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2005年7月
人助けをして車を当てよう! 
ボランティア活動へのインセンティブが一線を越える時
スーザン・J・エリス

同僚で友人のラクレティア・ベーコンは、フェニックス市のボランティア・コーディネートをしていますが、今月のホットトピックのきっかけは彼女の次のようなメールでした。

新しいドナーの発掘活動は新段階を迎えたようです….
このリンクを覗いてみてください: Blood Drive Flyer

私が言いたいのは、スポーツチームとその「ボランティア」のチャリティ組織(運営しているのはチームの基金でしょうが)があれこれ特典を与えるものだから、ハードルが高くなってしまってボランティア募集がしにくくなったということなんです。いまやこういった事態が広がりつつあるようで、いわゆる「市民活動関連のマーケティング」が行われて、車が当たるなどの見返りを与えるようになっているのです。

おそらく議論になるのは、こうした事態がボランティア活動者層にどのような変化をもたらすかという点でしょう。筋金入りのボランティアは、支援してもらった(あるいは身近なつながりのある)誰か(あるいは団体)に自分も何かしたいと思うわけで、特典などなくてもボランティアを続けるでしょう。しかし、今まで「一本釣り」できると当て込んでいた不定期で短期のボランティアは、この種のキャンペーンに吸い上げられてしまうのではないでしょうか。


問題提起していただいてありがとう、ラクレティア。おかげでボランティアの「無償性」ということの本当の意味を改めて考えさせられました。まことに幸いなことに、活動で単位履修を認めてもらったり自己負担した経費を払い戻してもらったりすると「純粋」なボランティアではなくなるといった議論をしていた時代からは、我々ははるかに前進してきました(この世界に入って間がなく、そんな議論なんて知らなかったという方がいらしたら、そんな議論、しないで済んでよかったと思わないと!)。ただ、有償と無償を分かつ目に見えない線がどこかにあって、その一線を越えるのには非常に強い違和感を覚えるというのは確かです。

これはホットなテーマとして確実に注意を惹きつつあるようで、あちこちで議論されています。偶然の一致で驚いてしまいますが、地球の裏側オーストラリアでもアンディ・フライアーが殆ど同じテーマについてJuly Hot Topic for OzVPMを書いています。彼は別のアメリカのプログラム”10,000 Hours Show” in Iowaを取り上げていますが、それはコミュニティの組織で最低10時間のボランティア活動をした者だけがスペシャル・コンサートを聴きに行けるというものです。アンディの当を得た議論は一読の価値十分です。

私にはこのテーマに関する答えが準備できているわけではありませんし、不動の信念があるわけでもありません。けれども、問題提起ならいくらでも出来ますし考えてみる価値はあると思います。テーマに関連すると思われる問題の概略を示してみようと思いますので、皆さんで考えてみてください。

感謝の気持ちのこもった記念品
感謝の気持ちを表すアイテムは、少なくとも一種の記念品として、皆、まずは当然だと考えるのではないでしょうか。おそろいのTシャツなど、企画の運営に必要なボランティア・アイテムにも異論はないでしょう。けれども、どの程度の出費であればそういった心ばかりの品が金銭と変わらない実質的報酬にならずに済むのでしょうか。もっと整理してみますと、
こういった心ばかりの品を「報酬」の類、あるいはボランティア活動のインセンティブだと思ったことはありますか。

  • その品が活動期間終了と同時に全然予期していなかったような形で渡される場合と、結構な品や特典があることを皆が前もって知っているといった場合とでは違いを感じますか。(ラクレティアが指摘しているのはこういった場合で、例えばゴルフトーナメントなどでは、少なくともボランティアのうち何人かは、高級なゴルフセットや豪華な食事など色々なものを手に入れることができわけです。)
  • ある団体が、すべて寄付されたもので済ますのと違って、自らの資金でそういった品物を調達するのは問題となるでしょうか。受け取ったボランティアにとって金銭的価値は同じでも、どこが経費を負担しているかで満足度は変わってくるのでしょうか。
  • いわゆる「あと付け報酬」タイプのやり方で、その人の功労を認めるというのはどうでしょう。すなわち、昇進の道が開ける、ボランティアの経験をもとに卒論が書ける、新しいクライアントが獲得できるなどの先々の利益をもたらす可能性があるタイプのものです。

