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2004年11月
インターンなら受け入れ可?
スーザン・J・エリス
先月開催されたボランティアアドミニストレーションに関する国際会議の場での発言を耳にしたり、最近メーリングリスト上のそこここで投稿されている意見を見たりしていると、以前から繰り返し議論されてきた問題が再び熱を帯びてきているのが分かります。「インターン」は「ボランティア」と同じなのか、それとも違うのか、という問題です。

ただ、今回の議論で重要だと思うのは、組織にしろ個人にしろその多くがイメージとしてボランティアよりもインターンに好感を抱いているとはっきり感じられる点です。ボランティアに対して人々が決まって抱く否定的なイメージはわれわれもよく知っています。けれども、インターンという言葉を使うだけでそうしたイメージは次のように変わってしまうのです。

  • 無経験ないしは若いが、向上心が旺盛で、多くは自らのキャリアを模索している。
  • 少なくとも数ヶ月間、まとまった時間を割くことができる。
  • 取り組みは真剣で、大学学部職員など第三者の支援を受けている。
  • 指導・養成について職業的責任が問われる。

そもそもインターンという用語それ自体に混乱があって、その意味するところは場合によって様々です。1今月のホットトピックで私が特に取り上げたいのは、たくさんの学生や新卒生たちが無償での(履修単位として認められる場合もそうでない場合もありますが)インターンを申し出ているまさに同じ組織で、もうすでにボランティアが活動しているということなのです。私が懸念するのは、非常に多くの場合、インターンが単なるボランティアよりも不当に高く評価されているか、「インターンシップ・プログラム」がボランティア資源を活用する部署とは別に運営されているからなのです。これは、インターンにとってもボランティアにとってもマイナスです。

目立つ共通点

インターンとそれ以外のボランティアの相違点は、それぞれにどういう仕事が与えられるか、そしてどんなスタッフが指導に当たるかに主としてかかってきます。

ボランティアの仕事から何か骨の折れるものを選び出した上で、人より多くの時間を毎週割くことが出来る適任者をそれにあてることに問題はありません。でも、こういった仕事の機会は条件を満たす意思と能力のあるすべての人に与えるべきです。学生だけに与える理由はありません。考えてもみてください。たいていは何の経験もないのに、ただ学生だからといって集中的な職務をこなすことができるとみなされる不合理を。一方では成人の「ボランティア」が、本当は適任であるかもしれないのに、ただ別のカテゴリーに属するからといってあまり重要でない仕事に追いやられているのです。

さらに言えば、やって意味のある「インターンシップ」を作り出すのに必要とされる職務分析の技法は、そのままボランティアの仕事をデザインするのに適用すべきものでもあるのです。むしろ、ボランティア活動をする人がその年齢や動機にかかわらず成長し学べるような役割を開発するよう求めた場合のほうが、スタッフから創造性を引き出すことができるかもしれません。

私が言いたいのは、誤った二分法に陥ることなく、あらゆるボランティア活動をインターンシップのもつ肯定的なイメージにずっと近いものにすることができるということなのです。インターンシップ(インターン側の用語ですが、まあいいでしょう)を希望する学生は集中して取り組むべき仕事を二つ三つ選択肢として与えられる。それだけの時間がなければ、その学生は他のボランティア希望者と同じように、あまり時間が集中しない他の仕事を十の中から一つ選ぶことになる、といったふうに。

これでは紛らわしいと言うなら、どちらの言葉も使わないことです。「コミュニティー・リソース・オフィス」とでもして、そこが報酬を受け取らない人たちすべてを一緒に扱えばいいのです。どこがこういった人たちをコーディネートするかは管理上の問題に過ぎません。無報酬のインターンとボランティアはなんら変わることはないのであって、人的資源の単一のカテゴリーとして扱うべきであるといった場合、どうなるのかここにいくつか示しておきましょう。

