今回は先月、ハリケーンのため急遽差し替えになったホットトピックスです。皆、一息つくにはちょうどいいんじゃないでしょうか。
もう1970年代のことですが、創刊間もない Ms. Magazine
に今でも忘れられない表紙がありました。ロイ・リキテンシュタイン風の漫画で、男が女に「女性運動にはユーモアのセンスがないよね」といっているところ。女の答えはもう有名になっていますがこうです。「そうね。でも、あなたたちは?試しに言って見せてよ、いつでも真似してあげるから」
。
ボランティア活動が崇高で宗教的とさえ見られることはよくあることです。確かにボランティアたちは貧困、病気、戦争、災害などで支援が必要な人たちのために活動していますし、非常に真剣な取り組みであることに間違いはありません。けれども、栄光ばかりを強調してあの悪戯っぽい目の輝きをまったく見ずにいては、かえってボランティアたち(そしてそのリーダーである私たち)のためにはなりません。
という訳で、嬉しくってたまらないのが、エナジャイズのオンライン・ブックストアに出たばかり、最新刊の A Toolkit for Volunteer Speed Matchingです。今月の初め、ダコラム・ボランティア・センター(ダコラムはロンドン近郊の町)のヘザー・アレンが、最近流行のスピード・デート(Speed
Dating)の手法をボランティア募集にも使ってみるという面白いアイデアをEメールで知らせてくれました。「ブリジット・ジョーンズが理想のボランティア活動を見つけると心に決める」と言うんですから、よく考えついたものです。さらに素晴らしいのは、センターがすぐさまそのアイデアをネット上にのせてこのツールキットを書き上げてしまったことで、エナジャイズはこれをオンライン販売する手助けをしているのです。ですから、誰でもどこでもこの楽しく明るいボランティア募集のアイデアを実行に移すことができるのです。
ボランティア・スピード・マッチングはゆくゆくこれはという手法になるでしょうか。それは分かりません。でも、そんなことはたいした問題じゃないでしょう。とにかく人気があって楽しめるんだから、やってみていいじゃないですか。実際、ボランティアの分野でだってもっとユーモア溢れる活動ができるはずです。
「私の人生でありきたりの一日など一度もなかった。仕事は楽しくて仕方がなかった。」
―トマス・エジソン
そもそもボランティア活動は「余暇」活動なのです。つまり、仕事をしたり、家族の世話をしたり、その他しなければならないことをしているときにはボランティア活動に関わることはできません。募集をかけるときの競争相手は賃労働ではなく、その人がフリーな時間に行う活動全般であり、そのフリーな時間はいよいよ希少価値を増しているのです。私たちが人々に求める選択は、ボランティア活動をするか、とりあえず休息を取ったりゴルフや映画を楽しんだりするかなのです。
何年も前にイワン・シャイアーが指摘したように、私たちは労働をモデルにしてボランティア活動を構成する(ご存知のようにボランティア・ワークとさえ言うわけですから)という過ちを犯していたのかもしれません。おそらく、彼の言うように、我々はむしろ「レクレーション」モデルを採るべきなのでしょう。このモデルではどうなるでしょうか。募集の呼びかけはおそらくこんな感じになるでしょう。
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いま人々の生活に必要なのは、もっと努め励むことなのでしょうか、それとももっと楽しむことなのでしょうか。後ろめたさに訴えて他人の役に立つ活動をすべきだと呼びかけるのがいいのでしょうか、それともお互いのためになる活動に集うよう人々に呼びかけるべきなのでしょうか。
人間には実に効果的な武器がある。それは笑いだ。
―マーク・トゥエイン
レクレーション、楽しみ、ユーモアなどと言っているからといって、私が活動の効果について無頓着だなどと誤解しないでいただきたい。それはとても重要なことだと思っています。けれども、時には違った見方が必要なのです。ボランティアが有給職員と同じことをする必要はありません。ボランティアならではのやり方で活動に貢献できるはずです。実際、我々はボランティアを促して、常識に囚われない発想をしたり、「他にできることはないか」という姿勢で課題に取り組んだり、今までにないような方法を試してみたりするようにしてゆくべきなのです。
