この一週間に起こった二つの出来事で、ボランティアマネジメントの分野で私たちに突きつけられている大きな課題のひとつを、私はまたしても思いだしました。それは、どのようにボランティアの人たちと一緒に仕事するかは「誰でも知っている」という思い込みです。
初めの出来事は、私が2年間に及ぶコンサルティングを間もなく終えようとしているある組織に関係していました。よくあることですが、理事の交替によって、最近新たに何人かのボランティアたちがリーダーシップをとる立場につきました。その中には会員参加計画担当責任者もいます。その新しいボランティアは、会長、常務理事、そして私から相談事業について必要な説明を充分受けました。それにもかかわらず彼女は受けた専門知識をなにも生かしていませんでした。彼女は先週、その組織の年次大会で誰も事前に見たこともなかった調査を配りました。その調査はボランティア募集の原則すべてを冒涜(ぼうとく)するものでした。必須である事項の明示もなく、関心のある200人にもおよぶボランティア見込者にコンタクトをとるフォローアップ・プランもありませんでした。
二つ目の出来事は、たいしたことではなかったのですが、典型的なものでした。ちょっとした会話の折に、ある女性が、自分はヘルスケアーの新HIPAA(Health
Insurance Portability and Accountability Act 医療記録の個人情報に関する規則を強化する法律)に関してのコンサルタントだと自己紹介をしました。病院でのボランティアサービスにおけるHIPAAの波及効果は、私も知っていますよというと、とても驚いたことに、彼女は私に説明するよう求めたのです。ボランティアサービスの役割や、有能なボランティアサービス指導員が採用したスクリーニングや配属の技法について私が述べたことに間髪をいれずに反論しながら、「認定を受けていない」人としてのボランティアについて議論し始めました。
二つの出来事はどちらも悪意のない理解不足で済ませられるものではありません。誰もが実際にボランティアについて何らかの専門的知識を持つことができるという、示唆に至るまでの様々な反感を象徴しています。この点に関する私の意見のあり方は皆さんと同じでしょう。
まず、知らないということを認識しましょう
私たちの分野について誰もがどうすべきか、あるいは、どう説明すべきかを知っていると思うのは、何がそうさせるのでしょう。ボランティアとの協働は、ただ単に本能的な問題で、常識的なことで、良いことだと、なぜ誰もが決め付けてしまうのでしょうか?
ひとつの理由は、誰もがボランティアになれることにあります。つまり、とても多くの人たちが自分なりのボランティア経験をもっているのです。ですから、自分たちの経験をもとに、「ボランティアであること」と「ボランティアをマネージすること」は同じだとなんとなく思っているのです。なんてむちゃくちゃな論理の飛躍でしょう!ワークショップでは、私は「私は脳の外科手術を受けました。だから、脳外科手術ができます」という発言になぞらえて、いつも笑いをとっています。おそらく、ちょっとした教育がはじめに必要なのではないでしょうか?同じことが、ボランティアプログラムの上手い運営に何が必要なのかを知ることにも当てはまります。
さて、この誤った理論を、私たちの分野での現実的な問題に広げてみましょう。
- 幹部たちは、ボランティア・コーディネイトの専門的な資格や経験より、むしろ主に「どのようなボランティア経験があるか」ということに基づいてボランティアプログラムマネジャを雇い入れています。(彼らがマネジメントの有効性をはっきり示さないかぎり)このことはボランティアプログラムの秘書や長期ボランティアを理事に昇進させる場合も当てはまります。
- 上記のような状況で私たちの分野に新たに参加した人で、職に就いた最初の数週間にその仕事に関する情報収集をする人はほとんどいません。次の言葉を私は幾度となく聞きました。「ええ! エナジャイズが提供する全ての情報資源を信じるなんてできないわ!この手の情報が入手できるとも思えません」。しかし、あなたは見たことがあるのですか? 10年前にボランティア活動家が孤立していたときと違い、今ではインターネットのおかげで、誰でも「ボランティアマネジメント」について検索し、価値ある情報が載っている数百ものサイトを見つけるのは、いとも簡単にできるようになりました。学ぶべきものがあると認識しているのなら、自らそれを学ぼうとする心意気が実際に必要なのです。