  • 給与を受け取らないにしても、どちらも記録はきちんと残しておくべきである。
  • どちらも配属部署でのオリエンテーションは必要だし、それなりの研修が必要な場合も多い。インターンの中には専門的な技能を期待できるだけの教育レベルに達している者もいるかもしれないが、それはボランティアについても言えることである。
  • 活動のきっかけの如何を問わず、そもそものかかわりにとどまらず活動を続ける可能性はみな同様にある。
  • いずれも活動に対する認知と賞賛に値する。

どのような指導・養成をするかで違いが生じる可能性もあります。大学のプログラムの場合多くは、学生インターンが訓練を受ける当の仕事に従事している者の指導の下で働くよう求めています(看護師・教師モデル)。職場の人たちにはこうした理由でインターンに前向きになる者もいるのです。つまり、自分たちが学生だった時にしてもらった援助を今度は学生たちにお返しするのです。こういった特別な関係は重要です。このように、現にその職に就いている者が後進の指導・養成にも関わるという範疇に当てはまる場合、学生は誰でも、その趣旨に沿って、最良の指導者につくべきです。しかし、この場合もまた、あらゆるボランティアの必要に応えるべく最良の指導者を配してゆこうとするのと理念的にはなんら変わりはないのです。

おそらく、このあたりでボランティアとインターンという言葉に対する自分自身の反応を吟味すべきなのでしょう。いずれも活動形態を記述するための言葉であって、肩書きではありません。どちらもその人が現に何をしているのか実際のところは示してはいませんし、その人がどんな技能を持ち合わせているのかも必ずしもはっきりしません。しかし、一方から良き支援者という感じを受け、もう一方から真剣に技能を修得しようとする者という感じを受けるとするなら、どちらからも両方の意味を受け取れないのはなぜかを自問すべきではないでしょうか。さらに、職場で両者を分けて考えるようになったのはインターンシップを就労に結びつくものと捉えているのが主たる理由ではないかと問うべきです。そして、そのような捉え方がなぜ純粋にボランタリーな支援活動には建設的でないのかも問うてみるべきです。

あなたはどう考えますか。

読者の声についてのスーザンのコメント(11月16日付)

今月の読者の声は本当に嬉しいです、いろんな意見が寄せられていて、これが「ホット・トピック」であるわけがよく分かりますから。投稿をしてくださった皆さん、ありがとう。繰り返しになりますが、スケジュールの密度、担当する仕事、個人的なニーズ、指導の計画などについて学生インターンには実際、特別な配慮が要りますし、それに異議を唱えようとは思いません。私が問題にしているのは次のようなことなのです。どんなボランティアの活動にも配慮と尊重の気持ちを持ち、そうした活動をインターンシップと呼んだ場合と同じように接することはできないのか。活動をする人、それを受け入れる機関にとって、この二つの活動形態を様々に区別することにはどのような意味があるのか。受け入れ機関は、同じ受け入れるにしても、インターンは歓迎するけれどもボランティアについてはいろいろと懸念を抱く、という私の観察は的を得ているか。

1「インターン」という言葉はその対象によって意味も様々です。もともと医学生を対象とした非常に特別な意味から始まったのですが、今日では医学以外でも多くの学問分野でインターンシップを必修にするか、これを受ける機会を提供しています。けれどもインターンシップという言葉は給付金を支給するなど有給の地位を指す場合もありますし、必要経費を除き一切無給の地位を指す場合もありますし、実際、時には学生の側がインターンシップを通じて活動できる見返りに受講料を支払うこともあります。他に、学生インターンが単位の履修を認められるか否かも問題になります。どのような形を取るかは全て状況次第で、仔細に調べてみないことには何とも言えません。どのような形を取っていてもやはりインターンシップと呼ばれているからです。また、営利企業や政府機関も無償のインターンを職場に導入していることも要注意です(モニカ・ルインスキーがそうだったでしょう?)。私が思うに、給与を全額支給されているインターンは臨時の被雇用者であって、そのように処遇されるべきです(賃金税も支払うべきです。非営利団体の中には賃金を「給付金」と称して賃金税を無視しているところもあります)。

 

原文はhttp://www.energizeinc.com/hot/2004/04nov.htmlをご覧ください