」ことに慣れきっていて、その便利さを犠牲にしても環境を守ろうというコンセンサスが育っていないからということがあるだろう。二十四時間こうこうと照明をつけ、温かい弁当を売る店の存在が当たり前の社会。使っていることが意識されない待機電力によって常に即座に対応する家電製品。こうした消費財に支えられた「快適な」ライフスタイルの中では、ちょっとした不便を辛抱することが、非常な苦痛とイメージされてしまう。
加えて現代人の生活サイクルは、あまりにも慌ただしい。時間単位、時には分単位で働き、学び、遊ぶ生活に追いまくられている人々にとって、「百年先の地球より今日の己の方が大事」という考え方に多くの人が流されてしまい、しかもそのことはあまり意識されていない。さらに、環境問題に究極的な解決法がないということもある種のニヒリズムを生んでいる。「しょせん人類が存在する限り地球は蝕まれていくのだ」といった観念の前に、それでもなお環境に関心を持つのは価値あることだという論理が説得力を持たないことはしばしばある。
環境に関心のない人の問題ばかりではない。実は、善意の消費者であればあるほど、環境とつきあうことに徒労感を感じるものだ。(よく使われる例だが)森林破壊につながるとして割り箸を使わず、箸を持ち歩くことが提唱される。一方で、箸を洗うことによる水の汚染、浪費が告発される。善意の消費者は、善意であるがゆえに環境問題の出口のなさに悩み、取り組む意欲を失ってしまう。
複数のNGOが活発に活動しているように見えてその実、意欲的な少数の人たちだけの活動に自閉し、不特定多数の人々を巻き込むうねりになっていない といったような現象は、市民団体そのものの数が少なかったり、保守的な土地柄であったりする地方都市ばかりでなく、大都市でも見られる。
市民としての成長剤 想像力とバランス感覚
このように見てくると、環境ボランティアのみならず、どのような市民活動においても言えることだが、活動がより多くの人々を巻き込み、成長を続けていくためには、「ある問題に取り組むかどうかということは、それをすることが正しいとか、それをしないと間違っているということではない。人によって異なる個人の人生観といったレベルの問題に帰せるものだ」と割り切ることが必要だろう。
この割り切りをしたうえで、大切なことは、「想像力」に訴える戦略を立てることだと思う。なぜならこの人生観とは結局それぞれの想像力の働き方だとも言えるものだからだ。想像力がなければ、なぜ、何十年も先の気温の上昇といった環境問題が今の自分に関係があるのか理解できない。
アムネスティ・インターナショナル日本支部長を務めるイーデス・ハンソンさんは、かつて「人権感覚とは想像力の問題」と語ったが、他者の人権問題に思いをいたす力、想像力は、そのまま未来の地球や他地域の環境を思う力に通じる。
こうした想像力と独善的に走らないバランス感覚を備えた市民を育てる戦略の彼方に、現代日本の環境NGOの展望は開けてくるのだと思える。
社会福祉法人
大阪ボランティア協会