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【ボランティアテキストシリーズ(10)】

書 名:元気印ボランティア入門
副 題:—自由と共感の活動論—
著 者:早瀬 昇
発 行:社会福祉法人 大阪ボランティア協会
定 価:945円(税込み)
初 版:1994年2月1日
頁 数:A5判 168ページ
ISBN :ISBN4-87308-008-8

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筆者
早 瀬  昇(はやせ のぼる)

1955年、大阪府生まれ。京都工芸繊維大学・工芸学部電子工学科卒業後、フランス・ベルギーの社会福祉施設(L’ARCHE)で研修を受け、1978年、大阪ボランティア協会に就職。その後、大阪府立大阪社会事業短期大学専攻科修了。
現在、大阪ボランティア協会・理事、事務局長。 大阪大学人間科学部客員助教授
熱烈な阪神タイガースのファンでもある。

【主な著書】
『ボランティア=参加する福祉』(共著・ミネルヴァ書房)
『変革期の福祉とボランティア』(共著・ミネルヴァ書房)
『あしたへの老年学』(共著・ミネルヴァ書房)
『ボランティア白書92』(共著・日本青年奉仕協会)
『自治型地域福祉の展開』(共著・第一法規出版) など


解説
ボランティア活動を取り巻く環境は急激な勢いで広がり、 多様性をもつようになってきています。 一方でまだ根強くみられる奉仕や禁欲的イメージのボランティア観。 そんな窮屈さから開放され、 ライフスタイルのひとつとしてのボランティア活動を展開するための実践論が綴られています。 時代のトピックを素材に書かれた入門書。

はじめに
 実は私には、こんな原体験があります。大学では電子工学を専攻しながら大阪ボランティア協会という草の根の市民団体に就職した私の生き方を我が父親はまったく理解してくれませんでした。私と顔を会わせるたびに「自分のこともできないくせに、なんでお前がそんな仕事をするんや。心配する親の気持ちも考えろ」などと怒る父親に、ある日、たまりかねた母親が諭しました。
 「お父さん、あきらめましょうよ。お地蔵さんになったんだと思って…」。
 真顔でそう言った母親に、私は本当に唖然としてしまいました。「いくらなんでも“お地蔵さん”はないでしょう!」
 しかし、これが笑い話で終わらないのが現実ではないかと思います。というのも、ボランティア活動のイメージには、どうもある種のクラサが付きまといがちだからです。無償の活動、禁欲、滅私奉公…。他者の幸せのために自分を犠牲にする奇特な活動。そんなイメージが残念ながら一般的です。
 ボランティア活動がこのようにクラいイメージでとらえられるのには理由があります。公共的な活動だということで、お役所のイメージがダブるのです。
 行政の取り組みは、それが一つの制度となるわけですから、長期的に継続できるものとなるよう慎重に吟味されます。各界の意見を聞き、どこからも批判のでないプログラムであることが求められます。もちろん、その効果は公平・平等に配分され、特定の対象に有利に働いてはならない…。
 しかし、このような形で活動を進めるのは、実に窮屈なことです。「思いつき」は許されない。独創的な発想は危険だ。そして、好みや関心などの自分の気持ちを抑え全体に奉仕する姿勢が求められる。このような「心構え」が求められ、その上、無償の活動だということになるのなら、「お地蔵さん」扱いも当然だと言えましょう。
 しかし! 実はボランティア活動には以上のような「心構え」は必要ありません。行政の取り組み方とボランティア活動のそれとは、随分違うからです。
 ボランティア活動では、ちょっとした出会いや気付き、こだわりや思いつきから活動が始まることが少なくありません。最初は、単なる好奇心である場合さえあります。当然、続けることが「前提」にないこともあります。たとえばボランティア講座を“試しに”受講してみる。意外に楽しそうだ。そのうちに、学校や職場、近隣以外の仲間ができる。一緒に何かしたいね…。そんな出会いの広がりと深まりの中から、次第に活動が自分にとって掛け替えのないものになっていく。
 実は熱心なボランティア活動家の中には、こんな経過をたどって活動に打ち込むようになった人たちも少なくありません。「最初に周到に計画をねり、その遂行をノルマとして自分に課す」という世界とはかなり違います。感動、怒り、充実感…。そうした思いが重なり合って活動は進められていきます。
 不幸にして(?)、そうした感動や充実感を得られなかった場合、意欲が減退し活動のペースを落としていく人もいます。それはそれで仕方ない。というのも、ボランティア活動が自発的な活動である以上、それは “しなければならない活動ではない”からです。元来、活動を休みたくなったら、休んでも良い活動なのです。
 しかも、この活動は他人の意見に支配されず自由に取り組めます。活動に伴う負担を引き受けるなら、公序良俗に反しない限り、何をしても良いのです。逆に言えば自分のこだわりを核にできなければ、活動は一挙に停滞してしまいます。 もちろんその結果への責任は、他ならぬ自分自身が負わねばなりません。しかし、たった一人の「戦い」ではありません。ボランティア活動は、夢や願いを共有する様々な仲間と出会える活動でもあります。「共感という連結器」の威力は絶大です。職場や地域、年齢や時には国籍の違いを超えた仲間を得ることができることも少なくありません。