インセンティブ
具体的な「インセンティブ」があれば、ボランティアを考えている人たちから実際に「やってみよう」という返事を勝ち取ることができるのか―この問題を多くの団体、特にこのままではボランティアが決定的に不足すると考えている団体が今までになく活発に議論するようになっています。ラクレティアが今週相次いで見つけてくれた例証がもう一つ。ボランティア募集のためのインセンティブとしてアメリカ多発性硬化症協会(MSAA)がvolunteermatch.org上に広告を打っているのに気がついたのですが、それには次のような文句がうたってありました。

この活動にボランティアで参加してくださった方のうち一名にEZFIND社提供のミニ・クーパーが、他のボランティアの方々にも数あるMS EZFIND ENVOYボランティアへのインセンティブの中から新型ラップトップ、iPodなどが当たります。

これはボランティア募集に市場型のアプローチを行ったもので、その前提となる考え方の多くに私は問題を感じます。

  1. お金(あるいは豪華賞品)は、抗し難いまでに意欲をそそるものである。
  2. 一般にボランティア活動の内容には皆それ程こだわりはなく、したがって外的なインセンティブを利用して他の活動ではなく、こちらへと人々を口説く必要が生じてくる。
  3. 低所得者や学生、限られた収入しかない高齢者などはボランティアをする余裕などはなく、そういった人たちにボランティアを要請するのは誤りであるか、さもなくば無神経である。

こういった前提は人間一般、特にボランティアに対する評価の低さを反映しています。一番大きな問題だと私が思うのは、インセンティブの計画を立案する人たちが、多くの場合、人々を実際に惹き付けるボランティア活動をどう創り出してゆくかとか、ボランティア募集をどう効果的に展開するかについての初歩的な知識を持ち合わせていないということです。そうは言っても、私はインセンティブ全てに反対という訳ではありません。私が問いたいのは次のようなことです。

  • 小さな草の根の団体はとても対抗できないので、結果として資金の豊富な団体が常にボランティアを持っていってしまうことになるのではないかという危惧が、この問題には含まれているのではないでしょうか。ラクレティアもこの点を懸念して、このホットトピックへの返事の中で詳しく触れています。
  • インセンティブには必ずお金がかかるのでしょうか。例えば、芸術活動をしている団体であれば、芸術家とじかに接することのできる機会というのはボランティアにとってはすばらしい特典になるでしょうし、お金が余分にかかるわけでもありません。この場合、他の人たちには不可能な何かを享受するという「特権」がインセンティブになっています。これならば、現金を渡したりするのとは違って、問題にはならないのでしょうか。
  • 車が当たる「かもしれない」ということについてはどうでしょう。実際にその豪華賞品を手に入れるのは一人だけなのですから、全てのボランティアたちの動機が問われることになりはしないでしょうか。誰かが車を手に入れるまではみんなボランティアで、その後は一体何になるのでしょう。
  • 繰り返しになるかもしれませんが、あるインセンティブを用意するのに当の団体は一銭も出さないで済むならどうなのでしょう。献血運動のためのあの車は寄付だったのだし、それはカップルへの素敵なディナーやクリスタルの花瓶などなら他でも十分ありうるわけです。お金がかかる、かからないは関係あるのでしょうか。車を寄付したのは、運動にもっと支援を得る弾みになればとの一念からだったとしたらどうでしょう。それが首尾よくいけばどうでしょうか。


実際には褒賞にもいろいろあって、感謝を表す心ばかりの品から始まり、それが豪華な賞品になったりもし、最終的には費やした時間に対する純然たる報酬にまで至ります。ただ功労を認めるだけだったものが、どの段階でインセンティブになってしまうのでしょうか。インセンティブが利得になったり、生活給付が低額ながらも賃金になったりするのはどの時点からでしょうか。ボランティアがもはやボランティアでなくなってしまうのはどこからなのでしょうか。

あるいはこういったことはすべて、「大切なコミュニティ活動へと多くの人たちを駆り立てるものは何か」という大きな問題にとっては、さして重要ではないのでしょうか。インセンティブに効果があるとして(効果があるとは必ずしも分かってはいないのですが)、結果は手段を正当化するのでしょうか。 あなたはどう思いますか。

原文はhttp://www.energizeinc.com/hot/2005/july05.htmlをご覧ください