不可能に挑戦するのは楽しい。
―ウォルト・ディズニー
生活のためなら、歯を食いしばって、仕事上好きでないことでもしなければならないかもしれません。ボランティア活動がお金のためでないからには、楽しくあってしかるべきではないでしょうか。どんなに真剣な場面でもユーモア溢れるアプローチが可能なはずです。ホスピスの人たちは死に直面しているにもかかわらず、聞けば「大いに笑うよ」と言うはずです。死に直面しているからなのかもしれません。緊張を和らげ、スタッフや患者がほっとできるひとときをもたらし、前向きに考えるよう促すような役割をボランティアのために意識して作っておくこともできます。職員にはこうした役割を演じるだけの時間的余裕は必ずしもないでしょう。しかし、こうした難役をボランティアに任せてみると雰囲気がドラマティックに変わる団体も多いかもしれません。
人は死ぬからといって人生が楽しくなくなるわけではないが、同じように、
人は笑うからといって人生が重い意味を持たなくなるわけでもない。
―ジョージ・バーナード・ショウ
笑うと距離が生まれる。距離をとって対処し、
そこからさらに進んでゆくことができる。
―ボブ・ニューハート
笑いはまさに最高の薬です。パッチ・アダムス医師の癒しの活動や彼の「お元気で!病院(Gesundheit!
Institute)」はほんの一例に過ぎません(http://www.patchadams.org/)。メンター、チューターをはじめ一対一ベースで活動をするボランティアに対して、その「仕事」に楽しみの要素を組み込むよう働きかけることもできるでしょう。一緒に面白おかしい本でも読んで、担当の生徒が学習活動をもっとエンジョイするところを見守るようにしましょう(退屈なことは教師に任せておきましょう!)。お笑いの映画をレンタルしてきて寝たきりの老人や一人ぼっちの子供と一緒に見ましょう。一緒に笑って過ごせばずっと簡単に気持ちが通じること請け合いです。で、考えてもみてください、何時間か笑って過ごすためのボランティアならどれだけ募集するのも簡単なことか!
周りを笑わせる者は天国に入るに値する。
―コーラン
笑えば人と人の距離もぐっと縮まる。
―ヴィクトル・ボルゲ
先月、ボランティア活動とコミュニティサービスに関する全米会議で、「重要な社会問題」への取り組みにおけるボランティアの果たした役割を発言者が相次いで賞賛するのをまたしても聞かされることになりました。長年にわたって、この言葉を耳にするたびに私は違和感を覚えてきたのですが、それには色々わけがあります。重要な社会問題(私はこの
serious social problems という言葉を SSPs
と揶揄しているのですが)といっても人それぞれで、そういった問題への取り組み方も一通りではありません。飢えている人のための活動の方が図書館の開館を維持する活動より意味があるなんて誰が言えるでしょうか。刑務所訪問のほうが演奏会場の案内役を買って出るより重要だとも言えないでしょう。私たちはコミュニティ活動を神聖視したり古くからの「チャリティー」のコンセプト(持てる者が持たざる者に与える)を墨守したりしなければならないのでしょうか。
コミュニティが必要としているのはハードワークであり、皆の利益を求めて力を合わせることです。そのために、共に集い、志を同じくする人を掘り起こし、肩を並べて活動するのです。こうした活動を進めつつ同時に楽しむこともできるならば、それは目標に至る過程でのご褒美のようなものです。新しい友人ができたり、達成感を得たり、体の調子がよくなったりするのもそうですし、その他ボランティア活動にまつわるいいこと全てがそうなのです。大いに楽しむべきです。ボランティア・スピード・マッチング?おもしろいじゃないですか!
自分のしていることを愛し、やりがいを感じる。これほど楽しいことが他にある?
―キャサリン・グラハム
あなたの場合、楽しみをどのように活かしていますか。