      *

 こうしたボランティア活動の魅力的な世界は、残念ながら一般的な市民には十分に知られているわけではありません。しかも、行政とは違う“もう一つの公共活動”に特有の考え方が十分に整理されないまま、安易に「行政の穴埋め役」を期待され、あるいは「自発性」といった抽象的な観念の強調や「奉仕の心」といった精神論で活動が律せられてきた側面もあったように思えます。
 それでは、現に活動するボランティアが日々の取り組みの中で向き合う悩みや戸惑いは解決されていかないのではないでしょうか。
 本書は、当協会が発行する情報誌『月刊ボランティア』の連載コラム「V時評」に(漫)のペンネームで綴ってきた原稿を、一部加筆した上で、まとめたものです。
 このコラムで私は、ボランティア活動をめぐる様々なトピックスを素材に、その検討を通じて、実践的な「ボランティア活動論」の整理を目指してきました。といっても最初に体系があったわけではありません。その時その時に示された課題に対して、「論理」でもって答えたい。立場を超えて通用する「考え方」を見出し、様々な場で努力されているボランティアの皆さんが活用できる“道具”を提供したい、と綴ってきたものです。
 「論」というには断片的にすぎますが、しかしこれらの文章がボランティア活動に取り組む上で少しでもこ参考になれば、これに勝る喜びはありません。
 なお、理屈っぽい本文の息抜き=オアシスとして、中村宗誉さんのコピーと朝井翔二さんのマンガで構成された『ボランティアむだ知識』(これは『月刊ボランティア』の人気企画です)を転載させていただきました。このお二人はもとより、本書(つまり「V時評」)の執筆にあたって示唆を与えて下さった各地のボランティアの皆さんにも、併せて感謝の念を表したいと思います。
1994年1月             著  者


目次

情愛の行為とボランティア活動
     −白血病で逝った少年の死に思う
“仕方なく選ばれる”ボランティアの援助
     −豊かな出会いに変えるものは
たかがボランティア… されどボランティア
     − 「疲労と不信の悪循環」を抜け出すには
「義務の領域」と「共感の領域」
     − 「串イス運びにも賛美」の報道をめぐって
個別に応える
     −ボランティア活動の“命”を支えるコーディネーター
活動を励ますもの
     −贈られた未使用葉書を前に
「危険」は自由の勲章だ
     −“ちょっと危ない”活動のオモシロサ
ネットワーキングは“開く”こと
     −全国ボランティア研究集会関西集会に際して
「正しさ」から「楽しさ」へ
     −仲間が広がる活動に向けて
「軽い」動機も大歓迎
     −サマーボランティア特集号に寄せて
「淋しくて…」から始めた活動が生き方を変える
     −幼女連続誘拐殺人事件から
好きでしていることだけど…
     −ボランティア活動を支える「意地」について
思い込み、思い上がりが世界を変え、私を支える
     −「活動を支える“意地”について」再論
「共感」は「交換」できるか
     −「ボランティア切符」普及運動に思う
HELPING YOU HELPS ME!
     −セルフヘルプグループ(本人の会)は福祉を変える
お金に託すこととお金に支えられることの“はざま”
      −「互酬性」評価論議の高まりを前に
「お返し型ボランティア」のゆくえ
      −“新しい”取り組みの中に残る“古い”発想法
「有償ボランティア」考
      −“感謝のしるし”で得られるもの、失われるもの
「自立への援助」とは
      −問われているのは、私たちの“人間観”だ
“いざ”となっては遅すぎるから…
     −湾岸戦争への関わりの意味
マスコミはNGOが嫌い?
     −週刊新潮、週刊文春、サンデー毎日の編集姿勢への疑問
「愛することの反対は憎しみではなく…」
     −関心を高めることが出発点
中田厚仁さん殺害事件が残したもの
     −危険と自由、そして援助の難しさ
「ワンマン」のすすめ
     − まず、あなたの思いを大切に
人間関係のもつれは避けられない問題なのか
     − 異質を認め合えるグループ作りに向けて
“公費”とボランティア活動
     − 自立した活動は手弁当精神から
“当事者との協同活動”に向けて
     − 「ボランティア表彰大会」への疑問
一律の「評価」は活動の“毒”
     − 「表彰」や体験歴の評価はボランティアを広げるか?
市民の主体性が問われる時
     − ボランティア活動参加促進・基本指針の告示から
「金丸事件」−札幌高検検事長の投稿とボランティア活動の広がり
     −システム整備の限界と、「自由」を受け止める気概
『福祉社会のいやらしさ』再考
     − 「ぐるみ」ではなく、「多元」が作る市民社会
もう一つの「税制改革」
     − 民間公共活動を支えるのは民間の手で
日本船舶振興会問題の読み方
     − 市民活動を支える基盤とは
広がる「草の根ビジネス」
     − 「無償性」を越えた活動の意味
企業社会貢献活動の鍵は“パートナーシップ”
     − 対等な関係で協同し合おう
「動機」と「効果」を区別して、新しい社会づくりへ
     − 「企業市民活動推進センター」開設から一年
「最後のボランティア」は本当か?「臓器移植法案」の問題点
     − 遺志を活かす仕組みづくりに向けて
行政の限界と民間活動の可能性
     − 「公平原理」が逆機能化する“非常時”
ボランティア活動は恋愛に似ている?
     − “思い”が生きる組織、運動とは何か!


