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...No.129 医者・作家
山崎 章郎 さん
ホスピスを目指し、 ホスピスのない社会を願う
私がホスピスという世界を意識しはじめて、もう十三年になります。末期ガン患者に対する医療現場への提言として、七年前に『病院で死ぬということ』を出したわけですが、現場の多少の変化はあったんじゃないでしょうか。例えば、(患者さんが)亡くなる時に、蘇生術というような行為を随分しなくなったというふうにも聞いています。医療現場が、蘇生術等に見られるような医療行為の意味っていうものを見直し始めてきているのだと思います・・・。自分の本が多少の影響を及ぼしたかもしれませんね。
ホスピスが「人間の死に場所」ではなく、「最後まで人間らしく生き抜く場所」という理念を支える上で、ホスピスにおけるボランティアの存在は大きいです。私たち側、つまり病院という組織にとっては、自分達の医療行為やケアのあり方に対して、一般の人々であるボランティアの目に触れられている。つまり、オープンであるということですね。ホスピスは専門家集団でやっているところだからといって、シャットアウトするのではない。誰がどんなケアのあり方を見ても、それが不自然でないようにね…。そして、自分(医者)達が社会の一員として関わっているんだということを再確認することも、ボランティアが支えてくれています。
もう一つ、患者さんの側からという大事な側面もあります。実質的にボランティアは、患者さんの話し相手になってくれたりとか、散歩に一緒に行ってくれたりとか、いろいろありますが、それ以外に意義もあるわけです。例えば、患者さんたちはいろんな面を持っていて、医者や看護婦、家族に対して、いろんな弱い面を見せたりする。しかし、その一方で、ボランティアに対しては、患者さんは一社会人として対応しようとすることが多いような気がします。患者さんの持つ多面性の一面である社会性をボランティアの存在が維持してくれている。医者の前では弱音を吐くことも、ボランティアの前では一社会人として接しようとする社会性をね…。
ホスピスというのは、特殊な考えではなくて、人が人を大切にするという社会がきちんと成立していけば、あえてホスピスという考え方は必要ないわけだと思います。将来的に、この考え方が普遍的になれば、ただホスピスというものを言葉として出していかなくてもよくなる。「ホスピスがなくなればいい」というのではなく、「ホスピスがなくてもいい社会」がくればいいなと思います。
(綾)
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山崎章郎さん
千葉大学医学部卒業。1991年より東京都小金井市の聖ヨハネ会総合病院桜町病院ホスピス科部長。著書に「病院で死ぬということ」(主婦の友社)「僕のホスピス1200日」(海竜社)等がある。 |
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