- ボランティアは、ほとんどすべてのフィランソロピーに関する学術的なプログラム、非営利のマネジメントそして行政学においては表に表れない無視されている存在のままです。何時間もの講義時間は資金を集めることに費やされて、人を集めることにはまったく費やされません。このようになにもせずに放っておくと、知らない間にぬきさしならい影響がでてきます。それは、そのテーマについて何も異議がないということなのです! では、ある人たちが学位や資格を取ったり、幹部の地位へと異動したり、彼らの活動する団体でボランティア参加について無知な決定をしたりすることに、なぜ私たちは意外と思うのでしょうか。
- ケネディ大統領以後、合衆国のすべての国の機関が、もっと「市民参加」をと呼びかけてきました(今年はこの言葉がボランティア活動に対してよく使われています)。これは、旧共産主義国を含む他の国々でも同じで、旧共産主義国ではアメリカの非営利組織のモデルを推し進めるコンサルタントが溢れています。私たちが幾度となく反論しても、レトリック〔効果的な表現およびその技術〕は、ボランティア募集、動機付け、ボランティアたちが自分たちの時間を割くよう奨励することに焦点が当てられたままです。しかし本当の課題は、その様なボランティアを効果的に受け入れる組織作りにあります。政府と個人の寄付者がこの基本事実を理解しないかぎり、また理解するまで、活動への呼びかけは結局のところ失敗するのです。
私たちの仕事が明らかに過小評価されていることは、友達との会話の中で皆さんも検証することができます。皆さんが仕事で取り組んでいる問題を話し合ってみて、知り合いの人たちの返事に耳を傾けるのです。その人たちはすぐに、あなたを助けられると思い込んで、自分たちのボランティア活動で起こったことを説明し始めるでしょう。でも、かりに皆さんが電気工だったとして、現在の仕事の問題を相談したとしましょう。相談をもちかけられた相手はみんな、専門知識のない自分たちの意見が役に立つと思っているのでしょうか?
私たちにできることは?
これは単に他人事ではありません(気持ちをさらけ出すと慰められますが)。この状況を改善するには、私たち皆が少しずつがんばればできると思います。私のアイディアを3つ、挙げておきましょう。
- なにもなされずに放っておかれている問題があるのを知れば、それにチャレンジするべきです。私たちの親友であれ上司であれ、「そんなに目新しい話ではなく、あたりまえのこと」という風に表現される固定観念的もしくは間違った思い込みに、答える必要があります。
- ボランティア活動についてのレポートを提出しましょう。レポートには、単にその成果のみならず成果を促進するために行った仕事を書きます。たとえば、ボランティア希望者との面接は実際の受入れ人数よりも多かったこと、ボランティアに対して行ったオリエンテーションとトレーニングに要した時間、スタッフがボランティアともっと良いチームメイトになるためにどのようなサポートをしたのか、ということをレポートにします。
- ボランティア関連の問題・課題に私たちの協働者が注意を払うよう積極的に活動しましょう。たとえば、ワークショップや会議に参加した後、みなさんの環境に影響を与えそうな聞いたばかりの現状や動きについて、スタッフ・ミーティングのときにメモをまわしたり、短いプレゼンテーションを行ったりしましょう。
私たちの特別な専門知識が受け入れられないのは、重大なことであり、困ったなではすみません。ボランティアが受けるに値する私たちの専門性や支援の核心の問題です。ほかの多くのことと同様、これを解決するには、私たちから始めるということです。私たちは自分たちの能力を評価し、自分たちの「常識」が私たちの経験と同じであること思い込んでいる人たちに立ち向かっていくことが必要です。
皆さん、行動を起こすにはどんなアイディアを持っていらっしゃいますか?
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