抄録

好きでしていることだけど・・・
−ボランティア活動を支える「意地」について−

『月刊ちいきとうそう』(現・『月刊むすぶ』)の編集者として活躍されてきた星野建士さんの失踪が同誌1991年6月号で報告された。昨年8月末以来、星野さんとは連絡不能の状態が続いているという。
 創刊は1970年10月。東京で光化学スモッグが発生し、静岡・田子の浦港のヘドロ公害が問題になった年だ。以後21年間、“原稿のすべては、現実に闘争を担っている方々のものであり、「ルポライター」「評論家」「学者・先生」はお断わりします”との編集方針を守りながら、多くの市民・住民運動の意見発表と交流の場となってきた。
 しかし、経営は苦しかった。同誌いわく、「戦後の日本の大衆運動・市民・住民運動の多くは、手弁当で展開されてきました。“良質”の運動であればあるほど、清貧の文字がつきまといました」。そう、同誌の販売代金の集金に協会を尋ねらねた折、借金のしんどさを漏らされた星野さんの少し寂しそうな表情を思い出す。

★★★

 先日も、厳しい状況の中で頑張るあるボランティアと会った際、一言、「もう疲れてね」。唐突な告白に驚いた。
 資金面の困難さをはじめ、活動にはしんどさも伴いがちだ。そのしんどさを仲間に訴えたところ、「君が好きでやっているんだろう。しんどかったら、いつ止めても良いんだよ」と言われてしまったのだという。
 相手は、疲れが見える彼の肩の荷を降ろしてやりたかったのかもしれない。しかし、彼はしんどさからの解放を勧める相手との間に、距離を感じ、ひどく孤独を感じるだけだったという。
 「好きでしている」という言葉に、「自分ならしないが、君はそれが好きだそうだから」という、突き離した姿勢を感じたのである。

★★★

 星野さんを、無念にも活動から離れさせた“疲れ”の過程で、この友人の話にあるような活動への意欲をくじけさせることがたくさんあったのではないかと思う。
 「好きでしている」。そう、確かに私たちの活動は強制的に課せられた義務ではない。しかし、その“しなくても良い”活動に取り組む思いには「好き」という言葉だけでは説明しきれないものがある。好きであるとともに「意地」とでも呼ばざるを得ないものが活動を支えることが多いと思う。

★★★

 自発的な活動とは、少し大げさに言えば、主体的に自ら選んだ生き方だということでもある。
 確かに最初は軽い気持ちで始めることが多いし、軽い気持ちのまま活動を続けていても良いものだ。しかし、その取り組みの過程で、活動が自分にとって掛け替えのない存在となってくることもある。生き方の一部になってくる。そうなれば「好き」なだけのものではない。
 近年、ボランティア活動に対する考え方が大きく変化してきた。その変化の中心は、ボランティア活動に付きまといがちだった“献身”,“禁欲”,“犠牲”といったイメージからボランティアを解放し、自由でのびのびした活動を勧める発想だ。
 しかし、それは「楽しくない活動は古い」とか「おかしい」ということでは、決してない。厳しい状況の下、「意地」を支えに活動するボランティアは 自らの生き方をも変える素晴しい活動と出会えた人でもあるのだ。

(月刊ボランティア 1991年10月号)